「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「青春漂流」(立花隆)


あの立花隆が若かりし頃の著作。1988年だからもう30年近く前。「一度は挫折し方向転換した若者たち。その大胆な選択が成功だったかどうかを語ることはまだ出来ない。何しろ彼らは、迷いや惑いの青春の真っただ中に いるのだから。自らも不安や悩みの放浪の旅から自己確立をしたという著者は、職業も種々な11人の若者たちと夜を徹して語り合う。鮮烈な人間ドキュメント」そのエッセンスを紹介しよう。


青春というのは、それが過ぎ去ったときにはじめて、ああ、あれがオレの青春だったのかと気が付くものなのである。迷いと惑いが青春の特徴であり特権でもある。それだけに、恥も多く、失敗も多い。恥なしの青春、失敗なしの青春など、青春の名に値しない。自分に忠実に、しかも大胆に生きようと思うほど、恥も失敗もより多くなるのが通例である。


猿まわし調教師 村崎太郎(22歳)


学校の先生になるのと、猿の先生になるのとどっちがいい?猿の先生はおらん、おらんから第一人者じゃ!!一度は滅び去った大道芸、猿まわし。村崎太郎は高校二年の夏、大学進学の夢を捨て、猿まわし復活に自分の人生を賭けた。それからは猿との闘いの日々だった。


猿まわしは日本で千年もの歴史を誇る民俗芸能である。それが、昭和38年に消え去ってしまった。行動経済成長期の中で、人々がそういう芸能を楽しむ心の余裕を失っていたこと、道路が自動車に占拠され、警察が大道芸に対して厳しい取り締まりをしたことなど、いくつかの原因が複合している。父・義正が太郎を説得した。猿まわしの世界はこれからどんどん発展していく。お前が後継者第一号になるということは、その世界でトップになるということだ。どんな世界でもトップになるのが一番いい。しかし、同時に、これは冒険だ。下手をすると、大失敗に終わって一生を台無しにする心配もある。しかし男なら挑戦してみろ


猿の訓練の第一歩は、両足で歩かせることである。芸をしこむのはその後だ。四足の動物を二本足で歩かせるというのは、想像以上にむずかしい。毎日、毎日手を引いてとことん歩かせて山口から東京まで歩いたぐらい歩かせると、はじめて自分で歩けるようになるのだという。


「昔、猿の調教をやっていて気が狂った人が三人いるんです。自分でやってみて、ほんとにこの仕事は気が狂っても不思議ではないと思います。それくらい精神的にきついんです」


オーク・ヴィレッジ塗師 稲本裕(32歳)
http://oakv.co.jp/
飛州・高山の草深い僻村で兄や友人と語らい、木工家具作りのヴィレッジをつくる男たちの緑の生活。緑多き日高高山の山中で共同生活をする手作り家具集団。そこで32歳の漆塗り職人に出会った。彼らはなぜここに来たのか?なぜこの仕事を始めたのか?


手づくりナイフ職人 古川四郎(33歳)

ヤスリがけが金工のすべてのテクニックの基礎だ。昔は、“ミクロン単位の腕と眼”をもった職人がいた。男の匂いのするカスタム・ナイフ。古川四郎はその数少ない手づくり職人としてアメリカまで名前が売れている。ケンカでピアノ調教師の夢を捨てた彼は町工場に飛び込んで職工になった。


精肉職人 森安常義(33歳)

そら、えらいことですわ。くたくたで死んだようになる。つごう4トンの肉を一人でかついでいるようなもんです。
http://www.nikusyou-moriyasu.co.jp/


動物カメラマン 宮崎学(34歳)

70メートルくらいの絶壁の途中で、下は海。体をザイルでしばりつけたまま、何時間もねばるんです。
http://www.owlet.net/


レース用自転車フレーム・ビルダー 長沢義明(36歳)

自転車一筋できた男が自転車に乗れなくなった。合宿所に取り残されて、それはわびしかったですよ。
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/CO004351/20130806-OYT8T00571.html


鷹匠 松原英俊(33歳)

他の生き方を選ぼうと思えばいくらでもあった。でも、これがほんとに人間らしい生き方だと思う。
http://august-snow.jp/


ソムリエ 田崎真也(25歳)

勘当同然の身の上だった。高校を二年で中退して、ただ、ウェイターをしながら街を遊び歩いていた。


あの田崎真也が25歳だっちゅーから、まるでタイムマシンみたいな本だね。オススメです。(・∀・)!