「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜『殉職・宮本警部が伝えたかったこと』(山口秀範)

殉職・宮本警部が伝えたかったこと (楽書ブックス)

殉職・宮本警部が伝えたかったこと (楽書ブックス)

昨年紹介したこの本。(^−^)2007年東武東上線ときわ台駅で踏み切りに入った女性を助けようとして、亡くなった・常盤台交番の宮本邦彦警部。もう忘れちゃったかな?


BOOK〜涙…涙…泣ける絵本…『伏してぞ、止まん、ぼく、宮本警部です』
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20080420


この続編のような本だけど…泣けた…泣けた…電車の中なのに…。(T_T) 宮本さんの生きざまに。その誠実さに。いかに信頼されていたのかに…。
この人は本物だね…。これほど泣けた本は無いなあ…。(>_<)
この本は、宮本さんの事故の詳細から背景、宮本さんの座右の銘である三つの誠(誠実・誠心・誠意)、宮本さんに連なる日本人の系譜などを綴ったもの。その一部を紹介しよう。


地元の子どもたちから「おまわりさん」ではなく「宮本さん」と呼ばれ親しまれていた。自転車が壊れて困っている男の子を見かけると修理をしてあげ、拾ったお金を交番に届けた女の子の母親に「うんとほめてあげてください」と電話で伝えるような警察官だった。


・お葬式の時の奥様の言葉。『夫の人間性、性格から考えて、これも天命として受け入れようと努力しています。お父さんの行動を誇りに思います。』


・雨の日も風の日も交番の前に立ち続け、「みんなが安心して暮らせるように」というのが口癖だった。夜遅い時間まで踏切の見える場所に立つ宮本さんの姿、お年寄りの手を引いて踏切を一緒にわたってあげている笑顔の姿、「電車が通り過ぎるまでもう少しの我慢だよ」と新入学の児童の頭を撫でながら話しかけている姿を地元の人はよく覚えている。


・宮本さんの事故のあと、地域の人々は日頃の感謝を込めて、宮本さんの容態を肉親のように案じ、一日も早い回復を祈る励ましと見舞いの手紙や千羽鶴、花束、果物などは事故翌日には届き始めた。インターネットの掲示2ちゃんねるでもふだんは警察批判の書き込みが多いサイトだが、宮本さんを激励する書き込みが相次いだ。激励の手紙の内容の一部。


「ニュースで事故の様子が伝えられる度に胸が痛みます。正義感が強く地元住民にも親しまれている存在だったという記事が今日の夕刊にありました。これを今読んで頂けない事は承知していますが、早く意識が戻ってほしいと祈り、書きました。頑張ってください。宮本さん、頑張ってください。頑張ってください。頑張ってください。頑張ってください。心から祈っています


「いつも子どもたちを優しい眼差しで見守って下さり、ありがとうございます。早くよくなってください」(小学校教諭)


「みや本さんへ わたしがメモちょうをひろってとどけると、『ありがとう』と、いってくれました。やさしいなと思いました。はやくよくなってください」(小学生)


「がんばってけがをなおして早く帰ってきてください。また、いろいろお話しがしたいです。まっています」(小学生)


亡くなった後の弔問の記帳者も途絶えることなく続いた。

「補導された息子を父親のように諭してくれた」

「いじめられている子にも、不良にも平等に接していた」

「悩んでいた息子に『自分の好きなことをしっかりやりなさい』と声をかけてくれた。母子家庭なので、ほんとうにありがたかった。」


…すごいなあ…。こんな人がいたなんて、日本もまだ捨てたものじゃないね。おススメよ。(^−^)