「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜あの名番組の光と影!…『ザ・ベストテン』(山田修爾)

ザ・ベストテン

ザ・ベストテン

1978年1月19日、木曜日21時。黒柳徹子久米宏の司会で始まったザ・ベストテン。私が14歳、中二の時だね。(^。^)
放送12年、オンエア603回、出演歌手400組、最高視聴率41.9%…。伝説の音楽番組が放送30年を記念して1冊の本になった。懐かしいよ〜!(~o~)


ランキング方式によって出演者を決定したのも、音楽番組の生中継もザ・ベストテン』が最初。それまではフジテレビ夜のヒットスタジオに代表されるようなプロデューサーが出演歌手を選定するキャスティング方式が一般的だったのだ。当然、人気歌手でもランキングされなければ見られないし、ランキングしたとしても、出演拒否する歌手もいたりしてね。


歌手の隠し芸を披露したのも、休暇中の司会(黒柳徹子)を休暇先まで追いかけたのも、新婚旅行の部下に中継業務命令を出したのも、初の衛星生中継をしたのも、歌謡情報番組という新しい試みもザ・ベストテン』が最初だったのだ。それは「技術はプロフェッショナル、発想はアマチュアリズム」いう著者であり当時のプロデューサー・や山田修爾氏が番組制作で心がけてきたことだった。


氏は語る、「三位一体の番組制作」=見る側(視聴者)、出る側(出演者)、作る側(制作スタッフ)の三者がそれぞれの立場で、「番組を面白くしよう」と情熱を傾けた結果、それが相乗効果となって人気番組に成長させたのではないか。

黒柳徹子は語る。「考えてみると、『ザ・ベストテン』の時代は、1台のテレビを家族全員で見ていた一番最後の約10年だったのかもしれませんね。まだ、ビデオデッキもそれほど普及していなくて。大人も子供も一緒になってヒット曲を見て。だから作り手としても、視聴者にウソを付かないよう一生懸命頑張った。そこがとっても良かったと思うの」

そして日本社会の成熟化にともない音楽の対する価値観の変化をそのまま受け入れたような番組でもあった。そのザ・ベストテンの功罪とは?」などなど、当時の苦労話や裏話が満載!巻末には、全603回のランキングが全て掲載!
ちなみに第一回と最終回のランキングを紹介しよう。懐かしいね!(^。^)


第1回 1978年(昭和53年)1月19日
1 UFO/ピンク・レディー
2 わな/キャンディーズ
3 しあわせ芝居/桜田淳子
4 わかれうた/中島みゆき
5 禁漁区/郷ひろみ
6 憎みきれないろくでなし/沢田研二 
7 ブーツを脱いで朝食を/西城秀樹
8 若き旅人/狩人
9 泣き虫/清水健太郎
10 風の駅/野口五郎


第603回 1989年9月28日

1 黄砂に吹かれて工藤静香
2 太陽がいっぱい光GENJI
3 リゾ・ラバ/爆風スランプ
4 GLORIA/ZIGGY
5 世界でいちばん熱い夏/PRINCESS PRINCESS
6 淋しい熱帯魚/Wink
7 Dream Rush/宮沢りえ
8 シングル・アゲイン/竹内まりや
9 MISTY〜微妙に〜/氷室京介
10 ヴァージン・アイズ/中山美穂