一日一冊一感動!小野塚テルの『感動の仕入れ!』日記

タイトルは、『一日一冊一感動!小野塚テルの感動の仕入れ!』日記。 毎日の読書、映画、グルメ、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。(ときどき「酒場のギター弾き」「B級グルメ」も紹介します)

「久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった」(久米宏)

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この本で知ったんだけど『ぴったし カンカン』が始まったのが1975(昭和50)年だって! ほー!ワタシは、小学5年生、三億円事件が時効になった年、王さんの756号の2年前、当時大好きだったコント55号の欽ちゃんと二郎さんがキャプテン、そして司会者が彗星の如く現れた久米宏さん。

 

久米さんが問題を読む際「このとき思わずほにゃららと叫んでしまいました。なんと叫んだのでしょうか?」「ほにゃらら」は流行ったよね−!(・∀・)♪

 

久米宏さん、初の書き下ろし自叙伝。TBS入社から50周年を迎える今年、メディアに生きた日々を振り返る。入社試験の顛末から、病気に苦しんだ新人時代。永六輔さんに「拾われた」『土曜ワイドラジオTOKYO』、『ぴったし カン・カン』『ザ・ベストテン』『久米宏TVスクランブル』『ニュースステーション』の18年半、『久米宏 ラジオなんですけど』の現在まで久米宏の歴史=メディア史の意味もあり、時代の証言として、なによりも「ない番組」を切り開いてきた、一人の人間の成長物語として、読み応えのある1冊です。初日の惨敗からニュース番組の革命といわれるまでの『ニュースステーション』は、圧巻のドキュメント」そのエッセンスを紹介しよう。
 

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ニュースステーション』が始まった1985年10月7日は、僕が生まれて41年と86日。僕にとってニュースステーション』とは、結局「テレビとは何か」を考えることだったテレビにしてか出来ない報道とはどういうものか。もっともテレビ的な番組とは何なのか。それを突き詰めるために、僕は番組が始まる1年以上前から企画を練り上げた進行役としてニュースの読み方やコメント、インタビューだけではなく、スタジオセット、小道具、衣装、撮影、照明に到るまで、番組制作のあらゆる点にこだわって自分の色に染め上げようとした
 
早稲田大学を卒業したのは1967年。演劇とある合いとに明け暮れたノンポリ学生で、全学ストやバリケード封鎖による休講を理由に、これ幸いと大学に顔を出さなかった口だった。演劇仲間には、長塚京三さんや田中眞紀子さんがいた。一つ下に吉永小百合さんが入学してきたときには大騒ぎだった。同期には中村吉右衛門さん、下にはタモリさんがいた。
 
・それまでのアナウンサーの基本は、マイクロフォンに向かって、正確な発音で折り目正しく話す技術だった。民放のアナウンサー研修の指導者はNHK出身者が多かったため、志村正順さん、宮田輝さん、高橋圭三さんらのNHK出身者アナウンサーの話し方は、民放にも脈々と受け継がれていた。ところが60年代後半以降、それをどう崩していうかで若きアナウンサーたちが競うようになった。土居まさるさん、桝井論平さんも「NHK話法」から逃れるべく模索していた。アナウンサーはパーソナリティーつまり個性で勝負する時代に入っていった。
 
・誰とも違う個性を打ち出すためには、逆に生活感のないアナウンサー」を目指そうと思った。身の回りの話ではなく、世界情勢や日々の事件・事故、宇宙や自然のあり方を話題にする。普段の生活が見えず、亜空の人物のような存在としての「久米宏」。それは自分の道を切り拓くための戦略であると同時に、僕たち夫婦のあり方から導き出された必然でもあった。
 
・1975年10月7日ぴったしカン・カンが始まった。萩本欽一さんのオリジナル企画。またたくまに30%に届く超人気番組になった。コント55号と言えば、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いの大人気コンビ。「玉砕の久米」としては緊張しぎて、破れかぶれで突っ走ったというのが正直なところだった。
 
世間は黒柳徹子さんのことを早口でおしゃべりの天然キャラだと思っているかもしれない。でも僕が彼女をひと言で表すならば健康的な努力家」。まず体がとても丈夫。そして実は地道な努力家だ。そのことはあまり知られていないと思う。あしたクイズ番組の収録があるから、これから7冊くらい本を読まなきゃいけないの」クイズ番組で彼女の正解率が非常に高いのは、事前に知らされたテーマにについて関連する本を片っ端から読んで勉強しているからなのだ。
 
テレビの特性は映像を伴う生放送にある。次に何が怒るかわからないというのが、生の特性であり、テレビの本質だならば視覚に訴える情報を生で伝えるニュースとスポーツ、それが、もっても「テレビ的」ではないか。情報伝達機関としてのテレビを考え直すことだ新聞を読まない視聴者にわかりやすく情報を伝える報道番組。リズミカルな呼吸のあるニュースショー。そしてテレビに必要なのはエンターテイメント性だ。
 
人気を保つためには、6割の人に嫌われ、4割の人から好感をもたれるのがバランス的にはいちばんだと僕は考えている。「クールで明晰なヤツ」が6割、「冷たくて嫌なヤツ」というイメージが4割。マスコミで僕の話し方とパフォーマンスは「軽妙」「当意即妙」「天才的話術」と持ち上げられる一方で、「軽薄」「お調子者」「電波芸者といった形容も恩智くらい付きまとった。
 
・3つのタブーを侵す
 
1 テレビ局の中で最も神聖にして侵すべからず報道という分野に、外部の番組制作会社が初めて参入すること
 
2 娯楽番組で視聴率を稼いでいたプライムタイムの帯に、視聴率が望めない大型のニュース番組を投入すること
 
3 キャスターに記者やジャーナリスト出身者ではなく、報道現場をまったく知らない、他局のアナウンサー出身のタレントを起用すること
 
座右の銘、ジャーナリスト大宅壮一の言葉風俗を語るときは政治的に語れ。政治を語るときは風俗を語るように語れ」
 
必要なのは、美しい文章でも、かっこいい文章でもない。聞いてわかりやすい文章だ。だから、なるべく書き言葉を使わず、話し言葉にする。たとえば「投棄した」ではなく「投げ捨てた」。「回想する」は「思い出す」。常套句の「なりゆきが注目される」など日常では使わない。「どうなんでしょう」でいい。形容詞は形容する名刺の一番近くに持ってくる。「白い洗い立てのシャツ」ではなく「洗い立ての白いシャツ」主語はなるべく前のほうに置いたほうがわかりやすい。「九州地方に台風が接近しています」ではなく「台風が九州地方に接近しています」。「さて」「ところで」「一方で」といった転換の接続詞はなるべく使わない。場面が変われば、読みて手の気持ちが変われば視聴者にとってはすでに「さて」となっている。パンダは「かわいい」、桜は「きれい」手垢のついた言葉は使わない。「今、あじさいが満開です まではいい。しかしぜひお出かけになってみてはいかがでしょうか」の慣用句は要らない行くか行かないかは聞いてみた人が決める問題だ。
 
・僕は番組の出演者だが、頭の中の半分はいつも見ている人の立場や生活から考えようとした。スタッフにはいつも『帰宅したサラリーマンが、風呂上がりに一杯ビールを飲みながらテレビを見ている状況をイメージしてつくってほしい』と呼びかけていた。
 
ある言葉を口にする前は、僕は一度、頭の中で話し、僕がそれをテレビで見ていたらどう感じるかを考えてみる。ニュースは視聴者目線、送り手よりも受け手の都合を最優先にして伝えていかなければならない。特集の内容が難解な場合は、VTRを流す前にあらかじめ言葉を添えて、視聴者に注意を促した。「さて、ややこしい特集です。しっかり見てください」「最初のVTRは短いので集中してみてください」「放送する我々にもよくわからないのですが」番組のリポートが何が言いたいかわかりにくいときは、小林さん、今のリポートはよくわかりませんでしたね」と話した。予定のビデオが出てこなかったり、テロップの文字が間違ったりしたときは、不手際をお詫びします」と頭を下げるだけではなく次のVTRはちゃんと出てくるでしょうか?」と視聴者と同じ目線でそのミスを笑ってみせた。
 
・インタビューをする際の自分なりの鉄則。それはメモをつくらないということ。つまり質問する項目をあらかじめ用意しない相手にもそうしたメモを渡さない。渡したときは、そこに書いてある質問は意地でもしない
 
「試験官との押し問答」「栄養失調から結核に」「ひたすら電話番の日々」「番組つぶしの久米」「初めてニュースにコメントしたキャスター」「『ザ・ベストテン発進」「構成なランキングによる大混乱」「『ニュースステーション』に賭ける」「フリー転身で得たもの、失ったもの」「神は細部に宿る」「ニュース番組の使命」「『ニュースステーション』が終わるとき」「ラジオ再び」など。

 

やっぱり久米さん、凄いわ!歴史を変えたんだね!知らなかった!あの時代がよみがえる!超オススメです!(・∀・)♪

 

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