子どもの頃から黒柳徹子さんのことをテレビで観ているのでいったいいくつになったんだろう?って思ったら86歳なんだね。(@_@)!
以前は女優としてテレビドラマでも観たけど、最近は司会業とユニセフ親善大使としての活動が有名だよね。徹子さんは、子どものころからどんなことを考えていたのか?そのエッセンスを紹介しよう。
・手話は耳の聞こえるものにとっては、 想像がつかない程の素晴らしいコミュニケーションの手段だと知っ た。アメリカろう者劇団の一人のとこの俳優は、私に「 どんなに違う手話の人とでも、 3時間あったら日常会話は出来ます。 一週間くれたら哲学も話し合えます」といった」世の中の人、 みんなが手話をやったら、私たちも、外国の人たちと、 もっと早くお話が出来るのかも知れない。
・大人になってから、私は、 小さい時のようになんでも飛び込むのはやめよう、と決心した。 理由の一つは、若い頃、つきあってた男の子から「 なんか君は大きな穴に落ちて死ぬような気がする」 といわれたからだ。とても用心深くなった私は、 よく人に笑われるけど、エレベーターに乗るときも、 ちゃんとエレベーターの床があるかを確認してから乗る。 エレベーターのドアが開いて、万が一にも床がなかったら大変だ。
・LD(学習障害)の子どもについての番組「 変わった子と言わないで」のNHKの番組をしっかり見た。 見終わった時には私は泣いていた。自然と涙が止まらなくて、 要するに私は泣いていたのだった。 一年生になって数ヶ月で退学させて下さった先生に心から感謝して いる。退学になったから次に入った学校で、 心の底から楽しい小学校生活が送れ自由で伸び伸びと勉強をするこ とができたのだった。校長先生は一日に何度も「 君は本当はいい子なんだよ」と言い続けて下さった。 先生のこと言葉は私の一生を決定してくれたくらい、 私にはありがたい言葉だった。この言葉で、 勝手にいい子だと思い、先生を信頼し自信を持って大人になれた。
・アフリカに棲んでるからといって、アフリカの動物を、 みんなが知ってる訳じゃない。 サンコンさんは日本に来て動物園に行って、 はじめて縞馬やキリンを見た、といっていた。そして「 かわった動物で、ビックリした」ともいっていた。日本のように、 動物園があって、誰でも象やキリンを知っている国は、 そうはない。私は、リベリアにいた間はもちろんだけど、 帰ってきたいまでも、 これから一ヶ月はマラリアの薬をのみ続けなければならない。 マラリアとは、そのくらい恐ろしい。子どもたちの病気でも、 最も多いのは、病院でもマラリアだった。日本は、 本当は天国のように思えた。
やっぱり徹子さんは優しいよね。観音菩薩様のようだね。オススメです!(・∀・)♪