- 作者: 佐野正幸
- 出版社/メーカー: 草思社
- 発売日: 2006/02/01
- メディア: 単行本
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私は子供の頃は、王、長島の全盛時代。当然ジャイアンツファンなので、東京ドームへは、年数回足を運ぶ。いいよね〜!あの球場の独特の雰囲気と躍動感!心躍るよね〜!(^◇^)
さてまた野球本だけどもちょっと変わった本。今は無き球場にについて語りながら時代の変化や日本球界の軌跡を振り返る味わい深い一冊なのだ。著者は佐野正幸氏。その中でも特に印象に残った二つの球場についてのエピソードを紹介しよう。
【東京スタジアム〜下町の夜空に十年間だけ咲いた光の球場】
荒川区南千住 収容人数32000人 主な本拠地球団=大毎(東京・ロッテ) 1962〜1972
東京スタジアムは下町らしく下駄ばきでフラッと入れるような庶民的な球場であったが、今でいうバリアフリー式の誘導路があり、照明塔は後楽園球場よりも明るく「光の球場」と呼ばれて親しまれた。人が水を撒くのが当たり前だった時代に、自動水撒き機をつかっていた。安全性には無頓着だった球場だった多い中で、外野フェンスにラバーを完備したのもかなり時代に先んじていた。大毎オリオンズの永田雅一は当時絶好調だった映画界の重鎮で大映映画の社長。しかし、高度経済成長に沸く下町の夜空に一瞬の光芒を放った「早すぎたスタジアム」だったのだ。
【川崎球場〜幾多の名勝負の舞台となったボロ球場】
川崎市川崎区 収容人数25000人 主な本拠地球団=ロッテ・大洋 1952〜2000
一番汚くて設備のひどかった球場はどこだったかというアンケートを実施したら、間違いなく川崎球場が一番に挙がるはずである。ひどいことを言われた。「外野席で人が死んでいても、一週間は気づかない」 「スタンドでキャッチボールができた」 「外野席で流しソーメンをやっている客がいた」など。このうち、後の二つは本当だからちょっと笑える。極め付きはトイレ。なにしろ戦時中の少年院を描いた映画の撮影に使われたほど戦前のトイレとしてふさわしい造り。確かにカギは壊れていることが多いし、どこか不気味な風情…。
昭和60年の「テレビじゃ見られない川崎球場」というコピーは秀逸。不人気を逆手にとって自虐的なコピーは名フレーズである。(^^ゞ何よりも有名になったのはあの近鉄対ロッテの「10.19」は、テレビじゃ見れないどころか急遽全国中継までされてしまった。
http://www.hawksnavi.com/pacific/mankistu/10_19.htm
この試合だけでなく、スタルヒン(高橋)の三百勝、青田昇(大洋)の当時では初の二百五十号ホームラン、王貞治(巨人)はじめての一本足打法でのホームラン、島田源太郎(大洋)の完全試合、張本勲(ロッテ)の前人未到の三千本安打、村田兆治(ロッテ)千七百三日ぶりの復活勝利、落合博満三度の三冠王達成など、球史に残る記録やできごとが川崎球場の歴史に刻まれている。
その他、後楽園球場、横浜平和球場(ゲーリック球場)、早大安部球場(戸塚球場)、大阪球場(大阪スタヂアム)、西宮球場、日生球場、藤井寺球場、平和台球場、県営宮城球場、札幌市営中島球場、上井草球場、武蔵野グリーンパーク(東京スタディアム)、駒澤球場
ああ〜!川崎球場が懐かしい〜!野球が観たい!やりたい!(^◇^)野球ファンにおススメよ!