「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜王貞治と長島茂雄…『ONにも青春時代があった』(王編)

いい天気が続いていて気持ちいいお正月だね!私の小田原の実家からの富士山もこんなカンジ!(^◇^)日本人でよかった〜!!!織田裕二ふうに)

さて、昨日に続いて、この本の続編。

ONにも青春時代があった王貞治と長島茂雄 日経プレミアシリーズ

ONにも青春時代があった王貞治と長島茂雄 日経プレミアシリーズ

今日は、昨年、勇退を表明した王さん編!(^^♪ 私の子供の頃は、もう長島さんの全盛期を過ぎていたので、王さんだよね〜!王さんは神様みたいな存在だったといっても華厳の滝…、いや、過言ではない。
さあ、王さんの若いころにはどんなエピソードが隠されているのか、エッセンスを紹介しよう。


・王のくそ真面目で頑固な性格や、その自制心の強さは、王の半世紀を揺さぶった「国籍」の問題と「二つの中国」の狭間に立たされ通した問題が切り離せない。
早実時代、甲子園の優勝投手だったのにかかわらず、外国籍であるがゆえに、静岡国体に出場できなかった差別。巨人に入ってからも心無い先輩やスタンドからの中国人への侮蔑的な陰口や野次をとばされてどんなにか傷ついたか。この類の話は枚挙にいとまがない。
父からは、「人に迷惑をかけるな。問題を起こすような行動を決してとるな。そしてこの国の人に憎まれないで、かわいがられるように」と差別を受けることを前提にした基本姿勢を教えられ、兄からも試合に勝ってグラブを放り投げて喜ぶことも、ホームランを打ってガッツポーズをすることも、「相手のことも考えろ。あんなふうに喜んで見せるものじゃあない」と諭された。それはどんな実績をあげ、どんな名声を博しても変わらずにいる。


・王の一本足打法を完成させ、維持し続けた努力についてやはり今をもって称賛を贈りたいと思う。1年目、1割6分1厘、7ホーマー、25打点。2年目2割7分、17ホーマー、71打点。デビューから26打席ノーヒットの記録で、「オー、オー、三振オー」と揶揄され続ける日々もあった。
ピッチャーの投球を安定的にとらえられない、体重移動ができない、全力で振りぬけない…その解決方法としての一本足打法は、3年目の途中から始めて、翌年には、38ホーマー、85打点、2割7分2厘で2冠を取り、868本への快進撃に結びつけるのだ。


王は若い頃から、正面から相手の目を見てしっかりと聞き、いい加減な受け答えなどしたことは一度もなかった。そして、1500枚から2000枚になる年賀状もどんな礼状も家人や球団のものに任せるでなし。全部自分の手でしたためるのも今も変わらないはずで、全部自筆。しかも年賀状なら一枚一枚、すべてに必ず添え書きの一分を付けることを欠かさない。


一本足打法は、不自然な打ち方で精密機械のように狂いやすく、相手ピッチャーのタイミングをはずされやすいという欠点を伴うものだったから安定させ、不動のものにするところまでは相当な気迫と時間とが要った。当初の3年間は毎朝6時半に荒川コーチ宅に通う。もちろん無遅刻、無欠勤。深夜2時、3時になることも。鋭敏な感覚を養うために日本刀をふるい、合気道の呼吸を学ぶ。日中200本、夜寝る間に200本、時には1日500本の素振りをする習慣は現役を引退するまで続いた
そんな王でもシーズン前になると「おれは本当に今年も打てるのだろうか」と不安になっていたのだ。逆に、「おれがそのくらい打てるのに、他の人たちはなぜ打てないんだろうって思う。なぜかなあ、みんなだって同じように一生懸命やっているのに」と首をかしげることもあった。


・王は昭和41年の暮れに26歳で結婚しているのだが、その前に自分たちのマイホームより先に両親のためのビルを新御苑前に建てている。140坪の土地に7階建ての20世帯の入る賃貸アパートで、両親が暮らすのはそのワンフロアだが、まるまる両親への贈り物だ。こんなケースは王以外にはいなかっただろう。
756号の世界記録のホームランを打った夜、王がわざわざ両親をマウンド付近に招いて感謝の意を表した時、スタンドから「世界一の親孝行!」と掛け声がかかったシーンを覚えるいるファンもいるだろう。
父・仕福さんが83歳で亡くなった時、試合後に初めて訃報を知らされた王はその晩、涙があふれて止まらず、ついに一睡もできぬまま、宿舎の部屋正座して東京の方角に向って手を合わせるしかなかった、という話を知っているファンはあまりいなかったろう。


・王の自宅には「サイン部屋」があった。白いボール箱が50ダースくらいと色紙が入った紙袋の山とマジックペンやサインペンの文房具、プレゼント用のGバットが山のように積み上げられている。王は合間を見計らってひとり黙々とサインペンを動かしているのだ。一日200回〜300回、サインをしていたという。一回10秒としても一日のうち1時間半ぐらいはサインに追いまくられていたことになる。


カア〜!!!\(◎o◎)/!さすが、世界の王さん!凄すぎる!努力の人だね〜!(^◇^)長島さんと王さんのそんなエピソードが満載。いい本だよ、おススメ