「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜絶対不可能を覆した農家の記録…『奇跡のリンゴ』

奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録

奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録

このブログのタイトルは『感動の仕入れ!』日記。読んだ本すべて紹介しているわけではない。これは取り上げるほどじゃあないな…というのもけっこうあるのだ。(・。・)もちろん感動する本や話題もたくさんあるけどね。


さて、この本も感動!!!(T_T) NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』にも登場した、無農薬リンゴを栽培することに成功した農家・木村秋則氏の壮絶なドキュメント!ん〜泣ける…、スゴイ!
本の帯にはニュートンよりも、ライト兄弟よりも、偉大な軌跡を成し遂げた男の物語』とある。かなり長くなるけど紹介しちゃおう。


・東京白金台にある隠れ家レストラン『シェ・イグチ』。その看板メニューが「木村さんのりんごのスープ」シェフの井口久和さんはいう。「腐らないんですよね。生産者の魂がこもっているのか…」井口さんの厨房で二年前から保存されていた二つに割ったリンゴは腐っておらず、枯れたように小さくしぼみ、お菓子のような甘い香りを放っていた…


・私たちが食べているリンゴのほとんどすべてが、農薬が使われるようになってから開発された品種、つまり農薬を前提で品種改良された品種なのだ。その結果として現代のリンゴは、コーカサス山脈の野生種とは比べ物にならなくくらい巨大で甘い果物になった。その引き換えとしてリンゴは野生のチカラを失い、農薬の助けなしには病害虫と戦うことの出来ない、極めて弱い植物になってしまった…。そう農薬が発明されなければ、リンゴ畑はとっくの昔に日本から、青森県から姿を消していたに違いない。


・すべてのリンゴ畑を無農薬にして三年が過ぎ、四年目になっても、リンゴの花はまったく咲く気配を見せなかった。貯えは底をつき、義父の郵便局の退職金も使い果たした。木村の三人の娘と妻の両親と一家七人が貧乏のどん底にいた。トラクター、自家用車、二トントラックも売った。税金の滞納が続いて、リンゴの木に赤紙が貼られ、銀行、消費者金融、実家、親戚から借金をした。
電話はとっくの昔に通じなくなっていた。健康保険料が払えず、健康保険証も取り上げられ、子供のPTA会費も払えない…。娘たちの服どころか学用品すらまともに買えない。木村家の耐乏生活は近所の人々の目には悲惨というよりむしろ奇異なものに映っていた。それがあと数年続くとは…。


リンゴ以外の作物なら無農薬栽培はそれほど難しくない。しかし、リンゴの無農薬栽培だけはとてつもなく難しかった。しかし不可能なはずはない。今は害虫と病気に置かされてるけれど、自分ならきっとこの問題を解決して、リンゴの木に実をならせる方法を見つけられるはずだ。それがいつしか木村の信念になっていた。ある意味では、その信念が木村の最大の障害だった。
無農薬でリンゴを栽培することは、木村にとっては夢でも、他の農家には狂気の沙汰の空想でしかなかった。そして8年目に奇跡が起こるのだ。


木村はリンゴの木に声をかける。リンゴの木に感謝しているからだ。リンゴの木は、リンゴという果実を生産する機械ではない。リンゴの木もまた、この世に受けたひとつの命なのだ。「リンゴの木は、リンゴの木だけで生きているわけではない。、周りの自然の中で、生かされている生き物なわけだ人間もそうなんだよ。人間はそのことを忘れてしまって、自分独りで生きていると思っている」


・1991年の秋に青森県に台風が直撃し、リンゴ畑が壊滅的な被害を受けた。リンゴが落果しただけではなく、リンゴの木そのものが風で倒れるという被害まで被り、県内のリンゴの被害額が742億円にものぼった。ところが木村の畑の被害は極めて軽かった。なんと8割以上のリンゴの果実が枝に残っていたのだ!リンゴの木は揺るぎもしなかった。根が普通のリンゴの木の何倍も長く密に張っていただけではなく、木村のリンゴは実と枝をつなぐ軸が他のものよりずっと太くて丈夫に育っていたのだ


・著者はいう。「木村のリンゴの外見は普通だ。それほど大きくなく形は少しばかり歪んでいて小さな傷もある。そのリンゴに初めてかじりついたとき、不覚にも涙をこぼしそうになった。もちろん先入観があったことは認めよう。木村が30年間にわたって経験しなければならなかった、数限りない苦労のことを思い出していたのは事実だ、。けれどそのリンゴは信じられないほど美味しかったのだ。あまりに美味しいものを食べると、人は涙を流すのだということをその時初めて知った。一口頬張った瞬間に、大袈裟ではなく、自分の全身の細胞が喜んでいるような気がした。「これだ!これだ!これだ!」細胞という細胞がそう叫んでいるような気がした。


母親と引き裂かれて育った赤ん坊が、初めて母の胸に抱かれたとき、いったちどんな顔をするんだろうか。きっと泣くんじゃないかと思う。泣きながら、夢中で母親の胸に顔を埋めるんじゃないか。リンゴを食べながら、そんなことを考えていた。ふと気がつくと、手の中に残っていたのは、リンゴの種だけだった。リンゴの芯まで食べていた。そのことに気づかぬほど、芯まで美味しいリンゴだった。


・木村は頼まれればどこへでも出かけて行って話をする。あれだけ苦労して辿りついたリンゴの栽培法にしても、求められれば誰にでも惜しげもなく教えている。それを自分の専売特許にしようなどとは夢にも考えていない。あれだけ苦労をしたのだから、少しぐらいその苦労から利益を得ようとしてもちっとも悪くないと思うのだけど、木村はそういうことにはまったく興味を抱かない。家の襖もずっと張り替えていない。そんなことよりもずっと大切なことがあると知っているからだ。


ん〜すごい…。ここまで自分の信念を貫き、道を究めることができるだろうか…。表紙の木村さんの満面の笑顔は求道者の顔ではない。純粋な子どものような笑顔だ。読むべし!(^◇^)


フランス料理 白金台 シェ・イグチ
http://www.cheziguchi.com/
プロフェッショナル仕事の流儀 りんごは愛で育てる 農家・木村秋則
http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/061207/index.html
自然栽培生産者 奇跡のりんご 木村さんのりんご
http://www.cheziguchi.com/kimura.htm
茂木健一郎 クオリア日記 奇跡のリンゴ
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2006/11/post_35ec.html