「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜豪快半生と秘話の数々!…『だめだこりゃ』(いかりや長介)

だめだこりゃ (新潮文庫)

だめだこりゃ (新潮文庫)

私の世代はドンピシャ!でドリフターズ「8時だヨ!全員集合!」を見ていた年代。(^◇^)
カトちゃんはもちろん、初代の荒井注が好きだったなあ…。「なんだバカ野郎!」「ジス・イズ・ア・ペン」は毎週大笑いしていた。そしてメンバーに志村けんが加わって、あっという間に驚異的な視聴率を叩き出し、お笑い界の頂点に君臨したドリフ。(^v^)


だから、リーダーのいかりや長介が亡くなった時は、自分のオヤジが亡くなったようでショックだった…。(T_T)

実は、音楽は四流、笑いは素人。でも、それがドリフターズだった。東京の下町に生まれ、米軍キャンプやジャズ喫茶でのバンドマン生活を経て、ドリフターズに加わったいきさつ。ビートルズの武道館公演の前座をつとめ、最長不倒のお化け番組「全員集合」の陰でネタ作りに追われた日々と、メンバーの知られざる素顔。そして、俳優に転進してから「踊る大捜査線」の大ヒットまで。豪快半生と秘話の数々を綴る、いかりや長介の自伝がこの本。

オモシロイ話が満載なのだが、それは本を読んでいただくとして、その中のツボを紹介しよう。


クレージーキャッツハナ肇さんが酒に酔った勢いで、片っ端から芸名なるものを名づけた話。


「おい、お前たち、芸名はあるのか?いまから俺がつけてやる。いかりや、お前、下はなんと言ったっけ」
「いかりや長一です」
「長一はよくないな。ちょういちっ、で止まってしまう。そうだ、長介がいい。スケーッて伸びてるからな。いかりや長介にしろ。お前は?」
「…高木です。…この体型なんでブータンと呼ばれています」
「タンは余計だな。高木ブーでいい。よし、決まり。えー、仲本っていったかな、お前は?」
「…仲本興喜というんですが、あんまり好きじゃないので、…コウジと読ませてもらっています」
「コウジはコウジのままでおいい。ただし、道路工事の工事と書け。お前は?」
「…荒井…です」
「そうだな。この商売は水商売、水物っていってな、水に関わりがあった方がいい。サンズイがいいんだ。注にしろ。荒井注。いい名前じゃねえか。加藤はカトちゃんだから、加藤茶でどうだ」
「要注意人物」だからだと言う説もある(加藤茶曰く)】


・(中略)こうしてドリフの笑いの構図が出来上がっていった。私という強い「権力者」がいて、残り4人が弱者。嫌われ者の私、反抗的な荒井、私に怒られまいとピリピリする加藤、ボーっとしている高木、何を考えてるんだかワカンナイ仲本。メンバー5人のこの位置関係を作り上げたら、あとのネタ作りは楽になった。


荒井が抜けたとき、ドリフの笑いの前半は終わったという気がする。メンバーの個性に寄りかかった位置関係の笑いだから、荒井の位置に志村けんを入れたからといって、そのままの形で続行できるものではなかった。だから志村加入以後は、人間関係上のコントというより、ギャグの連発、ギャグの串刺しになっていった。


「いかりやは作家の台本をまるで採用しない」「ディレクターを信用しない」「全部一人でやりたがる独裁者」「鬼だ、蛇だ」「金をかすめとってんじゃねえか」という風評がたった。何をかいわんや、である。
私はいつでもネタに追われていた。追いまくられていた。作家の書いてくる本、ディレクターのつける演出はそれぞれよく考えられてはいたが、やはり「頭で」考えられたものにすぎない場合が多く、そのまま客の前にかけられるものではなかった。だからどうしても、一度分解し、再構築する作業が必要になったのだ。「ウケないかもしれないけどやるだけやってみようよ」というようなネタではダメなのだ。一度こっきりの生本番なのだ。「この次」がないのだ。


・志村は他の付き人とは違い、貪欲に笑いを盗もうとしていた。また作ろうともしていた。大勢付き人はいたが、その中でマックボンボンというコンビを組んで、ちょっと空き時間にネタを見てくれなんて発表していたのは志村だけだった。志村はネタを創り上げるという才能があった。

BOOK〜仕事10割!遊び10割!…『志村流 遊び術』
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20080326
BOOK〜金・ビジネス・人生の成功哲学…『志村流』
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20080325


・私たちがクレージーキャッツの面々と違い、優れた芸人の集団ではなく、所詮二流以下のバンドマンの寄せ集めであり、そんなドリフがテレビの番組を続け、生き残っていくには、時間をかけてネタを作り込んでいくしかなかった。
すべては成り行きだった。偶然だった。誰ひとりずば抜けた才能を持つメンバーはいなかった。他人を蹴落としてまで芸能界で生き抜いていこう、という根性の持ち主もいなかったし、確固たる目標もなかった。すべて偶然、偶然、偶然の力によって私はひたすら流されてきただけだと、つくづく感じる。
これから先もザ・ドリフターズの名前通り、漂流物のごとく、流され続けていくだけだ。こんな人生があってもいいのだろう。


・私は元来、こういう種類の四流のミュージシャン、四流のコメディアン、四流のテレビタレントにすぎない。卑下でも何でもなく、それ以上であったことはない。自分ごときが何様で『自伝』か、などと思ってしまう。



読んでみて感じるのは、いかりや氏の謙虚さと正直さ、そして冷静に物事を見ることのできるチカラ「全員集合」が懐かしいね。(^v^)また見ようかな。


DVD〜ザ・ドリフターズ 結成40周年記念盤…『8時だヨ ! 全員集合 DVD』
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20071130