「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

CINEMA〜命を追った、あの夏…『クライマーズ・ハイ』


映画『クライマーズ・ハイ』公式サイト
http://climbershigh.gyao.jp/


ずっと話題になっていたこの映画、今年49回目の懸賞当選で観ましたよ〜!(^◇^)群馬県御巣鷹山に墜ちた日本航空123便墜落事故から早や20年…。早いね…。(ーー;)
横山秀夫原作のベストセラーの待望の映画化。航空史上最大の大事故を報道する地元新聞記者たちの興奮と混乱に満ちた1週間を描く。
クライマーズ・ハイとは、登山中に興奮状態が極限にまで達し、恐怖感が麻痺することなんだって。( ..)φメモメモ

1985年8月12日、群馬県の北関東新聞社の遊軍記者・悠木(堤真一)は、いつものように翌日の朝刊作りに追われていた。

そこに「羽田発大阪行き日航123便が消息を絶った」という臨時ニュースが入った。しかも墜落現場は群馬と長野の県境…地元だ。結果として、搭乗員524名中520名が死亡、旅客機の単独事故としては、世界でも最大の犠牲者数を出した事故になったのだ…。


現場がもし群馬県側なら、北関東新聞にとって地元で起こった大事件。編集局長の粕谷は悠木を日航全権デスクに指名する。この事故をどう報道するか、責任は悠木に委ねられた。
  群馬か長野か情報が錯綜する中、悠木は見出しを選ぶ。「長野・群馬県境の山中」。長野を先に出すということは群馬ではなく長野側が現場だということを意味していた。  しかし、翌早朝テレビに映った現場は群馬県上野村の無名の山、御巣鷹の尾根だった。

悠木の敗北続きの日航機事故報道はこうして始まった。部下の信頼を失い、上司から裏切られ、社長からは叱責を受ける。そして、幻の事故原因スクープ…。 苦悩に満ちた一週間の先に悠木が見出したものとは、果たして何だったのか…。

携帯電話のないこの時代、若い記者たちが山中の現場に飛び込んでいくのだが、手足や胴体がちぎれ飛び、内臓が散乱する墜落現場に打ちのめされる…。それをどう報道するのか…。

しかも群馬県は中曽根首相と福田元首相が反目し合い、北関東新聞の経営陣も両派にわかれ、たがいに腹のさぐり合いやら醜聞探しに躍起となっている…。

いや〜もの凄い緊張感であっという間に鑑賞した…。記者魂というか仕事に対するミッション(使命感)ってすごいね…。それに男の友情、アツいなあ…。\(◎o◎)/


そういえば、私は20歳から竹橋の毎日新聞東京本社の発送部で二年半働いて、学費を稼いで大学に通っていたのだが、その時のことを思い出した。きつかったなあ…。(>_<) 当時で三日に二日21:30くらいから翌3:30くらいまで働いて仮眠室で寝てから大学に通っていて給料が16万くらいだった。わずかだけどボーナスも出たし、何よりも独り立ちできたのだが、理系(農学部農芸化学科)だったので、授業は休めないし…臨時ニュースが入ると発送部の仕事が止まるし…。報道の仕事って大変なんだね。この映画は力作です、観るべし。(^^♪