「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「坂本九ものがたり 六・八・九の九」(永六輔)

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 私の大好きだった『スター誕生』欽ちゃんから司会を受け継いだのは坂本九ちゃんだった。だから私の記憶では九ちゃんは歌手ではなく司会者だったのだ。

 

さてこの本。「世界的な大ヒット曲上を向いて歩こう作詞永六輔、作曲中村八大、歌手坂本九。3人が体験した戦中・戦後を背景に、それぞれが歩んだ人生と出会い、そして名曲の誕生を描く。1985年8月12日の日航機事故で突然の死を迎えた坂本九への痛切な思いを込め、その翌年に刊行された名著。戦後のラジオ・テレビ・歌謡界の貴重な記録」そのエッセンスを紹介しよう。


9月4日。
ジョン・レノンを失った時より辛かった」
北山修がそう言った。
かまやつひろしが、
上を向いて歩こうを歌い、
「夏の時代」コンサートの中で
同世代の歌手達が九を偲んだ。
九とは異質のフォーク歌手達が、
九を偲んだ。
九は彼等に劣等感を持っていた。
それだけに聞かせてやりたかった。


8月12日。
日航機墜落。
九の享年、43歳。
思ってもみなかったアイツの年だった。


昭和16年12月8日
父親は「九」と名付けた。ひさしと読ませた。
前妻の子供達をあわせると九番目だったのである。
「九」をひさしと読むのは、ひらがなの「く」も片仮名の「ク」も
「久」つまり、ひさしからきているからである。
坂本寛(ゆたか)はこの命名を自慢にしていた。


「歌は下手です、芝居も下手です、それでもゼニのとれる芸人になりたい」
昭和39年。
『スキヤキ』を歌う国は60カ国を超えた。約1300万枚。
世界中で日本人の顔を見れば『スキヤキ』が歌われ演奏されるようになったが、その中で、九は歌への自信を失っていたのである。

 

ドリフターズのボーカル&ギターだったとはビックリ!?思えばワタシの母親とそれほど年は変わらない。九ちゃんの人生、あらためて読みました。感動です。オススメです。(・∀・)

 

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