「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜涙があふれて心が温かくなる話…『車いすのパティシエ』

車いすのパティシエ―涙があふれて心が温かくなる話

車いすのパティシエ―涙があふれて心が温かくなる話

ニッポン放送うえやなぎまさひこのサプライズ!』の「10時のちょっといい話」から感動実話23話を収録したこの本はウワサには聞いていたが、読んでみてタイトルの通り本当に涙が出た。(T_T)


車いすのパティシエ』、『命を運んだ救急電車』、『小さなランドセル』など心を打つ話が多いのだが、特に感動したのが、テレビの放映で有名になった『大使になった父親』だ。 


大阪大学を卒業した中田厚仁さん。就職が内定していた会社に一年間の休職を願い出て国際ボランティアに参加し、カンボジアの選挙監視活動に採用された。
当時のカンボジア武装解除に応じないポル・ポト派の支配で毎日のよう死傷者が出るような状態。中田さんは、道なき道を進み、川は泳いだり、カヌーで漕ぎ渡り、野宿を続けながら村々を回り、選挙というものの意味や意義、その仕組みを理解してもらうこと。
そんなとき、中田さんは住民の心を和らげるために、ポル・ポト派に禁止されていた民族音楽を流しながら、選挙の投票の仕方も知らなかった人たちに、優しく丁寧に語りかけていった。


カンボジアの平和と民主化を本気で夢見た中田厚仁さんが銃撃されたのは、1993年。25歳3ヶ月の若さだった。そして一ヵ月後カンボジアで始めての総選挙。中田さんが回った村々の投票率はなんと99.99%!彼の思いは確実に人々の心に伝わっていた。


そして投票箱の中からくしゃくしゃの紙が何通も見つかった。「ありがとう」「アツヒトのことは忘れない」「安らかに眠ってください」、そして日本にいる家族の気持ちを思いやる言葉も…。選挙の立会人の目を盗んで投票箱に入れられた手紙…。それは村の人たちが考えた感謝の思いの伝え方だった。
「ナカタアツヒト村」「ナカタアツヒト小学校」という名前でカンボジアに生きる中田さん。


父親の中田武仁さんは、「自分の残された人生に、息子の遺志を重ねて、2倍に凝縮された時間を生きるしかない。それが息子を生かすことだと考えたんです。」と長年勤めた貿易商社を辞め、国際ボランティア名誉大使の役を拝命する。報酬は……一年間に1ドル。(^_^;)

その他、『生け花タクシー走る!』、『パン屋さんの通信簿〜リスドォル・ミツ』などもジーン…と来る…。最近泣いていない方、ぜひどうぞ!(T_T)


車いすのパティシエ 扶桑社
http://www.fusosha.co.jp/senden/2006/05238X.php