『球界の寝業師』『根本マジック』と呼ばれ、元西武ライオンズ編成・管理部長、元福岡ダイエーホークス代表取締役社長で、西武とソフトバンクの繁栄の基礎を作りあげた根本陸夫の生き様。
プロ野球選手としては二流の捕手、そして監督としても広島、クラウン、西武、ダイエーと通算11年やり、最初の広島の監督で3位が最高であとはすべて4位〜6位の成績しか残せなかった根本が、なぜ裏方の世界で頂点まで登りつめ、なぜ球界地図を変えた男とまで呼ばれるのか?この本を読んで謎が解けた。
特にマネージメント、組織作り、組織運営に携わるビジネスマンに役立つツボとコツが満載されています。私も以前、優秀なビジネスマンをヘッドハントしていた立場だったので、『なるほど〜!』うなるところがたくさんありました。
『自分はつなぎ監督』と自ら称していたように、根本が監督を去った後の球団は広島、西武、ダイエーにしてもどれも優勝を収めている。スゴッ!
・西武ライオンズ監督の伊東勤を熊本の高校から所沢の定時制高校に転向させ、西武球団職員として囲い込み、翌年ドラフト1位で指名。
・巨人から横浜に移籍の工藤公康に熊谷組就職と見せかけておいて、ドラフトで獲得。
・根本ダイエーが一年目の93年。見事に(?)最下位であった。中内オーナーへの報告で『ほぼ順調にシーズンを終えました。優勝を狙うチームを作るのにどこから手をつけたらいいかを観察するのが一年目の目標でしたから。』その後、王貞治監督を自ら口説いてに就任させる。当時巨人以外の球団に行くとは誰も考えなかった。しかも福岡に単身赴任させてまで!
・西武の黄金時代を築いた秋山幸二、西武の監督候補であった石毛宏典、工藤公康もダイエーにFA入団させる。
・マリナーズの城島健司を、他球団には駒大進学のように見せかけドラフト1位で指名。などエピソードは数知れない…。
『野球をやれる時期は短い。一般社会人として生きるほうが長い。だからプロ野球選手も社会人として通用するでないといけない。』『オレは選手をクビにしたことは一度もない』と退団選手の就職の世話をこまめにやったとのこと。
自分が基礎を作り上げたダイエーの初優勝を見ることなく1999年4月に亡くなった。その時のシーズン中には根本の遺影がダイエーのベンチに掲げられ、優勝時の胴上げでは選手が代わる代わる遺影を掲げたという。愛された人だったんですね〜。
巨人やセ・リーグ中心だった球界において、パ・リーグを盛り上げ、現在で言うGM(ゼネラルマネージャー)の存在で球史にその名を刻んだ。野球を愛する人はもちろん、そうでない人にも仕入れることが多いと思います。
素質論CANCODEは、012−555−888。なんとなく納得!