「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「ドラフト最下位」(村瀬秀信)

 

いや〜!いいなあ、この裏のドラマ。最近は、育成選手制度があるから、育成出身で活躍する選手も増えているけど、ドラフト最下位がテーマの本ってなかったよね。(・∀・)
 

「球界の片隅にあった、驚き、苦悩、思いがけない栄光――。ある年に、最後に名前を呼ばれた男たちを追って――。球界の片隅にあった驚き、苦悩、思いがけない栄光を描く」そのエッセンスを紹介しよう。

 
プロ野球ドラフト会議の指名確率を野球人口から換算すれば約0.03%東京大学に合格するよりも難しいとされる狭き門を通過するためには、圧倒的な野球の実力が必要であることは大前提だ。誰が見てもドラフト1位の選手はドラフト1位で指名されるただ、それ以降は、その年の野球の実力の順番で指名されていくような単純なものではなくなってくる。球団それぞれの選手事情なり、その年の豊作度なり、制度の変更なり、その時のタイミングで運命が大きく佐右されてしまう。
 
プロ野球選手に“なった人”と“なれなかった人”。その境界線を引くものは何なのか。それは、その年のドラフト会議で最後に名前を呼ばれた“最下位指名選手である。エリート街道を歩いていない、テレビ中継の生放送に呼ばれることはなく、それでもプロ野球の世界への切符を手にした選手たちだ。その歩みはドラフト会議選手とはまた違った、王道を歩めなかった様々な困難や挫折などと闘ってきた歴史そして、その中で培われてきたプロに指名をされる理由特殊技能ともいうべき“光る何か”を必ず持っていた。彼らの目にプロ野球はどんな世界に映ったのか。そして彼らの野球人生にはどんな結末が待っているのだろうか。
 
 
「公式戦登板なしでプロ入りした男 高橋顕法の場合(1992年広島8位)」「再生された男 田畑一也の場合(1991年ダイエー10位)」「最下位から千葉の誇りになった男 福浦和也の場合(1993年ロッテ7位)」「最下位を拒否した男 高瀬逸夫の場合(1967年南海16位拒否)」「球団幹部に出世した男 大木勝年の場合(1970年ヤクルト16位)」など。

 

いいなあ。このドラマとストーリー、好きだなあ。1位よりも最下位の方が、ワタシには合っているかも。オススメです。(・∀・)