「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「ルポ東大女子」(おおたとしまさ)

 

へー!そうだったのかあ。頂点に立てば立ったでたいへんなんだね。オドロキ。問題提起の本だね。オススメです。(^^)

 

 

「あの公園のベンチにはなぜ仕切りがあるのか? 知らぬ間に忍び寄る排除と差別の構造」(森達也編著)

 

この本、すごいわ。考えさせられるわ!無意識に感じていた違和感をズバリ!コトバにしてくれたっ!!!だって、電車の椅子が、座りにくいんだもん!なぜ!?゚(--〆

排除したい。だからこそ、見えづらくする。街を歩いていても気づきにくいし、目をこらさないと見えてこない。人々の目に付けば議論になる。それを避けるために、ひっそりと、こっそりと、進められていく排除のシステム。誰が排除されているのか。どうやって排除しているのか。11人の論客がそれぞれの専門分野の状況を読み解く」そのエッセンスを紹介しよう。

 

 

なにか大きなチカラが働いているような、いないような。これ、多くの人に共有したいなあ。超オススメです。(^^)

 

 

「考えるとはどういうことか」(外山滋比古)

 

40年くらいまえに夢中になって読んだ渡部昇一外山滋比古の本。当時は知的生活に憧れていたなあ。久しぶりに再読しましたよー!名著というのがよくわかった!♪

 

外山流・思考術の集大成がここに。経験を軽視し、自分の頭で考えることが苦手になった日本人が自由思考を手に入れるためには?超ロングセラー『思考の整理学』の著者が提案する発想のヒント。「球面思考」「第四人称」「触媒思考」、さらに、「曖昧の美学」「民族論理学」「二次的創造」など」そのエッセンスを紹介しよう。

 

素晴らしいなあ、名著だねえ。何度もくり返して読みたいね。再読してよかった!オススメです。(^^)

 

 

「挫折しそうなときは、左折しよう」(マーク・コラジョバンニ・成田悠輔)

この本、いいなあ。風の『3号線を左に折れ』のメロディーが頭の中を流れているなあ。(^^)

 

「なにをやってもうまくいかない。なんでかさっぱりわからない!」そんなとき、どうする?不安、迷い、恐れ、イライラをどうしたらいい??時には思い切って、いつもと真逆のことをしてみると……。ちょっぴり哲学する絵本。だれだってモヤモヤしたり、ビクビクしたり、イライラしたりするものです。そんなよくある悩みとの付き合い方をユーモラスに提案する、成田悠輔、初翻訳絵本」そのエッセンスを紹介しよう。
 

なんの理由もないのに、なにもうまくいかない日がある

さっぱり、まったく、なにもうまくいかない日
挫折しそうだったから。決めた 左折してみようって
まずなにをしたかって?
 
モヤモヤする悩みを置いてきたんだそう、道に置いてきた 
あいつらはどなった「まちがってるぞ!」
 
ビクビクを置いてきたんだ そう、道に置いてきた
「やめろ!」あいつらはそう叫んだけどね。
 
イライラを置いてきたんだ そう、道に置いてきた
あいつらは叫んだ「おまえにゃ無理だ!」「もうあきらめろ!」あいつらは笑った
 
イライラが小さくなってたんだ
ビクビクはずっと静かで
オロオロはずっと落ち着いて
モヤモヤはいないも同じ
 
だから……そいつらを連れ戻すことにしたんだ
で、どうなったと思う?
ずっと軽くなった
もう一緒にいてもそんなに重たくない
 
だけど、もしまた挫折しそうになったら?
そのときはすぐに左折するんだ
 
「生きることが重すぎるときは、ちょっとの間。電源オフにしたって いいんだ」
(マーク・コラジョバンニ)

 

やっぱり悩んでいるときこそ、動いてみることだよね。それが結論っ!オススメです。(^^)

 

 

「背番号への愛着」(竹中半平)


この本、ようやく探しました!1978(昭和53)年発行かあ。ワタシが中二、14歳、野球をやっていた頃だなあ!横浜図書館で見つけちゃいました!♪


プロ野球草創期からセ・パ両リーグに分かれるくらいまでの時代の選手を背番号を通して解説。沢村栄治スタルヒン川上哲治から今では全く語られない選手達。今のプロ野球の隆盛はこれらの選手たちのおかげだね。そのエッセンスを紹介しよう。

 
・単なる番号としてでなく、ユニフォームにつけられた背番号をわが国のファンが初めてみたのは昭和六年に読売新聞が企画した第一回日米野球と称する試合からで、アメリカの選手中には有名な鉄腕投手グローヴや強打の名捕手ミッキー・カクレン一塁手ルー・ゲーリッグなど錚々たる連中がいた。ベーブ・ルースを看板とした昭和九年の日米野球を第二回と呼んだが、実際には明治四十一(1908)年以来何回も来ている。
 
長嶋茂雄の出現によってその現役時代の背番号3は「栄光の背番号」となり今や既に不滅のものとなっったら、戦後の一リーグ時代の少年ファンに「3番は誰?」と問うたなら言下に「大下、千葉、小鶴」という答えが返ってきただろう。古いプロ野球のファンなら必ずや中島、岡田(宗芳、大阪タイガース)石田(政良、中日、石田光彦=阪急)を挙げるであろう。3番時代の中島治康は実によく打った。戦後のファンは青田や岩本のガムシャラさをいうが、全盛期の中島のバットには憑きものがしているか思う位で、触れたボールは悉くライナーとなって飛んで行った。
 
 
16番と言えば、巨人の川上哲治にトドメを指す。16番が川上か、川上が16番か、であった。終戦後の圧倒的人気をあつめたプロ野球で、大下、小鶴、藤村等は背番号なしでも話が出来る。しかし川上となると、絶対に16番と切り離して考えられないから妙だ。川上の16番は彼の復帰前に一時であったが水野忠彦がつけていた。それにもかかわらずこの16番は何だか大昔から川上のものだったような気がして来る。この特別な印象は何によって生じたものだろうか。
 
沢村の14番!!不世出の大投手沢村!プロ野球は沢村によって誕生した。プロの今日は沢村栄治の功績だ、言っても決して過言ではないと私は信じている。あの頃は、沢村だけを見に行って、それが病みつきになって、熱心なプロ野球ファンになったものが相当にある。私などもその一人だったかも知れない。
 
・私がこの稿に筆を執ったはじめは、戦前に活躍した選手のみを対象として簡単に切り上げるつもりでいたが、書きつづけて行く中に、戦後の新しい選手達のことにも話が拡がることもあり、終戦直後に突如として現れた大立物としてどうしても抜かすことの出来ぬ一人の選手について述べておきたい。
 
戦後プロ野球の休息な発展の功労者は誰か?第二次セネタース以来の不変の背番号3番大下弘であると断言して私は憚らない。藤村も、鶴岡も千葉、川上、藤本も、その実力に於ては決して大下に劣るものではないが、大下はビルディングの鉄骨であり、他の人々はコンクリートの壁であり、屋根である。終戦後の二年間に大下が打ち立てた功績は、彼自身意識するとせぬに拘らず燦然たる光を放っている。戦時中の明大にいた無名の大下が、あれ程の大選手になると想像したものが一人でもあっただろうか。
 
やっぱり大下で締めくくるのかあ!明治大学の大先輩!生で観たかったなあ!野球ファン必読。入手困難かもしれないけどオススメです。(^^)

 

 

「死亡率百パーセントを生きるーある愛と死の記録」(木原武一)

 

いろいろな愛のカタチがあるよね。いいなあ。奇跡の物語だね。医学の進歩ってありがたいなあ。オススメです。(^^)

 

 

「カサンドラ症候群 身近な人がアスペルガーだったら」(岡田尊司)