「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「考えるとはどういうことか」(外山滋比古)

 

40年くらいまえに夢中になって読んだ渡部昇一外山滋比古の本。当時は知的生活に憧れていたなあ。久しぶりに再読しましたよー!名著というのがよくわかった!♪

 

外山流・思考術の集大成がここに。経験を軽視し、自分の頭で考えることが苦手になった日本人が自由思考を手に入れるためには?超ロングセラー『思考の整理学』の著者が提案する発想のヒント。「球面思考」「第四人称」「触媒思考」、さらに、「曖昧の美学」「民族論理学」「二次的創造」など」そのエッセンスを紹介しよう。

 

素晴らしいなあ、名著だねえ。何度もくり返して読みたいね。再読してよかった!オススメです。(^^)

 

 

「挫折しそうなときは、左折しよう」(マーク・コラジョバンニ・成田悠輔)

この本、いいなあ。風の『3号線を左に折れ』のメロディーが頭の中を流れているなあ。(^^)

 

「なにをやってもうまくいかない。なんでかさっぱりわからない!」そんなとき、どうする?不安、迷い、恐れ、イライラをどうしたらいい??時には思い切って、いつもと真逆のことをしてみると……。ちょっぴり哲学する絵本。だれだってモヤモヤしたり、ビクビクしたり、イライラしたりするものです。そんなよくある悩みとの付き合い方をユーモラスに提案する、成田悠輔、初翻訳絵本」そのエッセンスを紹介しよう。
 

なんの理由もないのに、なにもうまくいかない日がある

さっぱり、まったく、なにもうまくいかない日
挫折しそうだったから。決めた 左折してみようって
まずなにをしたかって?
 
モヤモヤする悩みを置いてきたんだそう、道に置いてきた 
あいつらはどなった「まちがってるぞ!」
 
ビクビクを置いてきたんだ そう、道に置いてきた
「やめろ!」あいつらはそう叫んだけどね。
 
イライラを置いてきたんだ そう、道に置いてきた
あいつらは叫んだ「おまえにゃ無理だ!」「もうあきらめろ!」あいつらは笑った
 
イライラが小さくなってたんだ
ビクビクはずっと静かで
オロオロはずっと落ち着いて
モヤモヤはいないも同じ
 
だから……そいつらを連れ戻すことにしたんだ
で、どうなったと思う?
ずっと軽くなった
もう一緒にいてもそんなに重たくない
 
だけど、もしまた挫折しそうになったら?
そのときはすぐに左折するんだ
 
「生きることが重すぎるときは、ちょっとの間。電源オフにしたって いいんだ」
(マーク・コラジョバンニ)

 

やっぱり悩んでいるときこそ、動いてみることだよね。それが結論っ!オススメです。(^^)

 

 

「背番号への愛着」(竹中半平)


この本、ようやく探しました!1978(昭和53)年発行かあ。ワタシが中二、14歳、野球をやっていた頃だなあ!横浜図書館で見つけちゃいました!♪


プロ野球草創期からセ・パ両リーグに分かれるくらいまでの時代の選手を背番号を通して解説。沢村栄治スタルヒン川上哲治から今では全く語られない選手達。今のプロ野球の隆盛はこれらの選手たちのおかげだね。そのエッセンスを紹介しよう。

 
・単なる番号としてでなく、ユニフォームにつけられた背番号をわが国のファンが初めてみたのは昭和六年に読売新聞が企画した第一回日米野球と称する試合からで、アメリカの選手中には有名な鉄腕投手グローヴや強打の名捕手ミッキー・カクレン一塁手ルー・ゲーリッグなど錚々たる連中がいた。ベーブ・ルースを看板とした昭和九年の日米野球を第二回と呼んだが、実際には明治四十一(1908)年以来何回も来ている。
 
長嶋茂雄の出現によってその現役時代の背番号3は「栄光の背番号」となり今や既に不滅のものとなっったら、戦後の一リーグ時代の少年ファンに「3番は誰?」と問うたなら言下に「大下、千葉、小鶴」という答えが返ってきただろう。古いプロ野球のファンなら必ずや中島、岡田(宗芳、大阪タイガース)石田(政良、中日、石田光彦=阪急)を挙げるであろう。3番時代の中島治康は実によく打った。戦後のファンは青田や岩本のガムシャラさをいうが、全盛期の中島のバットには憑きものがしているか思う位で、触れたボールは悉くライナーとなって飛んで行った。
 
 
16番と言えば、巨人の川上哲治にトドメを指す。16番が川上か、川上が16番か、であった。終戦後の圧倒的人気をあつめたプロ野球で、大下、小鶴、藤村等は背番号なしでも話が出来る。しかし川上となると、絶対に16番と切り離して考えられないから妙だ。川上の16番は彼の復帰前に一時であったが水野忠彦がつけていた。それにもかかわらずこの16番は何だか大昔から川上のものだったような気がして来る。この特別な印象は何によって生じたものだろうか。
 
沢村の14番!!不世出の大投手沢村!プロ野球は沢村によって誕生した。プロの今日は沢村栄治の功績だ、言っても決して過言ではないと私は信じている。あの頃は、沢村だけを見に行って、それが病みつきになって、熱心なプロ野球ファンになったものが相当にある。私などもその一人だったかも知れない。
 
・私がこの稿に筆を執ったはじめは、戦前に活躍した選手のみを対象として簡単に切り上げるつもりでいたが、書きつづけて行く中に、戦後の新しい選手達のことにも話が拡がることもあり、終戦直後に突如として現れた大立物としてどうしても抜かすことの出来ぬ一人の選手について述べておきたい。
 
戦後プロ野球の休息な発展の功労者は誰か?第二次セネタース以来の不変の背番号3番大下弘であると断言して私は憚らない。藤村も、鶴岡も千葉、川上、藤本も、その実力に於ては決して大下に劣るものではないが、大下はビルディングの鉄骨であり、他の人々はコンクリートの壁であり、屋根である。終戦後の二年間に大下が打ち立てた功績は、彼自身意識するとせぬに拘らず燦然たる光を放っている。戦時中の明大にいた無名の大下が、あれ程の大選手になると想像したものが一人でもあっただろうか。
 
やっぱり大下で締めくくるのかあ!明治大学の大先輩!生で観たかったなあ!野球ファン必読。入手困難かもしれないけどオススメです。(^^)

 

 

「死亡率百パーセントを生きるーある愛と死の記録」(木原武一)

 

いろいろな愛のカタチがあるよね。いいなあ。奇跡の物語だね。医学の進歩ってありがたいなあ。オススメです。(^^)

 

 

「カサンドラ症候群 身近な人がアスペルガーだったら」(岡田尊司)

 

「ドリルを売るには穴を売れ 誰も「売れる人」になるマーケティング入門」(佐藤義典)

 

このタイトル、よく耳にするけどようやくちゃんと読むことができましたー!♪なーるほどそうだよねー!腑に落ちる〜〜!φ(..)メモメモ

 

モノを売るすべての人に向けたマーケティングの入門書です。タイトルの「ドリルを売るには穴を売れ」とは、マーケティング業界でよく言われる言葉で、「商品を売るには、顧客にとっての『価値』から考えよ」という意味。新人マーケッターが閉店寸前のレストランを復活させるサブストーリーも展開」そのエッセンスを紹介しよう。

 

マーケティングとは何か」をひと言でいえば「顧客」に関するすべてのこと。つまり「売ることに関するすべてのこと」。市場調査、広告制作、営業戦略、などのすべてが含まれる。あなたが「買う」ときに、その逆に「売る人」がいる。あなたが何かを買うときには、売り手にとってのマーケティングが起きているのだ。

 
マーケティング脳を持っていると、マーケティングのヒントを発見した瞬間だけなぜこのようなメニューになっているのか」「なぜこの店員はこのようなセールストークにしたのか」「なぜこんな広告のメッセージになっているのか」と活発に動き出す。
 
マーケティング脳を鍛えるのは、自分の身の回りから学べばよい。何かを買ったとき、買わなかったときに「なぜこの商品を買ったのか?」「なぜこの店で買ったのか」を考えていけばよいのだ。また、あなたが買ったものについて、「なぜ買ったのか」という本当のホンネの理由は、あなただけが知っている。電車の中でボーッとしているのでは時間がもったいない。そのような時間を使って「マーケティング脳」を鍛えればよい。しかも無料だ!
 
・最低限知っておくべき理論
 
1 ベネフィット 顧客にとっての価値
2 セグメンテーションとターゲティング 顧客を分けて絞る
3 差別化 競合よりも高い価値を提供する
4 4P 価値を実現するための製品・価格・販路・広告
 
・あなたが工具のドリルを売っているとする。あなたにとっての売り物はドリルだが、顧客にとっては、ドリル自体ではなくドリルが開ける「穴」に価値があのだこの「穴」がベネフィットということになる。顧客は「ドリル」を買っているわけではなく「穴を開ける道具」を買っているのであり、あなたはドリルではなく「穴を開ける道具」を売っている。
 
「顧客にとっての価値を高める」「顧客が買うための手間、時間、エネルギーを減らす」「値下げをするための努力をする」
 
・「心理的セグメンテーション」
 
1 革新者 一番最初に見つけて、使いはじめる人
2 初期採用者 一般に広く普及する前に使い始める人
3 前期マジョリティ 普及し始めるころに使い始める人
4 後期マジョリティ ほぼ普及したのを確認してから使い始める人
5 遅延者 一番遅れて使い始める人。または使わない人
 
TDRが主に提供しているのは、情緒的ベネフィットだ。ひと言でいえば「夢のような楽しい時間」を提供しているのだ。別世界に来たかのような居心地の良さが、TDRが提供している時間だ。ゴミひとつ落ちていないパーク、スリリングな乗り物、ゆったりと楽しめる落ち着いた乗り物、計算し尽くされたイベント、サービスの良い飲食店など、来園者を楽しませる数々の仕掛けがある。
 
TDRに一人で来る人はほとんどいない必ずといっていいくらい家族、カップル、友人グループなど複数人以上のグループで来ている。TDRが売っているのは、入園チケットかもしれないが、本当に売っているものは「楽しい時間」と「素晴らしい思い出」なのだ。実は、チケット収入は44%と半分にも満たない。売上の半分以上を物販と飲食で稼ぎ出しているのだ。そう考えると、TDRのさまざまな仕組みが、見事に整合性をもってつながってくる。その結果として、顧客単価9220円という素晴らしい数字を上げている。家族4人で4万円、それでも年間2500万人が入場するということは、それだけの素晴らしい価値を提供している何よりの証拠だ。
 
そおだね!ワタシの「てるてるソング」「流し」を聞いてくれてる人は、ワタシの歌ではなく、自分の思い出や過去の人生にアクセスしてタイムスリップして、泣き笑いしてくれてるんだなあ。なーるほど。これ、新たなキャッチフレーズにしよう!超オススメです。(^^)
 

 

 

「明治を作った密航者たち」(熊田忠雄)

 

「ヒミツ」「秘密」「裏」「禁」などのコトバに惹きつけられるよね。真実は表ではなくて「裏」にあるような気がするよね。(^^)

 

さてこの本。タイトルに惹かれるじゃあーりませんか!?

幕末、厳しい監視の目をかいくぐり、他国へ密航を図る者たちが少なからず存在した。発覚すれば死罪とされる中、外国の進んだ知識や技術に直接触れるには、危険な渡海しか途(みち)はなかったのだ。本書では、伊藤博文井上馨などの長州ファイブ五代友厚らの薩摩スチューデント同志社設立の新島襄などの、近代日本に功績のある人物をメインに取り上げ、彼らの密航実現までのプロセスをたどり、最大のヤマ場である脱国当日の動きを検証した。 国外脱出を企てた者たちの本懐達成に至るまでには、いずれも興味深いドラマが秘められている」そのエッセンスを紹介しよう。

 

・平成二十五年秋、長崎県対馬で、図らずもこれまでの「江戸時代は鎖国」という認識を根底から覆す史実があったことを知り、仰天した。対馬歴史民俗資料館の展示コーナーで「江戸時代、対馬藩朝鮮半島の釜山に設置した外構や貿易などをつかさどる出先機関を描いたもの」と記されていた。(まさか!鎖国体制のもとで、国内に日本の出先期間が置かれていたとは、いったいどういうことなんだ!)

 

・江戸時代の対外交易は、ここ対馬藩ばかりでなく薩摩藩琉球経由での対中国)や松前藩蝦夷地でのアイヌを含む対北方民族)でも行われており、幕府直轄の長崎・出島を含め、これら四か所の窓口を歴史学では「四口」とか「四つの口」と呼ぶということも知った。研究者の間で「鎖国」という表現の使用を控える動きが主流になっている。つまり対外歴研究の見直しの結果、江戸時代の日本は、あたかも貝のごとくじっと殻に閉じこもり、外界との接触を断っていた“閉ざされた国”ではなかった”いうことである。


密かに海外へ渡航を企てる、いわゆる密航者も少なからず存在した。幕末期に急増したのだ。それは開国後、欧米諸国からヒト・モノ・情報がどっと国内に流れ込んで来ると、それらに接した日本人の中から、是が非でも現地へ行き、進んだ文物制度に触れてみたい、先進知識や技術を習得したいと考える者が続出したからで。彼らは在留外国人の協力を経て国外脱出を図った。


・本書ではこのような国禁に背くさまざまな行為の中で、幕末の密航を取り上げる。国を出るのも戻るのも、発覚すれば死罪とされる中。危険を顧みず彼らに密航を決断させた動機とは何であったのか、手助けしてくれる仲介者をどのように見つけ出し、話をまとめたのか、渡航費用をはじめ現地での生活費や学費をどう工面したのかなど、それぞれの密航実現に至るまでのプロセスをたどり、最大のヤマ場である脱穀当日の動きを細かく検証した。いずれも興味深い人間ドラマが秘められていた。


・密航に成功した者たちは出国時こそ国家の「重罪人」とされたが、異国での学術修行を終えて帰国すると、申請日本では一転して「洋行帰りの知識人」と、もてはやされ、各分野の指導敵立場に就いて手腕をふるった。その意味で、初期密航者たちが明治の礎となったといっても過言ではない。

 

・一方、長州藩吉田松陰のように密航に失敗し、無念の涙を流した者たちも少なからずいた。また加賀の豪商、銭屋五兵衛や長崎の女傑商人、大浦慶たちについては今なお密航伝説が語り継がれている。こうした密航にまつわる余話もあわせて紹介する。

グループ密航者を出した藩を挙げると、薩摩、佐賀、熊本、柳川、久留米、土佐、宇和島、長州、広島、加賀などで、このうち加賀を除けば、ほとんどが西日本の諸藩で占められていた。一方、単独密航を企てた者たちの出身地は、東京、埼玉、静岡、新潟、福井、岐阜など東日本各地に分散しており、グループ密航者とは対照的である。これら密航者のうち欧米など遠隔地をめざした者については、ほぼ特定でき、その人数は約五十名である。


国内にいて悶々鬱々としながら空しく日々を送るより、いっそ国禁を冒してでも外国へ行って見聞を広め、進んだ知識や技術を習得して帰国後、それを国のために役立てようと考えた。そこには知への強い渇望と高い志がうかがえる。厳しい制約の下で熱き思いをたぎらせ、決死の覚悟で波濤万里(はとうばんり)を超えて行った当時の密航留学生の一途な行動がから見習うべきものもあるのではと思う。

 


「長州ファイブの深夜の脱国劇(イギリス)」「タスマニア島の石碑・銭屋五兵衛(オーストラリア)」「女傑商人のインド、上海密航・大浦慶(インド・清)」など。

 

いいなあ。ドラマチックだなあ。この時代のことを知るとモチベーションが上がるよね。オススメです。(^^)