「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「武士道的一日一言」(新渡戸稲造)

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100年前といえば、大正時代。ようやく男性にのみ選挙権が与えられ、関東大震災があり、第一次世界大戦があったよね。当時の大卒サラリーマンの初任給(月給)は、50~60円だったそうな。何倍だ?計算できないー!!!
 
さて、この本。ちょうど100年前の、大正時代のベストセラーがコレ。新渡戸稲造といえば、5000円札。そして「武士道」を世界に広げた人。現代語になおして読みやすくなりました。そのエッセンスを紹介しましょう。
 
 
1月20日 誠の道
 
人の世話をすれば「親切なふりをして」と言われ、本を読んでいれば「学者きどりだ」と言われ、何かを主張すれば「ちょこざいな」と言われ、もっと真面目にやろうよといえば「何様のつもり」と言われる。他人の陰口にびくびくしていると、電車で席もゆずれないし、本屋で本も買えない。人生でいちばんまずいのは、心の命じるがままに行動しないこと。よいことを行うのに何も遠慮はいらない。
 
かたくなと笑へば笑へ真直(まっすぐ)な
誠の道を行ける此の身を
 
 
1月31日 抑の一字
 
飲食はできるだけ淡白にし、房事をできるだけ慎むのが、人としてよりよく生きる秘訣である。衣類をなるべく質素にし、身辺の品もなるべく粗末なものを用い、部屋もなるべく簡素なしつらえとする。これが家をきちんと維持するための秘訣である。贅沢への願望を抑え、好き放題にしたいという欲望を抑えること。国をあずかるような偉い人にとっても、自らの人生をよりよく生きたいと願っている人にとっても、「抑」の一字こそがもっとも重要な要である。(大田錦城 江戸後期の儒学者
 
 
4月8日 灌仏(かんぶつ)会
 
今日は灌仏会、お釈迦様の誕生日である。釈迦が世の人のために、自分の身を捨てて尽くしてくれたことに、あらためて感謝しよう。たとえ宗教が違っても、すばらしい先達が我々を教え導くためにしてくださあったことは、歴史から拭い去られることはないのであり、気持ちをあらたにして釈迦の徳に思いをはせよう。釈迦の教えによって、どれほどの疑問が解決し、どれほどの妄想が追い払われ、どれほどの黒雲が消え去ったことであろうか。
 
入りがたき草の戸刺ざしも秋風の
吹きはらふにぞ月は澄みける  (宗良親王 後醍醐天皇の皇子)
 
 
5月11日 忘恩
 
人から元手を借りても、商売がうまくいけば自分の手腕だと思う。研究がうまくいえば、教わった先生の恩を忘れてこれが自分の力量だと自慢する。病気がなおると医者の力だと手篤い看病のおかげだとは思わないで、自分の養生がよかったのだという。人からうけた恩は忘れやすい。
 
おのが目の力で見ると思ふなよ
月の光で月を見るなり
 
 
5月22日 袈裟と坊主
 
この世に間違いを犯したことのない者はいない。私も例外ではない。だが、間違いを犯した人を憎むのは、間違っている。罪を憎んでも人は憎むな。過失と人は別にすべきだ。坊主と袈裟は別なのである。
 
濁り江や小川の水にしづめども
まことは同じ山の瑞の月 
 
 
12月18日 衣服も皮も自分ではない
 
外に出ると、最先端のファッションで着飾った紳士淑女らと次々とすれ違う。では自分の姿はどうだろうと鏡に映してみて、恥ずかしく思ったなら、よくよく考えてみてほしい。衣服は自分ではない。皮も自分ではない、ただ心だけが自分なのだということを。
 
我が姿醜かりとて恥ぢなせそ
こころ言葉を清く持てれば
みめあしく姿に花は咲かずとも
心に実をば結べ世の人

 

いいねえ。100年前だよー!やっぱり真理はいつの時代も変わらないんだね。オススメです。(・∀・)

 

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「雑談力 ストーリーで人を楽しませる」(百田尚樹)

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ベストセラー作家・百田尚樹さん。全作品読破を目指している中、意外や意外!こんな中身の本も出しているんだ!以前、ワタシの「雑談力」というテーマでセミナーを何回かやってことがある。こりゃネタを増やさなきゃ!と思って読んだのがこの本。


「書くより喋る方が100倍も好き」と語るベストセラー作家が、面白い話を構成する技術を開陳。一度聞いたら忘れられない著者自身の失敗談など「ウケるネタの具体例」も満載。雑談で人を楽しませる快感を味わうための一冊!」そのエッセンスを紹介しよう。

 

・実は話すというのは、書くよりもはるかに難しい技術です。しゃべるのはその場での一発勝負です。推敲はできません。起承転結を考えて、尚かつ盛り上げにも留意して、最後のオチも決めるーこれを即興でやるのがトークです。
 
・人が注目して聞く話を5分以上するというのは、話術に加えて構成能力が不可欠です。構成力というのは、その話を一つの「物語」として組み立てる力です。
 
・私はテレビ業界に長くいたので、小説を書く場合にも「つかみ」にすごく気を付けます。極端な話、最初の1ページから面白いシーンがないと気に入らないのです。私のすべての作品はすべて最初の1ページから物語が動きます。私が意図的に冒頭をスローモーに作ったのは『プリズム』だけです。ベストセラー作家と言われている人の小説は、たいてい最初の1ページから物語が動き始めます。そう考えると、やはり「つかみの能力」イコール「物語作る能力」かなという気もします。
 
地球上には、自然界で生きていけない動物が一種類だけいるんです。それはカイコ(正式名称「カイコガ」)。足の力が弱いので、仮にカイコを野外の桑の下に止まらせても、葉っぱにつかまっていることができません。一日で葉から落下して死んでしまうのです。成虫になっても羽の筋肉は退化していて、羽ばたくことはできても飛べません。つまり人間の飼育環境下以外では、まったく生きることも繁殖することもできない動物なのです。
 
・他人に面白い話をする時には大事なことは、数字をあやふやにしないことです。具体的な数字があることによって、話のリアリティが格段に増すし、話の面白さがぐっと伝わりやすくなるのです。
 
面白い話ができる人になりたいと思えば、普段から、面白い話をストックしておくことをお勧めします。そのためには、まずネタを仕入れることです。本、新聞、テレビ、人の話からも面白い話を覚える」という気持ちを持ちましょう。
 
・ある男の子が銭湯で番台のおばちゃんに尋ねます。
「男の子はいくつになったら女湯に入れなくなるの」
すると、おばちゃんはこう答えます。
「女湯に入りたい、と思った時」
 
多くの人が勘違いをしているのは「相手が興味を持ちそうな話をすればいい」と思っていることです。実はこれは全然違います。本当に面白い話は、「話し手が一番興味ある話題」なのです個人的な興味の話を「いかに面白く話せるか」「自分の話したいことを、聞く方の身になって話す」ということです。
 
・一番大切なことは「人を楽しませたい」という気持ち。
 
雑談力は七割以上が話術です。情報部分は三割以下と思っていい。
 
・「板垣死すとも自由は死せず」→ 「痛い!医者を呼んでくれ」
 
「一度は絶滅したバーバリライオン」「なぜ惑星?」「葛飾北斎は93回引っ越した」「ロゼッタストーンを解読したジャン・フランソワ・シャンポリオン」「三つの箱のゲーム(モンティ・ホール問題)」四色問題」「失敗を笑いに変えるのは成長の証」「当て馬(噛ませ犬)の語源」「ビワアンコウのオスの悲劇(喜劇)」「ガガーリンの謎の死」「世界記録35回のブブカ」「サチェル・ペイジ」「同時三階級制覇ヘンリー・アームストロング」「ギネス認定世界一のケチヘティ・グリーン」「ベルリオーズの成功と恋と失恋」「国鉄の赤字37兆円!」「宝くじ250万分の1=人間の髪の毛10万本×25人」「オランダの英雄・メーヘレン事件」「脱獄囚・白鳥由栄(吉村昭破獄』佐久間清太郎)」「吉田清治=吉田雄兎(ゆうと)のミステリー」「戦後40年、突然の抗議」などなど。
 
さすがに話題も文章も上手い、オモシロイ。一気に読ませるねえ。やっぱり「ストーリー」だね。このシリーズ続編を出して欲しいなあ。オススメです。(・∀・)

 

 

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「人間はなぜ歌を歌うのか? 人類の進化における「うた」の起源 」(ジョーゼフ・ジョルダーニア)

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7月の後半から体調を崩し、集中力と持続力と理解力がなくなり、約一ヶ月間本を読めなかった。(・_・;) こんなことは初めてだった。毎日、本を読むという習慣は、もう25年くらいになる。呼吸をするくらいに当たり前のことが再びできるようになったいうのは、回復の証だろうな。(・∀・)
 
さてまたまた素晴らしい本を読みましたよー!!!(・∀・) 「酒場のギター弾き」のワタシ、なぜ歌が好きなのか、なぜ歌わなければらないのか、その答えがここにあるっ!!
   
人間はなぜ歌うのか?――音楽とは、人類の進化の過程で、私たちににいったい何をもたらしてくれたのでしょうか。かのチャールズ・ダーウィンは、音楽を「人間の通常の生活に直接の役には立っていない」と評しましたが、そうであれば、私たちはなぜこれほど音楽を、とりわけ「歌」を愛するのでしょうか。 本書は、その単純な疑問から出発した、しかし実にユニークで広大な「人類の進化」について語る本。そのエッセンスを紹介しよう。
 
「人はなぜ歌うのか」という疑問は、人類の進化の過程における最大の謎の一つである。チャールズ・ダーウィンは、この問題に頭を悩ませた最初の人物の一人である。多くの学者たちも同様に、歌唱のように非常に時間と精力を消費する現象が、あらゆる社会、文化、そして地域に、なぜこのように普遍的に拡がっているのか、疑問を感じていた。
 
歌うことはほとんどすべての生物にとって、潜在的に非常に危険な行為であるという点である。つまり、歌うことは周囲にいるすべての肉食獣たちに、その歌い手の存在を明かしてしまうのである。これが、ほとんどの動物が歌わない理由である。鳥でさえ、地上に降り立つときには音を立てなくなるという事実である。地上に住む種は樹に住む種よりもはるかに無言である。
 
地上に住む動物種で歌う種は、ただ一つもない。一つだけ例外がある。それが人間なのである水中に住む動物種の中には、クジラやイルカ、アザラシやトドのように、少しは歌う種がいるが、地上に住む種には、まったくいない。不思議なことにこの事実は、一般に歌うことの進化の歴史の上で、そして特に人類の進化の歴史を理解する上で、絶対的、決定的に重要である。
 
われわれの祖先は大声で歌うことを、肉食獣に対する防御システムの中心的要素に切り替えたのである。彼らはリズムに合わせて大声で歌い、叫んだり、物を投げつけたり、威嚇するように活発に体を動かしながら、自分たちを肉食獣から守り始めた。
 
ボディ・ペインティング、着衣、男性の声域も、威嚇、戦闘トランス状態、肉食獣を追い払うのに役立った。
 
人はなぜハミングするのか?ほとんどの人が気分の良いときにハミングする通常心地よい行為である。
 
その他、「モノフォニーとポリフォニー」「人類が歌い始めたのはいつか?」「歌うことが生命を救ってくれるか?」「リズム、戦闘トランス、そして集団的帰属意識」「原人は実際に肉食獣と直接には戦う必要がなかった」「人間とライオンは並行して進化した」「死体の奪還=人類の前史における人食いの風習」「防御作戦のとしての体臭」「音楽に感謝」「誰が最初の質問を発したのか?」「クジャクの尾」「音楽の記憶は最後まで失われないか」など。
 
やっぱり良い本は、再読したいね〜。噛み締めて理解を深めたい本。超オススメです。(・∀・)

 

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「「黄金のバンタム」を破った男」(百田尚樹)

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いや〜感動したっ!!!ボクシングってスゴイわー!ほとんどがワタシが生まれる前の時代のこと。ファイティング原田ってこんなにスゴいボクサーだとは知らなかった。ゴメンナサイ……。今年読んだ本のベスト3に入るわー!日本人の誇りだね〜!(・∀・)
 
打たれても打たれても前に出る男は、こんなにも美しい――。敗戦から十余年、十九歳で世界王座についたファイティング原田。三年後、史上最強と言われていた「黄金のバンタム」 エデル・ジョフレを破り、日本人初の二階級制覇。だが 時代の寵児となった原田の前に、世界の強豪が立ちはだかる。一九六〇年代、日本人を熱狂させた男の戦いを描きつつ、昭和の“熱"を見事再現した傑作ノンフィクション。『リング』を改題」そのエッセンスを紹介しよう。
 
現在と昔ではボクシングの世界チャンピオンの価値がまったく違う当時のチャンピオンは世界にわずか8人しかいなかった。つまり八階級。ちなみに現在は十七階級。そかも主要四団体で総計は70人ほどになる。
 
・昭和27(1952)年、白井義男がこのタイトルを獲得した時、日本人は敗戦によって失われていた自信と誇りを取り戻した。白井こそは日本人の希望の星であり、そのタイトルは一人白井だけのものではなく、日本人が自分たちのタイトルだと思っていた。二年後、白井がタイトルを失うと、多くの日本人がそれを自らの悲しみとした。以来、このタイトルの奪回は国民の悲願となった。8年もの長きにわたって「世界」は彼らを跳ね返し続けて、日本人はあらためてその壁の巨大さを知った。そんなとき突如、19歳の若武者が現れ「世界」を奪回したのだ!
 

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・「原田のトレーニングと減量は人間の限界を超えていると思った。前年に行われたオリンピックの選手たちを取材したことがあったがオリンピック選手も敵わないほどの激しいトレーニングだった
 
ボクシングを長く見ていると「運命」というものがあるような気がしてならない二つの拳がコンマ何秒の間に何度も交錯するーその瞬間、実は「運命」も激しく交錯しているのだ。「運命の女神」さえどちらに微笑もうか迷うような試合において勝利を掴むボクサーは実力以外の「何か」に支えられている。
 
日本ボクシング史上で最も偉大なる勝利は、白井義男のマリノ戦の勝利と原田のジョフレ戦の勝利だといっても異論はないと思う。この二つこそ、まさに歴史的な勝利だった。
 
現在にいたるも、フライ級とバンタム級の二階級を制覇したボクサーはファイティング原田ただ一人だ。どうやらフライ級とバンタム級には大きな壁があるようだその意味でもこの階級の壁を乗り越えた原田の偉業はもっと称えられていいしかも一階級にチャンピオンが一人しかいない時代だけにその記録は価値が高い。
 

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・昭和41(1966)年、5月、原田対ジョフレの試合のテレビ視聴率は63.7%という驚異的な数字をマークした。まさに全国民が固唾を呑んで見守ったのだ。この数字は歴代視聴率の第5位にあたる。この年、ザ・ビートルズの来日公演が、56.5%であるから、いかにすごいかがわかる大衆は原田の持つ、明るい性格、一所懸命に努力する真面目さ、目標とするものに向かうひたむきさ、大言壮語しない謙虚さ、礼儀正しさ、といったものを愛したのだ。原田こそ、まさに戦後の日本人が忘れていたい古き良き日本人の美質を持った若者だった。だからこそ、国民はそんな原田を懸命に応援したのだ。原田のボクシングは無骨であり、不器用だった。打たれても打たれても前進を止めず、決して逃げることもなく、飽くなき闘志で向かっていった。だからこそ国民はそんな原田を誰よりも応援したのかもしれない。
 
・昔からボクシングの世界では「階級を上げても、パンチは持っていけない」といわれている。つまり一階級上のクラスに行くと、下の階級では通用していたパンチ力が通用しなくなるのだ。
 
「ボクシングを始めた時から、十年やったらやめるつもりでいた」という言葉に、原田の芯の入った覚悟を感じる。原田の練習および減量はまさに「地獄」を思わせるものだった。多くの記者が「なぜ、これほどまでに……」と思ったほどの凄まじいものだった。遊びたい盛りであるにもかかわらず、すべての誘惑を断ち切り、ストイックに修行僧のような生活を続けることができたのは、実に「十年」という覚悟ではなかったかと主う。ファイティング原田という男は鋼鉄の意志を持った男だったのだ。
 
「他のことはいつでもできる。でも、ボクシングは今しかできない。それに世界チャンピオンとリングで戦える人生なて、他に比べることができないじゃないか。」
 
白井義男とドク・カーン博士」「三迫仁志、矢尾板貞雄。米倉健志。パスカル・ベレス。「シャムの貴公子・ポーン・キングビッチ、関光徳」「フライ級三羽烏海老原博幸、青木勝利、原田政彦)」「黄金のバンタム=エデル・ジョフレ」「オーストラリアのスポーツ史上、最悪の恥辱=世紀の大誤審」など。
 

良いなあ!ボクシング!久しぶりにあしたのジョー「がんばれ元気」を再読したくなりましたー!超オススメです。(・∀・)

 

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「向田邦子の遺言」(向田和子)

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以前小田原の実家で飼っていた猫のニャン太が失踪して2年。たまたま帰省したときに、ふっと現れたことがあった。驚いたっ!!!いつもと変わらない様子でいつもの場所でエサを食べて、相変わらず太くてカワイかった。それからまた失踪。自分の死期がわかるように、きっと最期のお別れの挨拶に来たんだろうなあ…。
 
さてこの本。飛行機事故で亡くなった向田邦子さん。実は遺書らしきものが残されていた!!!えーっ!知らなかったー!まるで自分の死期がわかるような内容だった。そのエッセンスを紹介しよう。
 
・姉が突然私たちの前から姿を隠して20年が経った。この20年は、傷心の歳月とともに、私にとっては発見の毎日でもあった。「さすが、お姉ちゃん、一筋縄じゃあいかない。いろいろな仕掛けを作っておいて、まだ私を向こう側から試している」そんな気になるほど、姉の思い出は、生きることの意味を私に教え続けている
 
・姉は旅行に行くとき私に、「もしものときは、テレビの上にメモがあるから、見て下さい」と前から言っていたのだ。でも私は、それを見るということが起こりうるとは考えないから、「あ、分かりました」と言うだけで見たことなんかなかった。それで、実際に事故になったら、そう言われたことも、頭のどこにも残っていなかった。茶封筒から取り出した紙を見ると、台本用の原稿用紙4枚で、そこに万年筆でかなり大きな文字で、走り書きのようにメッセージが書かれていた。
 
「どこで生命を終わるのも運です。体を無理したり、仕事を休んだりして、骨を拾いにくることはありません」
 
・「あなたには小料理屋をやってほしいの。女同士でも気軽にはいれて飲み食いできる店って、案外少ないから、いけると思う。あなたは料理が上手だから、あなたの手持ちの料理でとりあえず始めても、やれるんじゃないかしら。お金は私が出すから、場所もいい、人気(じんき)もいい所で、やりましょ。あなたが、そういう所で働いている姿を見るまでは、私、死にきれない

 

最期のときって、何か虫の知らせってあるのだろうか。ワタシのオヤジも、自分の半生を綴った本を書き終わってからすぐ亡くなったしなあ……。自叙伝を書くのはもう少し先にしよう。(笑)オススメです。(・∀・)

 

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「ミュージシャンはなぜ糟糠の妻を捨てるのか?」(細田昌志)

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いや〜このタイトル、いいわー!このテーマで本が書けるくらい多いんだろうねえ〜!(笑)(・∀・)
 
「貧しい時代から苦労を共にして来た妻」──糟糠(そうこう)の妻。名だたるミュージシャンの多くが苦労時代を支えた妻を捨て、やがて「トロフィーワイフ」に乗り換える。それがメディアで報じられるたびに批難轟轟となることも多いが、そんな彼らミュージシャンは果たして本当に薄情で不義理な人物なのか? GLAYのTERU、布袋寅泰桜井和寿小室哲哉矢沢永吉大物ミュージシャンのそれぞれの人生を辿りながら、彼らが糟糠の妻と別れることになった事情と思いを読み解くことで、そこに浮かび上がるものとは?」そのエッセンスを紹介しよう。
 
なぜミュージシャンは糟糠の妻を捨てるのか?
彼らには、共通する性格的な欠陥があるのだろうか。それとも、彼らと結婚する女性に何かしら共通する問題でもあるのだろうか。
人間である以上、糟糠の妻と別れたミュージシャンの中には、妻に対して恩義を感じ、罪悪感も人並みにある人物だっているだろう。いや、むしろ、離婚したことと、恩義を感じていることは、別の問題のような気がする。
 
・筆者は糟糠の妻と別れた、名だたる人気ミュージシャン5名を列挙し、そのときの経緯を一から知らべることで、改めて考察を加えてみた。どのタイミングで悲劇は避けられたのか、本来ならどうすればよかったのか。
 
・芸能人になろうとする者にとって「いつかは、芸能人と付き合いたい、芸能人と結婚したい」おそらく芸能人の半数以上が、この望みを抱いて芸能界の門をくぐっているのではないか。
 
ミスチル「Love is Blindness」ルージュの伝言』は矢沢永吉がモデル
 
「TERUの場合」「布袋寅泰の場合」「桜井和寿の場合」「小室哲哉の場合」「矢沢永吉の場合」「特別対談 香山リカ×細田昌志「本当に男が悪いのか?」」など。
 
ヨカッタ〜〜!!!「小野塚テルの場合」って掲載されてなくて!(笑)男だから、その気持ち、よく分かるっ!オススメです。(・∀・)

 

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「男というもの」(山口洋子)

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作詞家、小説家の山口洋子さん。銀座のママでもあり、五木ひろしの育ての親でもあるよね。きっと男と女を知り尽くしているんだろうなあ!いろいろと教えて欲しいなあ……ということで読んだのがこの本っ!(・∀・)


愛していて欲しいけれど縛られるのはごめん。女は惚れていろ、男は自由にやる。これがどこまでいっても男の本音と理想なのである」 男と女の「愛」と「性」における本性・本音をズバリと抉り出す痛快エッセイ」そのエッセンスを紹介しよう。

 

女にとって、男のいちばん魅力的な顔の瞬間というものは、例のあのことを終わって煙草をいっぷく、ふっと他のことを考えている横顔である。
それにも条件があって、ちゃんと女を心ゆくまで満足させたあとでないといけないイヤというほど、女をシャウト(叫び)させ、自分もそれにあわせて小気味よく切りあげた情事のあとの男の姿ほどかっこよく、かつセクシーなものはないと私は思う。
 
・反対に女がいちばん嫌だと思う男の顔は、恋人である自分と一緒に居ながら他の女にチョロチョロと眼鏡をとばす、そのときの顔である。そのときほど、男が卑しく、あさましく、助平なバカヅラに見えることはない。
 
男にとって女は、人生の華(あい)であり、エネルギーであるけれど、女にとって男は人生そのものである。
 
男は着せてみて、女は脱がせてみてこそ初めてその本音本性がわかる。
 
・男は遊んで、いろんなことを放出して解消しながら歩いて行く。女っていうのは何かしら受け止めながら、歩いてしまう。
 
・女が男に傘を持ってゆけ、ゆけ、とすすめるのは、傘を邪魔にして帰りに飲みに行かないようにという深謀遠慮なんだよ、あんた。
 
・肌合いとか肌が合うというのは、ただの皮膚感覚だけではない。日本語で「肌」とは、心の感触です。肌が合うというのは皮膚感覚のみが合うのではなく、心の間合い、ひだひだがぴたりと合う感じ。
 
・女にしてみれば、あのクライマックスの瞬間は、天をめざして天馬が駆け上がってゆくか、地の底に気持ちよく落ち込んでゆくような気分だから、「おいで、受け止めてやる!」という男の一言が、それこそ決まりィってもんで、あとはよけいな言葉などはいらない。少々あらめの鼻息だけで沢山である。
 
・女性の身からいうと、セックスの味、不出来などは実をいうとそれほど問題じゃない。惚れた男とからだを合わせられたということじたいが最高の歓びので、そこらあたりは男性のセックス観と大いに開きがあるところである
 
・雨が振ると女は男が欲しくなるかという根拠。ピーカンと晴れまくった青空の下で一発やりまくりたいとは男の欲求であるが、女の願望はどちらかというと暗い湿っぽいホテルの一室か、何かでで、じめじめシコシコと行いたい。それにはやはりモトモト灰色の雨の日が最適なのである。とにかく外が濡れてりゃなかも濡れやすいというのが結論だが、好きな女がいたら、晴れた日に三回口説くより、雨の日に一回口説いた方が効率が良い。
 
情事を済ませたとたん、女は夢を花開かせ、男は旅を考える。
 
なんにしても男性(スター)は女の想像外で生きて欲しい。いわばつかまえどころのない自然体のみが、訳知り女をホロリと参らせたり芯から喜ばせたりするからである。

 

なかなか鋭いなあ……女は怖いなあ……分からないなあ……もっと社会勉強しなきゃ。オススメです。(・∀・)

 

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