いや〜感動したっ!!!ボクシングってスゴイわー!ほとんどがワタシが生まれる前の時代のこと。ファイティング原田ってこんなにスゴいボクサーだとは知らなかった。ゴメンナサイ……。今年読んだ本のベスト3に入るわー!日本人の誇りだね〜!(・∀・)
「打たれても打たれても前に出る男は、こんなにも美しい――。敗戦から十余年、十九歳で世界王座についたファイティング原田。三年後、史上最強と言われていた「黄金のバンタム」 エデル・ジョフレを破り、日本人初の二階級制覇。だが 時代の寵児となった原田の前に、世界の強豪が立ちはだかる。一九六〇年代、日本人を熱狂させた男の戦いを描きつつ、昭和の“熱"を見事再現した傑作ノンフィクション。『リング』を改題」そのエッセンスを紹介しよう。
・ 現在と昔ではボクシングの世界チャンピオンの価値がまったく違う 。当時のチャンピオンは世界にわずか8人しかいなかった。 つまり八階級。ちなみに現在は十七階級。 そかも主要四団体で総計は70人ほどになる。
・昭和27(1952)年、 白井義男がこのタイトルを獲得した時、 日本人は敗戦によって失われていた自信と誇りを取り戻した。 白井こそは日本人の希望の星であり、 そのタイトルは一人白井だけのものではなく、 日本人が自分たちのタイトルだと思っていた。二年後、 白井がタイトルを失うと、 多くの日本人がそれを自らの悲しみとした。以来、 このタイトルの奪回は国民の悲願となった。 8年もの長きにわたって「世界」は彼らを跳ね返し続けて、 日本人はあらためてその壁の巨大さを知った。そんなとき突如、 19歳の若武者が現れ「世界」を奪回したのだ!
・ボクシングを長く見ていると「運命」 というものがあるような気がしてならない。 二つの拳がコンマ何秒の間に何度も交錯するーその瞬間、実は「 運命」も激しく交錯しているのだ。「運命の女神」 さえどちらに微笑もうか迷うような試合において勝利を掴むボクサ ーは実力以外の「何か」に支えられている。
・現在にいたるも、 フライ級とバンタム級の二階級を制覇したボクサーはファイティン グ原田ただ一人だ。 どうやらフライ級とバンタム級には大きな壁があるようだ。 その意味でもこの階級の壁を乗り越えた原田の偉業はもっと称えら れていい。 しかも一階級にチャンピオンが一人しかいない時代だけにその記録 は価値が高い。
・昭和41(1966)年、5月、 原田対ジョフレの試合のテレビ視聴率は63.7% という驚異的な数字をマークした。 まさに全国民が固唾を呑んで見守ったのだ。 この数字は歴代視聴率の第5位にあたる。この年、ザ・ ビートルズの来日公演が、56.5%であるから、 いかにすごいかがわかる。大衆は原田の持つ、明るい性格、 一所懸命に努力する真面目さ、 目標とするものに向かうひたむきさ、大言壮語しない謙虚さ、 礼儀正しさ、といったものを愛したのだ。原田こそ、 まさに戦後の日本人が忘れていたい古き良き日本人の美質を持った 若者だった。だからこそ、 国民はそんな原田を懸命に応援したのだ。 原田のボクシングは無骨であり、不器用だった。 打たれても打たれても前進を止めず、決して逃げることもなく、 飽くなき闘志で向かっていった。 だからこそ国民はそんな原田を誰よりも応援したのかもしれない。
・昔からボクシングの世界では「階級を上げても、 パンチは持っていけない」といわれている。 つまり一階級上のクラスに行くと、 下の階級では通用していたパンチ力が通用しなくなるのだ。
・「ボクシングを始めた時から、 十年やったらやめるつもりでいた」という言葉に、原田の芯の入った覚悟を感じる。 原田の練習および減量はまさに「地獄」を思わせるものだった。 多くの記者が「なぜ、これほどまでに……」 と思ったほどの凄まじいものだった。 遊びたい盛りであるにもかかわらず、すべての誘惑を断ち切り、 ストイックに修行僧のような生活を続けることができたのは、 実に「十年」という覚悟ではなかったかと主う。 ファイティング原田という男は鋼鉄の意志を持った男だったのだ。
「他のことはいつでもできる。でも、 ボクシングは今しかできない。 それに世界チャンピオンとリングで戦える人生なて、 他に比べることができないじゃないか。」
「白井義男とドク・カーン博士」「三迫仁志、矢尾板貞雄。 米倉健志。パスカル・ベレス。「シャムの貴公子・ポーン・ キングビッチ、関光徳」「フライ級三羽烏(海老原博幸、青木勝利、原田政彦)」「黄金のバンタム=エデル・ジョフレ」「 オーストラリアのスポーツ史上、最悪の恥辱=世紀の大誤審」など。
良いなあ!ボクシング!久しぶりに「あしたのジョー」と「がんばれ元気」を再読したくなりましたー!超オススメです。(・∀・)