「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「フォローの技術」(田中イデア)

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 この本は使えるねー〜!!!実践的だねー〜!!!(・∀・)


ベストセラー『お笑い芸人に学ぶ ウケる!トーク術』の著者で、大人気放送作家田中イデアさんが、わかりやすく例を挙げながら、面白く丁寧に「フォローの技術」を解説してくれます」そのエッセンスを紹介しましょう!

 
・私は活躍している先輩方を徹底的に分析することにしました。一体、自分と彼らは何が違うのか?それを知るために観察し続けました。そうして、1つわかったことがあります。それは、活躍している先輩方は「自分が、自分が」となっていないのです。自分のことや思いだけでなく、相手のニーズにこたえ、相手の気持ちになって仕事をしていたのです。
 
・先輩方がやっていて、自分がやっていないこと。それは、一言でまとめると、相手のことを思いやって「フォロー」することでした。フォロー。じつはこのフォローが、楽しく仕事を成功させている先輩方と自分の違いだったのです。
 
・凄腕の芸人は、次のような「フォローの技術」を持っていることがわかりました。
1 自分の居場所を確保する「ポジショニング力」
2 一目置かれ、信頼される「会話アシスト力」
3 みんなから好かれる「気配り力」
4 重要な存在になれる「世渡り力」
 
・年齢や性別などは関係なく、夢や目標をかなえる途中や下積みの時代に「フォローの技術」を習得できたかどうかで、その後の人生は大きく変わります。
 
アシスト芸人(ひな壇芸人のバラエティにおける仕事の役割。
 
1 司会者やゲストの話にリアクションやツッコミを入れて盛り上げる
2 番組の流れや空気を読みつつ自分が話して笑いを取る。
3 司会者からいじられたり、ツッコミを淹れられたりして場を和ませる。
4 仕切りが不慣れな司会者に対しては、助け舟を出すなどしてサポートする。
5 誰かがスベりそうなときには、ツッコミを入れたり話題を変えたりして、フォローする。
 
・私は以前から「バラエティ番組は社会の縮図」であると言ってきました。
 
1 上司や取引先の話にアクションやツッコミを入れてアシストする。
2 会議・商談の流れや空気を読みつつ、自分が話をして前に進める。
3 上司からいじられたり、ツッコミを入れられたりして場を和ませる。
4 仕切りが不慣れな上司に対しては、助け舟を出すなどしてサポートする。
5 誰かがミスしそうなときには、テコ入れしたり方法を変えたりしてフォローする。
 
アシスト芸人を極める人は、フォローをとことんまで極めるでしょうし、将来は司会者になろうと思っている人は、自分がされたら嬉しいフォローをするよう努めています。そうしてアシスト芸人は、司会者ともゲストとも違う、オンリーワンのポジションを確立しているのです。
 
凄腕のアシスト芸人たちは、自分のポジションをしっかりと理解しています。そしてその中でやるべきことをやっているのです。
 
目配り、気配り、先回り。この言葉は、落語家が修行時代にたたきこまれる、気をきかせるための3つの「り」だそうです。
 
1 目配りで、いろいろなとことに注意を行き届かせる。
2 気配りで、手抜かりがないよう注意する。
3 先回りで、相手の気持ちを読み取り、先に動く。

 

これ、セミナーのネタで使えるねー!超オススメですー!!!(・∀・)

 

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「B級ニュース図鑑」(泉麻人)

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B級ニュース図鑑 (新潮文庫)
 

いつも思うんだけど、毎日毎日、いろんなニュースがあるよね。一日くらい「何もない!」っていう日があってもいいと思うんだけど。(笑)「本日は目立ったニュースはありませんので、近所のニャン太ちゃんが5匹赤ちゃんを産んだニュースをお伝えします」っていうのがあってもいいよね。(笑)(・∀・)

 

さてこの本。「本書は昭和31年から現在までの新聞記事の中から、世間を騒がせながらも、教科書な年鑑には決して載録されることのなかったトホホな事件の数々を採集し・整理し、解説を加えた風俗歴史書である。あなたが忘れたフリをしている、フラフープやアメリカン・クラッカー、ツチノコ騒ぎにノーパン喫茶などを’90年代の文脈でスラッシュする、ヒップでホップな書下ろしコラム」そのエッセンスを紹介しよう。

 
「ふん尿汲取りを都清掃局一本に」(昭和42年3月31日 毎日)
 
都清掃局は4月1日から農民によるふん尿にくみ取りを全面的に廃止する」なるほどこの頃までウンチが作物生産に貢献してたというわけか。都、埼玉の農民と契約とあるが、いったい一桶あたりいかほどの値段だったであろうか。地域によっての値段格差等も存在したのであろうかか。
 
「カブトムシで生活」(昭和54年7月6日 朝日夕刊)
 
カブトムシを売りながら12日間野宿していた。
 
大麻密輸3人逮捕 サーフボードくり抜き(昭和56年5月26日 毎日夕刊)
 
インドネシアスリランカには最近サーフィンを楽しもうと日本の若者がよく訪れるが、大麻などを吸う者も多く、日本へ持ち込むためにサーフボードをくり抜く“工場”もあるほどだという。アタッシュケース、ブーツの踵、サーフボード、パンツ、肛門……穴があったら入りたい、というか、とにかくワラにもすがる思いで隠してしまう人間の性、哀しい。
 
男性ノーパンスナック摘発(昭和56年5月27日 毎日夕刊)
 
男性ノーパンスナックの摘発は全国で初めてーそりゃ初めてでしょう。そんなもんポンポン摘発されていたら気味が悪い。網目のパンツにジーンズの前掛け一枚の姿で客の接待をさせたうえ……」まあホストであるということだから、ある程度のレベルの美少年たちなのだろうが、網目のパンツ、ってもは何とも生々しい。
 
ストリーキング泥 ついに正体(昭和57年8月30日 読売)
 
さる50年ごろからストリーキング泥棒”が相次ぎ、この7年間で64件(被害総額30万円)もの被害届が出されており。これらはすべて富田の反抗とされている、とある。しかし、7年間も続けた、というのはある意味で偉い。とりあえず裸になってから、女性の寝顔を眺め、そして盗みーという一つのスタイルを持っていたわけだ。この自ら築き上げたスタイルを全うしないことには、仕事をした気にはならなかったのであろう。
 
死のゲップ我慢(昭和58年3月20日 朝日)
 
こういう事故死の記事を読んでいていつも思うことは「葬儀」の場面である。ーなんでお亡くなりに?「……ゲップ。ゲップをガマンして……」不謹慎ながらやっぱりわらっちゃいますよね。
 
カラオケ上手が運のつき(昭和59年10月10日 朝日)
 
ヘタにTVなんか出るものではない、という話だ。以前に殺しを働いた男がその犯行後にのうのうとTVのクイズ番組に出ていた、という話もあった。

 

へー!φ(..)メモメモ いまだったらこの程度のことはニュースにならないのかもね。オススメです。(・∀・)

 

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B級ニュース図鑑 (新潮文庫)
 

 

「焼餃子」(蜂須賀敬明)

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焼餃子

焼餃子

  • 作者:蜂須賀 敬明
  • 発売日: 2020/10/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

図書館にずっと前に予約していて、忘れていて、やっと届いたのがこの本。「餃子のガイドブック」だと思ったら、小説だった!(笑)

 

国民的グルメ「餃子」はどうやって生まれたのか!?その起源が、いま明らかになる。首相暗殺に失敗した陸軍中尉のグンゾー朝鮮半島にひん死の状態で流され、焼餃子を食べて生き長らえた。未体験の幸福感と美味――この究極の食べ物を世に広めるのが新たな使命だと気づいたグンゾーは旅に出る。マンドゥ、蒸餃子、ボーズなど様々な餃子に中国大陸で出会い、仲間も増えていく」そのエッセンスを紹介しよう。
 
香ばしいにおいが漂ってきた。油で、小麦の生地を焼くにおいだ。肉の油が溶ける香りや香辛料に野菜が混ざった、複雑なにおいを、男は感じ取ることができた。そのにおいを嗅いでいると、長い時間をかけて黙らせた腹が、悲鳴を上げ始めた。
 
味わったことのない、うまみの広がりだった。肉の味がする。野菜のうまみも混ざっている。ショウガのようなにおいに、こしょうのツンとして風味も感じられる。それらは、渾然一体となって一つの食べ物を形成しており男の記憶には存在しない味だった。なんだ、これは香ばしさに、段階を経て変わっていく風味。あふれるようなみずみずしさに、もっと食べたくなる挑発性。空腹や恐怖を忘れ。男は無我夢中で口の中のものを咀嚼したかったが、まるで胃の奥から手が伸びてくるように喉を通って、役者たちは舞台を離れていった。体が熱かった。これまでになり複雑で豊潤な味わいは男を興奮させた。一口食べただけで額に汗がにじみ、欲望が抑えきれなくなる。
 
・「オレは餓死寸前で、胸も撃たれていた。生に執着するつもりなどなかったのに、それを食わせてもらった途端、死ぬわけにはいかないと、俺の中で何かが目覚めた。この焼いたまんじゅうを、もっと食いたいと、心の底から願った。そんな風に、何かを望んだのは、生まれて初めてだ。さっき食わせてくれたのは、何という食いものだ?」
 
「餃子……決めたぞ!俺は、究極の餃子を見つけ出す!俺は、あの餃子に命を救われた!あんなにうまいものは、もっと多くの人間が食わなければならない!究極の餃子を探し求め、広く普及することこそ、俺が新たに与えられた使命なのだ!」
 
・「餃子は、俺の心を強く揺さぶってくれた。あれを食ってはじめて、何かに熱中するという気持ちが理解できた。餃子は、自由だ。人の数だけ、正解がある。中にどんな食材を入れてもいいし、焼いても茹でてもいい。餃子を知った今、国同士の争いなどちっぽけなものだ。縄張り争いをやりたければ、飽きるまでやっていればいい。だがな。究極の餃子への道を阻む者は、誰であろうとブチのめす
 
「この餃子には、今まで餃子を作り続けてきた人たちの記憶が詰まっている。多くの人の知恵や経験が、餃子という形になって俺に恵みを与えてくれる。俺は、この餃子を超えるような究極の餃子を作りたい」
 
特に第二部の、町中華の来香園、チェーン展開のミロク亭とシベリア食堂、タミオの冷凍餃子の攻防は一気に読ませるっ!!!あ〜〜餃子、作りたーい!!!食べたーい!!!読むのも超オススメです!(・∀・)
 

 

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焼餃子

焼餃子

  • 作者:蜂須賀 敬明
  • 発売日: 2020/10/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

「高田馬場アンダーグラウンド」(本橋信宏)

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高田馬場アンダーグラウンド

高田馬場アンダーグラウンド

 

街歩きが好きだ。ワタシの夢はぶらり途中下車の旅の旅人になること。それを目指して「テル散歩」やってますよ〜!ネタ、探してますよ〜!(笑)東京でイチバン好きな街が、我が母校明治大学を有する「神保町」。二番目が御徒町アメ横」!神奈川ではやっぱり「野毛」が最高でしょ!(・∀・)

 

さてこの本、高田馬場はあまり馴染みがないなー!でも街歩きしたくなりましたー!

手塚治虫江戸川乱歩、「神田川」(かぐや姫)から、ビニ本、自販機本、ブルセラ、フードルまで。“伝説”はこの街で生まれた。この地を40年追い続けたノンフィクション作家が満を持して放つ、東京の異界シリーズ第5弾」そのエッセンスを紹介しよう。
 
・本書では行政上の住所である高田馬場一丁目から四丁目、およびその周辺として百人町、戸山、西早稲田、豊島区髙田、といった高田馬場駅を利用する範囲内を舞台にしている。
 
漫画の神様・手塚治虫高田馬場の何に惹きつけられたのか。
高田馬場の科学者で誕生したアトムをめぐるこの街の謎とは。
西城秀樹はデビューキャンペーンで高田馬場駅前の横断歩道を渡り、どこに向かって歩いていたのか。
神田川』はいかにしてフォークの聖地となりしか。
江戸川乱歩高田馬場で本業以外に営んだある仕事とは。
エロ本出版社はなぜ高田馬場で栄華を極めたのか。
政財界人御用達と言われた高田馬場「伝説の風俗店・マダムマキ」とは。
ブルセラと呼ばれる使用済み女性下着はなぜこの街で売れつづけるのか。
駅前にそびえ立つ複合型ビル・ビッグボックスは何を見つめてきたのか。
陸軍の街として栄えた土地にいまの残るミステリーとは。
高田馬場で殺された女優・菊容子の悲劇とは。
私の父はいったいこの街で何を夢見て、何を隠していたのか。
半世紀近く、この街をさまよい歩いた私自身の足跡を探ることが、高田馬場の知られざる姿を浮かび上がらせることになるだろう。この街の磁力とはいったい何か、を。
 
特に、マギー・ミネンコ」「作家たちの早稲田」「同伴喫茶」「成田アキラの記憶」「高田馬場のハッテン場」「江戸川乱歩(「貼雑(はりまぜ)年譜」「二銭銅貨」「孤島の鬼」「押絵と旅する男」「蜘蛛男」)」「ぼったくりの帝王=影野臣直とKグループ」
 
いや〜!なかなかディープだあ!神田川」誕生のエピソードは、何度聴いても感動するなあ!超オススメです。(・∀・)

 

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高田馬場アンダーグラウンド

高田馬場アンダーグラウンド

 

 

「バイエルの謎 日本文化になったピアノ教則本」(安田寛)

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バイエルの謎: 日本文化になった教則本 (新潮文庫)

バイエルの謎: 日本文化になった教則本 (新潮文庫)

  • 作者:寛, 安田
  • 発売日: 2016/02/27
  • メディア: 文庫
 

ワタシはピアノは弾けないけど、バイエルという名前は知っている。ところがバイエルは日本でしか有名ではないという。えっ!Σ(・∀・;) 近年は、バイエルの評価が下がり、実在すらしなったのでは!?という説まであるのだという。

 

「ミドミドミソミド……。誰もが知る初級ピアノ教則本として、明治以来100年以上、日本人の音楽教育の基礎を担った「バイエル」。でも、その作者の経歴はなぜか誰も知らない。疑問に感じた著者はチェルニー偽名説、ペンネーム説など通説を再検討する一方、各国のオリジナル初版を手がかりに、そのルーツを探す旅に出たが。そして出会った驚きの新事実とは?魅惑の音楽紀行が始まる!」そのエッセンスを紹介しよう。
 
バイエルという言葉は、すでにピアノや音楽を超えて、教則本入門、初歩、基礎、用事、初学者、楽しく学べる、効果がある、自習できる、という意味を持った言葉として成立しているのだ。ところがである。バイエル・ピアノ教則本を書いたフェルディナンド・バイエル本人について書かれた本は一冊もない。世界中どこを探しても一冊もない。バイエルほど有名でかつ無名である人物もめずらしい。
 
バイエル・ピアノ教則本は世界中で愛用されてきたのに、バイエルと彼の教則本について確実なことが何もない。肝心なことは何もわかっていない。信頼できる情報が何もない。なぜ日本人はこんなにも長くバイエル・ピアノ教則本を弾いて来たのだろうか。誰も答えることができない。私が知りたいのはその答えである。日本の大切な文化の一つについて知りたいと思っている。
 
・MGGと略記されるドイツの音楽辞典『音楽の歴史と現在』全29巻全2万5千ページには、バイエルの記述は一行たりともない。友人のドイツ人はドイツであれくらいの作曲者まで書いていたらページがいくらあっても足りません」と自慢とも慰めともつかない返事が返ってくるだけだった。
 
日本にバイエルがもたらされたのは明治13(1880)年お雇い外国人のルーサー・ホワイティング・メーソンなる人物が音楽取調掛で使うピアノ教科書として持ち込んだ。これは間違いない。アメリカからもたらされた。これも事実である。問題はいつ、どこからではなく、誰が、なぜ、持ち込んだか、である。特になぜは重要である。日本人がこんなにも長くバイエルだけを使い続けてきたのはなぜか。その答えに「なぜ」が関係するからである。メーソンの専門は唱歌教育でピアノ教育ではなかった。ピアノ教育についてはまったく素人であった。
 
・バイエルの評価。「独創性も価値もないピアノ音楽」「商業主義のために工場機械のごとく芸術作品から大量の素人好み作品を生み出す作曲家」「工業的音楽製作に身を投じ、数え切れないファンタジー、メドレー、気晴らし曲最も浅薄な素人の腐った趣味に貢献したことで評判を落とした」「飽くなき商業的欲求に従った音楽商品作り」「二流の、いや三流の作曲家」「どれもこれも、芸術的にどうしようもないほどつまらなく、たいくつな曲ばかり」
 
・バイエルは、1806年8月25日午後21時30分にこの世に生を受けた。世界中で私だけがバイエルの正しい誕生年月日を知っている。父は下手職人の親方で、母の父がオルガニストで教会付属学校の教師だったということは、バイエルの才能は母方から受け継がれたもので、それが彼の職業を決定したのだろう。16歳で父を亡くしたバイエルは、もしかしたら母親のもとで教育を受けたのかもしれない想像に過ぎないが。
 
祖父から父へ、そして自分へ受け継がれた音楽の教養を我が子に仕込んだのであろう。何か我が子にかける母親の強い愛情を感じられる。バイエルの序文には、専門の教師につける前に、両親が我が子を自ら手ほどきするための教則本であるという内容が書かれているがそれはこういう意味だったのか。と今は了解できる。バイエルは母との幼い日々の思い出をバイエル第一部に再現したのだと思えてしかたない。バイエルの第一グレード(前半、64番まで)にバイエルは、きっと幼い日々の母との楽しかった、ときには少しは苦しいこともあったお稽古の思い出をいっぱい詰め込んだのだ。バイエルの単純で透明な一つ一つの音に込められているのは、子どもを思う母親の愛情である。母を慕う子どもの気持ちである。バイエルがタイトルに「母たちに捧げる」と記したとき、彼の脳裏にあったのは、改革派教会のカントルとオルガニストの血を引く母のことだったに違いない。
 
その他、「バイエル初版と初版復元」「最古のバイエル」「静かにした手」「天才ピアノ教育化園田清秀の音感教育」「改築申請書」「最後の秘密」など。
 
いや〜後半からラストは感動するねえ……推理小説のような謎解きが楽しめるね。ピアノ弾くヒト、必読っ!超オススメです。(・∀・)

 

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バイエルの謎: 日本文化になった教則本 (新潮文庫)

バイエルの謎: 日本文化になった教則本 (新潮文庫)

  • 作者:寛, 安田
  • 発売日: 2016/02/27
  • メディア: 文庫
 

 

「営業はいらない」(三戸政和)

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営業はいらない (SB新書)

営業はいらない (SB新書)

 

 

タイトルがショッキング!!!なんだこりゃ!!!営業に携わり30年、営業を教えてきて20年以上になるが、その「営業がいらなくなる」のかー!!!(・_・;) 

確かにそうだよね。毎週のようにAmazonをはじめネットで買い物してるもんねー……!時代は変わってきているよねえ……。そのエッセンスを紹介しよう。
 
「本当に必要なモノやサービス」へのアクセスは、今や非常に容易となった。膨大なモノや情報の中から「自分に必要であろう」情報が自動的に送られてくるようにもなっている。Amazonの「あなたへのおすすめ」購入履歴、SNSの投稿履歴、スマホを介した位置情報の履歴など。そこには一切、人が介在していないことを忘れてはいけない。
 
AmazonによってB to cにもたらされた大変革は、B to Bの現場でも起き始めている。
 
・医療業界では、営業の代名詞と言えるMR(医療情報担当者)を代替するサービスがすでに浸透している。 
 
フィンテックが銀行業界を脅かしているように、あらゆる営業の分野で、セールステック(営業支援ツール)の存在感がますます大きくなっている。
 
これらのことから浮かび上がるのは、もはや「営業はいらない」という現実だ。
 
・スーパーマーケットが個人商店を駆逐した最大の要因は、その「便利さ」にある。それはリアルな店舗にとどまらない。スマホを使えば、ネットにある何千万もの膨大な商品情報にアクセスできる。自宅にいながらにして、自分の「欲しい」を満たすモノに出合えるのだ。
 
「蘇る三河屋のサブちゃん」。現代のサブちゃんは、勝手口から現れれるのはない。スマホの中のそっと現われ「あなたに必要なモノ」「あなたが好きそうなモノ」を進めてくるのだ。サブちゃん的営業は、今。AIなどのテクノロジーに代替され。スマホの中に蘇っているのである。
 
飛び込み営業やテレアポといった営業行為については「される側の79%、する側の74%が『無駄がある』と感じている」これらの営業マンが成功率1%の営業活動の損害は?330万人の営業が。一日50回、月に1000回、月に33億回の営業電話。テレアポの平均通話時間は約45秒。実に4125万時間が無駄。時給1500円とすると、なんと618億円の無駄!しかも成功率1%ということは、この99%が無駄になる。営業活動は「1の利益」を得るために「99の不利益」をまき散らしている。
 
スターバックスはコーヒーを売っているのではない。体験を売っているのだ」
 
ジョブズ「顧客がどんな商品をほしがっているカード」ではなく「どんな製品だったら顧客は圧倒的に感動するだろうか?
 
バルミューダ「家電という道具を通して、心躍るような、素晴らしい体験を皆様にお届けしたいと考えている企業です」
 
10年後には「営業という概念」自体がなくなるコンサルタント的営業マンは、逆に10%程度増加するだろう。
 
今後、営業マンはどう生きればいいか。道は三つ。
 
1 セールステックを使いこなし自らのセールスの成果を底上げする。
2 セールステックを使いこなすセールスチームの指揮官になる。
3 営業職から離れ自ら戦略を立てられる新たな地位に就く。
 
営業マンこそ最も経営者に向いた素質を持っているコミュニケーション能力」「問題解決能力」「行動力」が備わっているピーター・ドラッカーはトップマネジメントにひつような性格として考える人」「行動する人」「人間的な人」「表に立つ人」それには「戦わずして勝つ」ーすなわち「作戦と戦術」を省くことが欠かせない。私が編み出した戦略がブルーポンド戦略」である。競合のいない青い小さな池を生み出すこと」自分専用の「池」での成功を目指すのだ。
 
「郵便局の「押し売り」はなぜ起きたのか」「令和の時代にも残る「ノルマ」という名の亡霊」「新たなビジネスモデルでGMに勝った会社=テスラ・モーターズトヨタの焦り」「機能の数を増やす」「ビッグデータの蓄積戦略=エクスペリエンス戦略」「スーパー営業マンはいらない」「営業マンが消えた=ディーラーを持たないテスラ社」「営業マンを自由にする「小商い」のすすめ」など。

 

いまから手を打っておくのがいいねえ。営業マン必読っ!おすすめです!(・∀・)

 

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営業はいらない (SB新書)

営業はいらない (SB新書)

 

 

「談志 最後の落語論」(立川談志)

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談志最後の落語論 (ちくま文庫)

談志最後の落語論 (ちくま文庫)

 

最近笑点がつまらない、という妻の評。まあ、ずっと惰性で観ているけどそうかも。ワタシはなんといっても、三波伸介だったなあ!あのオモシロさ、名司会っぷり、まさに昭和そのものだったなあ。そして初代司会者の立川談志!個性的な噺家がどんどんいなくなるね。

 

さてこの本。談志の最後の落語論。「伝説の『現代落語論』から五十数年、亡くなる直前まで「落語」と格闘し続けた談志が最後に書き下した落語・落語家論の集大成」そのエッセンスを紹介しよう。

 
「落語とは、人間の業の肯定である」と25年前に書いた。人間というものの業、それは知性でも理性でもどうにもならないもの、世間では「よくない」といわれているもの。それらを肯定し、寄席という空間で演じられてきたのが落語である落語に対する能書きを本にするのは最後になるかもしれない。書けるところまで書いてみる。
 
・人間の業とは何か。人間、唯ァ生きられりゃそれでいいものを、現代のように80だ、90だということになると、そのあいだの退屈を紛らわせるために余計なことをしようとするつまり「好奇心」。この始末が悪いものを談志(わたし)は「業」と称(い)っている、ということ。「一生懸命に人間を楽にするモノを創ろう」とやってきた奴も業だし、「どうやって人殺しをしよう」と考え、実行してきた人間も、これまた業である。で、落語は、それらをひっくるめて認めちまえ、というこった。落語の根底にあるのが、常識に対する非常識で、それを「業の肯定」という言い方をしたのが、若き頃の談志であった。
 
志ん生は喋る。「えー、ヘビなんでなァ、何で“ヘビ”と呼(い)うようになったんですかネェ。あんなモノは、昔は名前なんぞなかったもんでェ」“何だい、こりゃあ。頭からすぐ尻尾になってらァ” “何だい、ってなほどのもんじゃないよォ。こんなもなァ、屁みたいなもんだい” で、あれを“へ”と呼ったそうですね。“へが行く、へが行くなんてンでェ”。で、そのうちに“ビィ”となって、ヘビだそうで。
 
これ聞いてぶっ飛んだ。そうなんだよ。その通りなのだ。蛇なんてなァ、へがビィとなってヘビなんだ、ってネ。これだ、これでいいのだ。
 
・「大蛇(うわばみ)は、どういうわけで“ウワバミ”ってンだ?」「あんなのは“ウワッ!”と……」「おい、驚かすなよ」「驚かしゃしねえよ。“ウワッ”てのがあると思えよ」「うん」「思ったか?」「思った」「バミるんだ、それが」「え?」バミるんだよ」「なんで?」「“なんで”ってたって知らない。バミるんだもの」「で?」「ウワがバミるから、ウワバミ」
 
その志ん生とて、「いいほうの業の肯定」を演じたときは非道い芸となる。で、「いいほうの業の肯定」を「人情噺」と称(い)い、これらのできる噺家「一人前」と称い。また「名人」と称する。
 
「ナンセンス」は、“どっか常識とは違っている” “ズレている”という可笑しさを誘うものだ。ある意味、バカにしたような笑いを誘う。「ウィット」は、“野郎、巧いこと言いやがったな”というもの」「ジョーク」は、練ってゞ作り上げるものだ。「馬鹿」は、状況判断ができないからやることが可笑しい。で、落語はなぜ“面白い”のか。それは、それら笑いのすべての要素が入っているからであり、そこへさらにイリュージョンをぶち込んだのが立川談志である。だから談志の落語は“さらに面白い”
 
・「先生、どこが悪いんですか?」「肝臓だよ」「原因は何ですか?」「酒のせいに決まっているじゃないか」なんだ酒のせいか。俺のせいじゃないのか」
 
職業安定所へ男が来て、「わたし、子どもが12人いまして」「ほかに出来ることは?」
 
「大学の裏口入学で早稲田の伝統を汚(けが)した?汚したんだじゃない、守っただけの話じゃねえか、バカヤロウ」
 
・もし、この談志が金を払って落語を聴かなければならないとしたら、志ん朝しかいない。私が演ってきた落語とは違う。けど、これが落語というものなのだ。志ん朝の明るさ、綺麗さ、落語のテンポ、文句ない。

 

談志の小噺、いいよねえ。キレがあるよね。落語ファン、オススメです。(・∀・)

 

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談志最後の落語論 (ちくま文庫)

談志最後の落語論 (ちくま文庫)