「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「ショージ君の東奔西走」(東海林さだお)

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ショージ君の東奔西走 (1979年)

ショージ君の東奔西走 (1979年)

 

ワタシにとって癒やしのヒーリングミュージックではなくてヒーリングブック

東海林さだおさんの本。疲れが溜まり、めんどくさいことを考えたくないときには氏の本を読むといい。明日への気力が蘇ってくる!(笑)

 

さてこの本は、初版が1979(昭和54)年だよー!40年前だよー!この頃からもうこの文体は完成しているんだね。そのエッセンスを紹介しよう。

 
・このごろ物忘れがひどくなってきた。特に人の名前がなかなかでてこない。そろそろ頭のぼける年齢になってきたのかもしれない。物忘れの順序は、固有名詞、普通名詞、形容詞の順で忘れていくのだそうだ。そのトップバッターがいよいよ登場してきたらしい。
 
ぼくは生まれてこのかた、財布というものを持ったことがない。子供のときから現在に至るまで、お金がバラバラでポケットに入れている。海外旅行に行くときでも財布は持たない。財布はなぜか恥ずかしい。整然と、大きいお札、小さいお札、硬貨というふうに分けてあるのが恥ずかしい。財布は持たない主義であるから財布を落としたことは一度もない。しかし他人の財布は気になる。
 
・昨年の「高額拾得金ベスト20」という表を見ると、そのうち8件までがタクシーの中である。第一が711万円で、これもタクシーの中。(これからは、タクシーに乗ったらまず座席を見廻そう一年間で落としも落としたり17億円一日にすると472万円が落とされているのだ、なんとかして拾いたい。できることなら、毎日毎日470万円ずつ拾いたい。一時間にすると約20万円、一分だと3300円、毎分毎分3,000円ずつ拾いたい。一秒間で55円。毎秒55円ずつ拾っていたのでは、手間ばかりかかって大変だから、できることなら一分ごとに3000円ずつ拾うというほうがいい
 
旅行と聞いてまず想起するのは缶ビールである。缶ビールと駅弁である。この二つが、ぼくの場合の旅行のすべてであるといっていい缶ビールと駅弁をヒザにかかえ、ジリジリしながら列車が動き出すのを待つ間が、わが旅行の醍醐味なのである。
 
中年になると、感傷とは縁がうすくなる。頭のほうもうすくなるし、視力だってうすれがちになるとにかく、中年になると、いろんなものがうすくなってくるのだ。うすい、ということは何事によらずよくないことである。トンカツだって、うすいのはよくない。厚いほうがいいにきまっている。
 
カツ丼のよさは、たとえば親子丼と比較してみるとよくわかる。親子丼には主役がいない。一家の柱というものがないここのところがなんとなく淋しくはかない感じを与える。母子家庭、などという言葉が浮かんできたりする。そこへ行くと、カツ丼には主役がいる。堂々と、ど真ん中に、敷地いっぱいに主役が横たわっている親子丼にもトリ肉という主役はいるのだが、あわれ一家は散り散りばらばら、各所に散って一家離散の惨状を呈している。その点カツ丼は、たとえその身は分断されていようとも一家はヒシと寄り添って固い団結を示している。人をして「たのむぞ」といわしめる所以であると思われる。
 
・(ワカサギ釣りで)「寒いとは聞いていたけど、これは大変な寒さですな」「モモヒキはいてきましたか」「むろん、厚いのを二枚」「たった一枚でも女の子に嫌われるというモモヒキを二枚も?」「ハイ」「すると通常の二倍嫌われるということになりますな」
 
その他、「喰ったぞ!満漢全席」「一億総カラオケ」「春のウララの忘れもの」「バイバイ キャンディーズ」「南の島でハブキモコ」「鵜飼見ながら長良川「人のすき間で海水浴」「夏休みウロウロ日記」「秋の遊園地・運動会」「男の料理・カツ丼編」など。
 

さあ、ココロの充電をして明日から(今日から、ではない(笑))ガンバロー!オススメです。(・∀・)♪

 

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ショージ君の東奔西走 (1979年)

ショージ君の東奔西走 (1979年)

 

 

「結局、人は顔がすべて」(竹内一郎)

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ワタシは「面食い」である。ラーメン、そば、うどん、きしめん……「麺食い」である。(笑)
 
ツキを呼ぶ顔、仕事がうまくいく顔とは?心がけ次第で良くも悪くもなる顔の本質を知り尽くすことで、誰もが思い通りの顔を手に入れることができる。自分の顔の〝主治医〟は、ずばり自分自身。ミリオンセラー『人は見た目が9割』の最終到達点としての
〈いい顔になるための十則〉も収録」そのエッセンスを紹介しよう。
 
ソクラテス「高貴と自由や、微賤と卑屈や、思慮とたしなみや、傲慢とぶしつけもまた、顔によって、たとえ人間が静止していようが、動いていようが、現れて来るものである」要するに、次のように言っている。人間の生き方は顔に現れてくるものだ、と。
 
・昭和の代表する演劇評論家戸板康二女優の表も裏も知り抜いた芝居の通である。彼はこう言っている。「子供の時分から身辺に見て来た中で「あの子は美しい」といわれて育った娘で幸福にめぐまれた女性よりも、逆の運命をたどった女性のほうが、どうも多いような気がする」大体、美しい美しいといわれて、娘が大人になるというのは、決して幸福なことではないというのが、ぼくの意見だ」「(美人の)十人のうち半分以上は、自然に思い上がる気分になり、自分よりも容姿の劣る同性に対して優越感を持ち、長じては男性は自分に奉仕してくれるものと思い込んでしまう傾きがある」「美しい女優で、ことに目立つのは、わがままなことである。傲慢なのもいる。周辺へのいたわりが欠ける」私も四十年間、演劇界にいるが、戸板康二と同意見である。すべての演劇人は、そう心得ているはずである。恐らく世界中の演劇人がー。
 
・演出家やプロデューサーの統計数字は存在しないが、美人で芝居ができて、なおかつ性格のいい女優は、1%もいないと言っていいだろう。美人だと芝居ができなくても、それなりに役があるから、演技の勉強をしない。当然芝居はうまくならない。次に美人で芝居ができると、ちやほやする人も多いし、仕事のオファーがたくさんくるから、必ずと言っていいほど傲慢、わがままになる。結局、みんなに嫌われる
 
・最終選考まで残るレベルの演技力の差は、紙一重である。最後は「顔に華があるかどうか」なのである。結局、顔の差と言ってもよい。
 
日本人は「空気を読む」と言われるが、実は空気ではなく、細やかな表情や仕草の変化を読んでいる。そこに、豊かさを感じているのである。
 
「生きた目」を手に入れる方法は、まず「心が躍動するもの」をその目に見させることである。映画、音楽の演奏、絵画、文学でもよい。優れた芸術作品には、作家の魂が詰まっている。それらと対峙することで、自分の目が輝いてくる。スポーツも同じ。野球、サカー、レスリング……。本気で生きている人たちとナマで接すると、心が燃える。
 
・私は、顔はその人の生き方を記録する自由な日記帳だと言ってみたい。過去のページも自分で書いてきたが、明日からのページは真っ白で、これから自分で書きつけていけばよい、と。顔を変えるポイントは「人との接し方」である人に何かを与えて、後で与えられるー。誰かを好きになり、後で好かれるー。「与える」「好きになる」が先にあって、後で「与えられる」「好かれる」という順番で生きてみるとよい

 

いつも感動している人は感動している「目」になるんだね。このブログもほんの少しでも役立つといいなあ。オススメです。(・∀・)!

 

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「ホセ・ムヒカ 日本人に伝えたい本当のメッセージ」(萩一晶)

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ホセ・ムヒカ 日本人に伝えたい本当のメッセージ (朝日新書)

ホセ・ムヒカ 日本人に伝えたい本当のメッセージ (朝日新書)

 

 

2016年春、南米ウルグアイの前大統領、「世界一貧しい大統領」ホセ・ムヒカ氏が来日し、心に残る数々の言葉を残して帰国したよね。我々は、ムヒカ氏が本当に言いたかったことを理解したのだろうか?

 

著者が、ムヒカ氏の真意を確かめるため現地に飛び、3度の単独インタビューに成功。ムヒカ大統領が誕生した背景、成熟した民主主義について考える。そのエッセンスを紹介しよう。

 

私が思う「貧しい人」とは、限りない欲を持ち、いくらあっても満足しない人のことだ。でも私は少しのモノで満足して生きている。

 

・モノを買うとき、人はカネで買っていると思うだろう。でも違うんだ。そのカネを稼ぐために働いた、人生という時間で買っているんだよ。

 

・人は苦しみや敗北からこそ多くを学ぶ。以前は見えなかったことが見えるようになるから。人生のあらゆる場面で言えることだが、大事なのは失敗に学び、再び歩み始めることだ

 

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・(幸せと感じるのはどんなとき?)自分の人生の時間を使って、自分が好きなこと、やりたいことをしているときさ。今は冬に向けて、ビニールハウスにトマトの植え替え作業をしているときかな。それに幸せとは、隣の人のことをよく知り、地元の人々とよく話し合うこと。会話に時間をかけることだと思う。

 

・(独房で何が見えました?)生きることの奇跡だ。人は独りでは生きていけない。恋人や家族、友人と過ごす時間こそが、生きるということなんだ。人生で最大の懲罰が、孤独なんだよ。

 

私たち政治家は、世の中の大半の国民と同じ程度の暮らしを送るべきなんだ。一部特権者のような暮らしをし、自らの利益のために政治を動かし始めたら、人々は政治への信頼を失ってしまう。

 

生きるということは、周囲との摩擦を生むということであり、摩擦がないのは墓場にいる人(死者)だけです。避けられrぬ摩擦をどう解決するかが重要なのです。

 

質素がいい、ということだ。浪費を避けること。言葉にすれば『質素』であって『貧困』ではない。貧困とは闘わなければならない。

 

いや〜深いなあ!体験からくる言葉って説得力あるよね。オススメです。(・∀・)!

 

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ホセ・ムヒカ 日本人に伝えたい本当のメッセージ (朝日新書)

ホセ・ムヒカ 日本人に伝えたい本当のメッセージ (朝日新書)

 

 

「大正デモグラフィ 歴史人口学で見た狭間の時代」(速水融 小嶋美代子)

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大正デモグラフィ 歴史人口学でみた狭間の時代 (文春新書)

大正デモグラフィ 歴史人口学でみた狭間の時代 (文春新書)

 

新型コロナウイルス感染症の被害拡大のニュースが毎日テレビで報道されているよね……。 実はこれと同じようなことが大正時代にあったのだ!それがスペイン風邪。ナント!50万人もの死者が出たとか!(;・∀・)!

 

さてこの本。「新たに発掘された史料、進展してきた歴史人口学の成果を踏まえ、大正期を人口という窓を通してながめてみよう、という意図のもと書かれた。その視点で検討してみると、従来「デモクラシィ」の時代と呼び習わされてきた大正期も、かなずしも明るく進んだ面ばかりではなかったことが分かる」そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
「大正デモグラフィ」は、狭い意味では、大正期(1911−26年)の人口の研究である。しかし、本書ではデモグラフィをかなり広い意味で使った。民衆の物質的・精神的生活状態、とでもいえるだろうか。
 
本書の主題の一つが、大正七(1918)年から九年にかけて日本のみならず世界を席捲し、数千万人の死者を出した20世紀最大の流行病(感染症)、スペイン・インフルエンザウイルスであり、SAASの流行はそのときと状況が似ている。人間とウイルスの戦いは、宇宙人との戦いにも似た、いわば未知との遭遇で、負ければ人類は滅亡するかもしれない。それに比べれば、人間どうしの戦いは何とも愚行としかいいようがなく、イラク戦争の戦費をウイルス対策に向けることができたら、人類の不安は多少なりとも軽減されるに違いない。
 
・人口は、内部的には出生・死亡・結婚(離婚を含む)・移動といった変動要因によって変化するが、それらの要因は、ある場合には社会的・経済的・文化的に説明可能であり、ある場合には病気や衛生面からの説明が必要になるこれらのどのような組み合わせで人口が変動したかの解明が、人口研究の課題である。ところが日本では、人口事象に対する学会、マスコミ、一般の関心は驚くべきほど低い。
 
・大正元(1912)年12月31日で、内地5216.7万人、樺太4.2万人、朝鮮1482.7万人、台湾343.5万人、合計7047.1万人が、日本の領土に住む人口であった。
昭和元(1926)年12月31日で、内地6074.1万人、樺太20.3万人、朝鮮1910.4万人、台湾3424.2万人、関東州105.4万人、合計8540万人が、日本の領土に住む人口であった。
 
「大正」という年号のつく時代は15年間で、「明治」の45年間、「昭和」の64年間に比べれば非常に短い。「平成」になってからの期間が、もう「大正」年間の長さを超えた。大正期はまさに長い年号のもとにあった二つの期間の狭間であった。こういったことが、大正期が不当に軽く考えられてしまう理由となっている。
 
「農業国から工業国へ」「広がる鉄道網」「教養主義と知識層」「盛んとなった出版業」「選んだインフラ整備」「繊維産業の発展」「肺結核の蔓延」など。

 

いいなあ……はいからさんが通るの世界だね。大正ロマンを感じるねえ。しかし歴史は繰り返すのかねえ…。オススメです!(・∀・)

 

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大正デモグラフィ 歴史人口学でみた狭間の時代 (文春新書)

大正デモグラフィ 歴史人口学でみた狭間の時代 (文春新書)

 

 

「消えた球団 毎日オリオンズ  パ・リーグを背負った初代王者の「強さと凡庸」」

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消えた球団 毎日オリオンズ1950~1957

消えた球団 毎日オリオンズ1950~1957

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: ビジネス社
  • 発売日: 2019/06/03
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

ワタシが大学生の頃、勤労学生として3年間勤務した毎日新聞社。近くに神保町があり、我がセイシュン時代、働かせていただいて学費を払っておりました。(笑)その毎日新聞社が8年間だけプロ野球球団を持っていたなんて若い人は知らないよね〜!♪


しかも昭和25年、セ・パ分裂の最初の年に松竹ロビンスを破り、2リーグ制初の日本一に!戦後まもないプロ野球に流星のように消えた8年間の記憶とは?そのエッセンスを紹介しよう。

 

戦後の流星 毎日オリオンズ 1950−1957 パ・リーグを背負った球団の8年
 
昭和25(1950)年、セ・パ両リーグ分裂の大きなきっかけとなった毎日新聞社プロ野球の参画。読売新聞社ジャイアンツに対抗するべく、毎日オリオンズを中心にパ・リーグが結成された。この年は、阪神(当時大阪)タイガースや国民リーグから有力選手が加わり、松竹ロビンスを破り、2リーグ制初の日本一に。
昭和33(1958)年に大映ユニオンズを吸収合併、
毎日大毎オリオンズ大毎オリオンズになるまで、
戦後間もないプロ野球に流星のような軌跡を描いて消えた
毎日オリオンズの8年間にスポットを当てます。
 
 
・昭和25(1950)年の始め、発行部数は「読売」が167万、「毎日」「朝日」がいずれも130万大衆路線を追求していた読売い抜かれ始めた時で、危機感を覚えていたかもしれない。
 
・(池井優)別当薫のバッティングと走塁の綺麗さね。特に、滑ったら膝で立つあのスライディングをする人、最近いなくなっちゃったじゃないですか。見たことない。別当はあれが得意あったですからねえ。ちょっと猫背で、メガネをかけちて。オリオンズの縦縞のユニフォームがあんなに似合う人はいなかった別当は戦争がなければもっと長く現役で活躍できたろうし、ただ不運だったのが監督して1000勝以上したのに、優勝を1回もしていないんですよね。そらがちょっと七不思議みたいなものですね。
 
・オリオンズを変えたというのは、やっぱり榎本喜八でしょうね。とにかく左ボックスからキーンって、本当に綺麗なフォームで打ってましたよね。榎本は相手投手のデータなんて一切研究していない。ひたすら自分の打撃を追求することしか考えていない。
 
別当薫」「呉昌征」「土井垣武」「荒巻淳」「山内一弘」「榎本喜八など。個性的な選手が多いねえ〜!野球ファン必読!オススメです!(・∀・)

 

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消えた球団 毎日オリオンズ1950~1957

消えた球団 毎日オリオンズ1950~1957

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: ビジネス社
  • 発売日: 2019/06/03
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

MUSIC〜「酒場のギター弾き」in「ゆらゆら」PART2(中野新橋)

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フォーク酒場 ゆらゆら【ゆらゆら弾き語りナイト】

2020.2.8(土) 17時 開場、18時 開演
参加者、来場者共3,000円、飲み放題一品料理、乾き物付き

中野区弥生町2-21-6  第6鶴水ビル B1-101
中野新橋」駅すぐ PM7:00〜AM2:00
日休 03-3378-7101
URL http://yurayura11.com/

 

昨年7月以来、またまた来ましたよ−!ここ、中野新橋駅からすぐのビルの地下のフォーク酒場「ゆらゆら」

 

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遠足に行く前の気分で、10分前に着いちゃいました!(笑)ワクワク!

 

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以前は、フォーク酒場によく行ってたんだけど、最近は「流し」が多いので年数回しか行けてません。(笑)だから余計に楽しみ〜!♪

 

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今日はナント!!!同じテーブルの方からお借りしたギターが、マーチンD45!!!名器中の名器!!!

 

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弾いているワタシが大満足!音、響き、バランス、ネック…どれも素晴らしい!シャリーン!!!

 

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ヘッドの縦ロゴがカッコいい!!!

 

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音楽仲間と一緒っていいなあ!楽しいなあ!楽しすぎるなあ!♪

 

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私が歌った歌
 
「お酒の歌メドレー」「カルロス・ゴーン三部作(逮捕の歌、保釈の歌、レバノン逃亡の歌)」
 
今日歌われた歌
 
夜空ノムコウ」(SMAP)「この夜を止めてよ」(JUJU)「いいよな 若くって」「もしおれが先に死んだなら」「サボテンの花」(チューリップ)「デイドリームビリーバー」「純心」(井上昌己)「千の夜と一つの朝」(ELLIS)「風」(はしだのりひことシューベルツ)「人生の扉」(竹内まりや)「湘南 夏」(かぐや姫)「noonnight」(伊勢正三)「メモリー」などなど。
 
飲みすぎて思い出せない……(笑)
 

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「桂三枝という生き方」(桂三枝)

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桂三枝という生き方

桂三枝という生き方

  • 作者:桂 三枝
  • 出版社/メーカー: ぴあ
  • 発売日: 2005/03
  • メディア: 単行本
 

六代目桂文枝師匠、我々にとっては桂三枝師匠というのがおなじみだよね。 もう大昔からテレビに出て、売れ続けている。あまりにスゴすぎて、スゴいと感じさせないのがスゴいっ!(・∀・)

 

40年間、第一線。こんな男、どこにもいない。芸能生活40年、還暦を迎えてもなお、その若さ、軽さ、華やかさを失わない桂三枝の自伝。稀代の芸人・三枝の生き様を、母ひとり子ひとりの幼年期、親戚の家を転々していたという意外な生い立ちから、高度経済成長期の大阪を舞台に繰り広げられる、やすきよ、枝雀、寛美、米朝松鶴らとの交流まで。「40年間売れっぱなし」桂三枝を通して大阪の芸能・テレビ史を振り返りながら、成功し続ける男・三枝の人生哲学も追求。テレビで見ている「三枝」とはまた違った魅力を再発見できることうけあいの「お笑い」ファンだけでなく、老若男女に読んでほしい、そんな1冊」そのエッセンスを紹介しよう。

 
「鉄や鋼は叩かれてええ刀になる。芸人もそうや。アホにならんと鍛えられん。あんたはアホになれんところがあるから、損するで」(師匠・桂文枝(当時は小文枝))「私は小さい頃から芸人やってきて、いままでいろんな芸人を見てきたけど、君のような芸人ははじめてや」藤山寛美)。私は芸人らしくなかったんでしょう。私は落語家の新しいスタイル、新しい落語家像というものを知らぬ間に模索し、築いてきたのではないかと思うんです。アホになれぬまま。
 
・二人でする漫才はどうも満足いかないところがある。自分がどんなに頑張ってみても、相手のあることですから、ままならない不確定要素が多い。でも落語はひとりで出来るそれに知的である。咥えて、笑いを目指す芸でもあるので、基本的な部分では漫才ともそうは違わない。これだったら、自分でも出来る!その時、そう思ったんです。落語の奥深さ、難しさを知らなかったからこそ、あんな無謀なことを考えられたんでしょう。これなら絶対自分でも出来るという自信を抱いてしまったんです、何の根拠もなく。
 
・その場で笑いをとるために、下ネタを言ったり、アホなことをしてみせることはいくらでも出来る。そこでは他の芸人を笑いの量で負かすことは出来る。でも、それをやっている芸人たちの脇でニコニコしていて、ここぞというところでポーンとひと言の利いたことを言って一回でも笑わせたらそれでいい。無理して笑わせなくてもいい。それよりいい印象を持たれることの方が大事だ。その方が一時的には印象が薄いかもしれないかわりに、長く愛される濃い味でガツンと腹に来る料理は毎日食べたら胃にもたれて飽きる。けれど、あっさりしたきつねうどんなあら毎日食べても飽きない。そういう芸人になろうと思っていたんです。これは私は生き残りのための戦略でもありました。それのためには、人を傷つけるようなことは出来るだけ言わない。あんまりエッチなことは言わない。悪い言葉は使わないようにすると心に決めたんです。それでも人を笑わすことは出来る。そう思っていました。
 
・いろんな人から「テレビの仕事ばかりしていて、落語家としてはマイナスだ」とか、「遠回りしている」などと言われたものですが、創作落語という現代の落語をやるには、テレビの仕事が十二分に役に立ったのだということを証明できたような気がしました。
 
若い頃売れてしまうと、遊べなくなってしまうところがあるんです。けれども、学ぶのと同時に一生懸命やって、それを仕事に取り込んでいかないと、芸人というのは長続きしないんです。学びながら遊ぶことで、引き出しが増える。経験が増える。それが芸人の芸の「体力」となるんです。そういう「貯め」がないと放電過多になってしまって、芸がかすかすになり、飽きられてしまう。私は、売れるまでは面白いのに、売れてしまうとあんまり面白くなくなてしまう人を嫌というほど見てきました。学び、遊ぶ。
 
五十代になると日本のテレビ界は難しいなぜなら広告のターゲットが若者中心だということもあて、ほとんどすべての番組が若者向けに作られているからです。テレビは若い人たちのもの。つくづくそう思いました。
 
改めて振り返ってみますと、私の活動は、いかにすべてが落語につながっているかということを感じます。それだけ落語は懐の深い芸であるという証しでもあるんですが、何か遠回りしたり、無駄なことをしたなと思えるようなことも、すべて高座に活きているような感じがします。
 

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・(三波春夫)「芸というのはいつ完成したのか自分では自覚出来ないでいて、知らぬ間に崩れていってしまうものなんです。ですから、自分ではもっと良くしようと思って変えているつもりでも、一番いい形を壊してしまっているのかもしれないんです。それで、私は浪曲の節を譜面に固定したいと思って、歌謡浪曲を選んだんです」あれだけ一世を風靡した浪曲が、いま落語以上に衰退してしまったのも、浪曲が落語以上に厳しい芸だったからということもあるんでしょうが、浪曲界の未来を担っていたはずのみなみ、村田英雄といった才能ある人が抜けてしまったからということも大きかったはずです。浪曲浄瑠璃長唄などとは違って、諸先輩たちがやった通りにやればいいといいうものではなく、自分なりの節回しを作っていかなければならない。それを作れる才能がないと魅力を失ってしまう。だから急速に衰退してしまったんです。
 
・大事なのは、落語が笑いを追求しているということ。笑いは常に時代に寄り添っていかねれば生まれません。笑いを追い求める以上は、多少息切れしても、つまずきそうになっても、時代に追いついていかなくてはなりません。だから、落語は何とか生き残って来てるのだと思います。芸は完成した時から崩れる」これは、三波さんから頂いた大事なメッセージでした。
 
「なんだっていいんだよ。売れりゃ。落語家が落語以外で売れるのもいいんです。だから気にせず突っ走りな。落語をうまく聴かせる方法ならいつでも教えるからさ」「新作落語は池に石を投じた波紋の波じゃない、流れだよ、川の流れ。波はいつか消えるけど、流れは止まらないから、頑張りなさいよ」立川談志

 

あまりにスゴすぎて、改めて語られることが少なかったよな気がする。文枝師匠、スゴいなあ。お笑いファン必読っ!オススメです!(・∀・)

 

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桂三枝という生き方

桂三枝という生き方

  • 作者:桂 三枝
  • 出版社/メーカー: ぴあ
  • 発売日: 2005/03
  • メディア: 単行本