一日一冊一感動!小野塚テルの『感動の仕入れ!』日記

タイトルは、『一日一冊一感動!小野塚テルの感動の仕入れ!』日記。 毎日の読書、映画、グルメ、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。(ときどき「酒場のギター弾き」「B級グルメ」も紹介します)

「桂三枝という生き方」(桂三枝)

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桂三枝という生き方

桂三枝という生き方

  • 作者:桂 三枝
  • 出版社/メーカー: ぴあ
  • 発売日: 2005/03
  • メディア: 単行本
 

六代目桂文枝師匠、我々にとっては桂三枝師匠というのがおなじみだよね。 もう大昔からテレビに出て、売れ続けている。あまりにスゴすぎて、スゴいと感じさせないのがスゴいっ!(・∀・)

 

40年間、第一線。こんな男、どこにもいない。芸能生活40年、還暦を迎えてもなお、その若さ、軽さ、華やかさを失わない桂三枝の自伝。稀代の芸人・三枝の生き様を、母ひとり子ひとりの幼年期、親戚の家を転々していたという意外な生い立ちから、高度経済成長期の大阪を舞台に繰り広げられる、やすきよ、枝雀、寛美、米朝松鶴らとの交流まで。「40年間売れっぱなし」桂三枝を通して大阪の芸能・テレビ史を振り返りながら、成功し続ける男・三枝の人生哲学も追求。テレビで見ている「三枝」とはまた違った魅力を再発見できることうけあいの「お笑い」ファンだけでなく、老若男女に読んでほしい、そんな1冊」そのエッセンスを紹介しよう。

 
「鉄や鋼は叩かれてええ刀になる。芸人もそうや。アホにならんと鍛えられん。あんたはアホになれんところがあるから、損するで」(師匠・桂文枝(当時は小文枝))「私は小さい頃から芸人やってきて、いままでいろんな芸人を見てきたけど、君のような芸人ははじめてや」藤山寛美)。私は芸人らしくなかったんでしょう。私は落語家の新しいスタイル、新しい落語家像というものを知らぬ間に模索し、築いてきたのではないかと思うんです。アホになれぬまま。
 
・二人でする漫才はどうも満足いかないところがある。自分がどんなに頑張ってみても、相手のあることですから、ままならない不確定要素が多い。でも落語はひとりで出来るそれに知的である。咥えて、笑いを目指す芸でもあるので、基本的な部分では漫才ともそうは違わない。これだったら、自分でも出来る!その時、そう思ったんです。落語の奥深さ、難しさを知らなかったからこそ、あんな無謀なことを考えられたんでしょう。これなら絶対自分でも出来るという自信を抱いてしまったんです、何の根拠もなく。
 
・その場で笑いをとるために、下ネタを言ったり、アホなことをしてみせることはいくらでも出来る。そこでは他の芸人を笑いの量で負かすことは出来る。でも、それをやっている芸人たちの脇でニコニコしていて、ここぞというところでポーンとひと言の利いたことを言って一回でも笑わせたらそれでいい。無理して笑わせなくてもいい。それよりいい印象を持たれることの方が大事だ。その方が一時的には印象が薄いかもしれないかわりに、長く愛される濃い味でガツンと腹に来る料理は毎日食べたら胃にもたれて飽きる。けれど、あっさりしたきつねうどんなあら毎日食べても飽きない。そういう芸人になろうと思っていたんです。これは私は生き残りのための戦略でもありました。それのためには、人を傷つけるようなことは出来るだけ言わない。あんまりエッチなことは言わない。悪い言葉は使わないようにすると心に決めたんです。それでも人を笑わすことは出来る。そう思っていました。
 
・いろんな人から「テレビの仕事ばかりしていて、落語家としてはマイナスだ」とか、「遠回りしている」などと言われたものですが、創作落語という現代の落語をやるには、テレビの仕事が十二分に役に立ったのだということを証明できたような気がしました。
 
若い頃売れてしまうと、遊べなくなってしまうところがあるんです。けれども、学ぶのと同時に一生懸命やって、それを仕事に取り込んでいかないと、芸人というのは長続きしないんです。学びながら遊ぶことで、引き出しが増える。経験が増える。それが芸人の芸の「体力」となるんです。そういう「貯め」がないと放電過多になってしまって、芸がかすかすになり、飽きられてしまう。私は、売れるまでは面白いのに、売れてしまうとあんまり面白くなくなてしまう人を嫌というほど見てきました。学び、遊ぶ。
 
五十代になると日本のテレビ界は難しいなぜなら広告のターゲットが若者中心だということもあて、ほとんどすべての番組が若者向けに作られているからです。テレビは若い人たちのもの。つくづくそう思いました。
 
改めて振り返ってみますと、私の活動は、いかにすべてが落語につながっているかということを感じます。それだけ落語は懐の深い芸であるという証しでもあるんですが、何か遠回りしたり、無駄なことをしたなと思えるようなことも、すべて高座に活きているような感じがします。
 

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・(三波春夫)「芸というのはいつ完成したのか自分では自覚出来ないでいて、知らぬ間に崩れていってしまうものなんです。ですから、自分ではもっと良くしようと思って変えているつもりでも、一番いい形を壊してしまっているのかもしれないんです。それで、私は浪曲の節を譜面に固定したいと思って、歌謡浪曲を選んだんです」あれだけ一世を風靡した浪曲が、いま落語以上に衰退してしまったのも、浪曲が落語以上に厳しい芸だったからということもあるんでしょうが、浪曲界の未来を担っていたはずのみなみ、村田英雄といった才能ある人が抜けてしまったからということも大きかったはずです。浪曲浄瑠璃長唄などとは違って、諸先輩たちがやった通りにやればいいといいうものではなく、自分なりの節回しを作っていかなければならない。それを作れる才能がないと魅力を失ってしまう。だから急速に衰退してしまったんです。
 
・大事なのは、落語が笑いを追求しているということ。笑いは常に時代に寄り添っていかねれば生まれません。笑いを追い求める以上は、多少息切れしても、つまずきそうになっても、時代に追いついていかなくてはなりません。だから、落語は何とか生き残って来てるのだと思います。芸は完成した時から崩れる」これは、三波さんから頂いた大事なメッセージでした。
 
「なんだっていいんだよ。売れりゃ。落語家が落語以外で売れるのもいいんです。だから気にせず突っ走りな。落語をうまく聴かせる方法ならいつでも教えるからさ」「新作落語は池に石を投じた波紋の波じゃない、流れだよ、川の流れ。波はいつか消えるけど、流れは止まらないから、頑張りなさいよ」立川談志

 

あまりにスゴすぎて、改めて語られることが少なかったよな気がする。文枝師匠、スゴいなあ。お笑いファン必読っ!オススメです!(・∀・)

 

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桂三枝という生き方

桂三枝という生き方

  • 作者:桂 三枝
  • 出版社/メーカー: ぴあ
  • 発売日: 2005/03
  • メディア: 単行本