ウワサの本、ようやく読むことができました!タイトルからして惹きつけられるっ!(・∀・)
一発屋でも、一時的でも売れたということはスバラシイよね。お笑いファン必読、オススメです。(・∀・)♪
ウワサの本、ようやく読むことができました!タイトルからして惹きつけられるっ!(・∀・)
一発屋でも、一時的でも売れたということはスバラシイよね。お笑いファン必読、オススメです。(・∀・)♪
言葉によって勇気づけられ、言葉によって落ち込んだりするよね。どうせなら、勇気づけられたいよね。(・∀・)
さてこの本。名文のコレクションという贅沢な一冊!「人の心を打つ名文を書くには、名文を盗むことから始めよう。当代随一の名文家が、小林秀雄からスティーヴン・キング、落語、六法全書まで、秘密のネタ帳から古今東西の「名文」を絶妙に引用して綴る人生の四季。名文の芳香に浸る至福のひととき」その代表的な名文を紹介しよう。
・いい人と歩けば祭り
悪い人と歩けば修行 (小林ハル)
・上司から「働くとはハタ(周囲)を楽にさせることなんだぞ」と陳腐な言い回しで説教されたといき、ただうつむくものいいけれど、
それなら「じだらく」(自堕落)の方が、自他ともに楽になるから、一層良いのではないか。(田中美知太郎)
・【あい】(愛)に始って【をんな】(女)に終わるもの、それは戦前の辞書。【あい】(あい)に始まって【わんりょく】(腕力)に終わるもの、それは戦後の辞書である。(高見順 見坊豪紀)
・「痛い」
すきになる ということは
こころを ちぎってあげるのか
だから こんなに痛いのか (工藤直子)
・ネクタイを 上手に締める 猿を飼う(森中恵美子)
・金メダルを2つも手にしながら「人生最高の喜びではない」そう語った人がいる、北京パラリンピック男子400メートル、800メートル(車いす)の伊藤智也選手である。
生きてきた人生のなかで五番目にうれしい。子供が四人いるので。(伊藤智也)
・銭形平次と女房お静はフランス語が話せた。出かける平次親分を、お静が送る。おまえさん、大切な商売道具は持ったでしょうね。
「ジュテモタ?」
「マダモトラン」(三遊亭歌之介)
・甥御さんが中学生の頃、学校で習う以上の学力をつけてやりたい「伯母ごころ」から壇ふみさんが英語の家庭教師を買って出た。
ある晩、レッスンの途中、おふみ先生が例題の一語について解答を求めた。
「エレガントは何の意味?」「ええと、ええと、ええと」甥は答えられない。おふみはちょっと気取ってみせる。
「じゃあね、伯母さんのことを考えてごらん。伯母さんの姿を、人が日本語で上手に言い表すとしたら、どんな言葉を使うでしょう?」
「分かった」中学生が叫んだ。「象だ」(阿川弘之)
・息子(小三)の持ち帰った書き取りのテストに「女心と心配」と書いて、×がついていた。息子「女という字にウかんむり忘れたの」
・学生「どうすれば金もうけができますか?」
猿の毛を抜け!(和田垣謙三)
MONKEYの「K」を抜けばMONEYになる、と。気の利いた洒落で学生を煙に巻いた。
・僕が母のことを考えている時間よりも
母が僕のことを考えている時間の方がきっと長いと思う。
(NTT「秀作ネーミング事典」)
・誰でも、生まれた時から五つの年齢までの、あの可愛らしさで、たっぷり一生分の親孝行はすんでいるのさ、五つまでの可愛さでな。(岩崎老人「塀の中の懲りない面々」(安部譲二))
・ナイジェリアのゴウォン将軍が国賓として英国を訪問したときのことである。ロンドンのヴィクトリア駅まで、エリザベス女王が馬車で出迎えた。ふたりが馬車に乗っていると、一頭の馬が尻尾を上げて、おならをした。女王はゴウォン将軍のほうを向いて言った。「まあ、申しわけありません。いらして早々、こんな失礼を」「いや、どうぞ、お気になさらないえください」ゴウォン将軍は言った。「わたしはてっきり馬がしたのだと思っていましたから」
・数学者ガウスは1807年、ある問題に熱中していた。医者がそばへ来て、二階で奥さんが危篤だと知らせた。すると、目をそらさず、つぶやいて「待つように言ってくれ、もう少しで解答ができる」
・心理学者フロイトは、列車の時刻表の見方がわからなかった。旅行には、だれかとでないと出かけられなかった。
・「天才とは、蝶を追っていつのまにか山頂に登っている少年である」(ジョン・スタインベック)
・気象庁のソフトボール大会が雨で延期されたそうでございます。(桂枝雀)
・蝙蝠傘は、世界で一番小さな、二人だけの屋根である。(寺山修司)
・「かさ」(お店やさんごっこをしていて)これ(かさ)はあめのおとがよくきこえる きかいです 大阪日向子 宮城・五歳
・「マグダラのマリア」とあるのを、ついうっかり「マタグラのマリア」と読んでお目玉を喰った。(和田信賢「放送ばなし」)
・最新型の体重計が発売された。声でいろいろなアドバイスをしてくれる。例えば、「体重が徐々に増えています。お気をつけください」というように。ある婦人がさっそく買い求め、ドキドキしながら体重計に乗った。体重計が告げた。「一人ずつ乗ってください」
・世の中に澄むと濁るで大違い
刷毛(はけ)に毛があり 禿(はげ)に毛がなし
服に徳あり 河豚(ふぐ)に毒あり
人は茶を飲み 蛇(じゃ)は人を飲む
キスは甘いし 傷は痛いし
旗はヒラヒラ 肌はチラチラ
ためになる人 だめになる人
菓子は食いたし 餓死は食えない
・「あのね、蛇が脱皮するの、どうしてだか知ってます?一生懸命、何度も何度も脱皮しているうちに、いつかは足が生えてくるって信じているからなんですってさ。今度こそ、ってね」(宮部みゆき「火車」)
・「酒がある。一杯のめ」
「イヤ、願があって、三年禁酒した」
「お前のような酒のみが、ほんとうか」
「きっぱりと酒は断った」
あくる晩、みんなで飲んでいるところへ、酒を飲みにきた。
「それ見ろ、昨日禁酒だといったくせに、もう破るのか」
「破りはしない。三年の禁酒を六年にして、夜だけ飲むのだ」
「なるほど、そんなら、いっそ十二年にして、夜昼のめ」
・親が酒を飲めば、孝行息子や孝行娘が育つ。養老の滝でも何でも、昔から孝行な人物の親は、大概酒を飲みますものです。(泉鏡花)
・「人生仮免許」
二十歳の諸君!今日から酒が飲めるようになったと思ったら大間違いだ。諸君は、今日から酒を飲むことについて勉強する資格を得ただけなのだ。仮免許なのだ。かく言う私自身でありが、実はいまだに、仮免許がとれないのだ。諸君!この人生、大変なんだ。(山口瞳)
・ロナルド・レーガンが大統領に就任して二ヶ月後、講演を終えてワシントンのホテルから出たところをピストルで撃たれた。搬送された病院で胸から弾丸を摘出する手術を受けるとき、執刀医にウィンクをして語った言葉。「君が共和党の支持者であるのを祈るよ」(ロナルド・レーガン)
・ホンダの本田宗一郎の遺言。社葬はするな。社葬なんかすれば、交通渋滞になり、世間に迷惑がかかる。そんなことはクルマ屋として、絶対にやってはならない。(本田宗一郎)
・阪急グループ総帥、宝塚歌劇団の創立者の小林一三。昭和初年は、不況で、阪急百貨店の食堂はライスだけを注文する客で混み合った。ライスに卓上のソースをかけて食う。ある日、食堂に「ライスだけの客お断り」の貼り紙が掲げられた。それを見た小林は、ただちに書き直させたという。「ライスだけの客、歓迎」
・講談の邑井貞吉は、豊臣秀吉が細川幽斎から和歌の道を教えられるという物語を講じて、「その時太閤殿下か詠み給うとお歌が……」と、そこまで言ってハタとその歌を忘れてしまった。お歌がお歌がと繰り返しながら思い出そうとしても出て来なかった。「おい、だれか楽屋に知ってる者はいないかい?……」声をかけたが返事がなかった。するとこんどは客席に向かって、「どなたかお客さまでご存知の方はいらっしゃいませんか?」客席はどっと沸いたが、あいにく歌の文句まで貞吉に教えられる客はいなかった。そこで貞吉やおら張り線をポンと叩いて、「なに知らなきゃ知らないでよござんす。大した歌じゃありませんー」(大西信行「落語無頼語録」)
・武者小路実篤は、70年間にわたって、毎日のように書を書き絵を描いたが、ついに書も絵も上達することはなかった。しかし、私にとって「勉強すれば偉くなる」とか「勉強すれば上達するということよりも「いくら勉強しても上手にならない人もいる」ということのほうが、遥かに勇気をあたえてくれる」(山口瞳)
・東大出には、『赤門』と『バカモン』がある。(山藤章二)
・国文学者の池田彌三郎さんが婦人と福島県のひなびた温泉に旅したときのこと。夕方、宿の下駄をつっかけ、散歩にっ出ようとした。すると、宿屋の番頭が玄関のところにいて「じいさん、ばあさん、お出かけ」と大声で怒鳴ったという。一周りして帰ってきたところが、再びその番頭が「じいさん、ばあさん、お帰り」と言った。池田氏はつかつかとその番頭の前へ行き、「きみ、いくら何でもぼくたちをじいさん、ばあさん呼ばわりすることはないだろう。少しは違った言い方があるんじゃないか」と抗議した。すると今度は番頭の方が面食らった表情で、そんなことを言った覚えはないという。一体どういうことかと思ってよく聞いてみると、池田氏の泊まった部屋の番号が十三番だった。「ずうさんばんさんお出かけ」と言ったのである。(金田一春彦「日本語を反省してみませんか」)
・「カレイ」
九州の飲み屋でのこと となりの若者が 箸を上手に使って 焼ガレイを見事に食べていた そのまま標本に出来るほと きみ きれいに食べるね と声を掛ければ カレ こちらも見ずに はいネコが月謝払って 魚の食べ方ば習いに来よります (川崎洋「交わす言の葉」)
・月亭可朝さんは野球賭博の容疑で警察のやっかいになったことがある。可朝は取調官に「お上のやってる競馬や競輪はよくて、野球賭博はどうしていけないのか」と聞いた。取調官は「野球賭博は暴力団の資金源になるからいけないのだ」と答えた。ここで可朝は伝説に残る名文句を吐いた。「そら、負けて賭金(かね)を取られた場合でっしゃろ。わしは勝っとるから暴力団から吸い上げとる。表彰してほしいくらいのもんや」(吉川潮「完本・突飛な芸人伝」)
セミナーのネタ集としても使えるね。超オススメですー!(・∀・)
久しぶりにヨシタケシンスケさん。やっぱり天才だねー!(・∀・)
視点といい、切り口といい、子どもならぜったいに考えている、体験している、喜ぶ、共感する日常テーマの絵本が多いんだよね。
さてこの本、笑っちゃうよー!
ぼく、おしっこちょっぴりもれたろう。
おしっこをするまえかしたあとに、ちょっぴりもれちゃうから、いつもお母さんにおこられる。
でも、いいじゃないか。ちょっぴりなんだから。ズボンをはいたらわかんないんだから。しばらくするとかわくんだから。
でも、ぼくみたいにもれたろうでこまっている人、ほかにもいるんじゃないかな?
「子どもの悩みがちょっぴり軽くなる!? ヨシタケシンスケのユーモア絵本」
最後のおじいちゃんの登場で、多くの子どもの救われるよね。おすすめです!(・∀・)
毎年、毎年、さまざまな自然災害や天災が起こるたびに当たり前のことがいかに幸せかわかるよね。電気、ガス、水道はもちろん、車、電車、バス、飛行機…などなど。
もし、これらの文明や科学が消えたとしたら?いったいどうなるんだろう?そして我々のこの世界はどのようにしてできあがったんだろう?って考えたことない?(・∀・)!
その答えがここにある!「人類はなぜ科学を生み出せたのか?ヒトの誕生から言語の獲得、古代ギリシャの哲学者、ニュートンやアインシュタイン、量子の奇妙な世界の発見まで、世界を見る目を一変させる決定版科学史!」そのエッセンスを紹介しよう。
・私は気づいた。人間のあらゆる欲求の中でもっとも人間的なのは、知識の探求だということを。そして環境は違うものの、私自身が持っている、この世界を理解したいという情熱も、父と同じ衝動に突き動かされているのだということを。
・人間の気高さは、知りたいという欲求に潜んでいる。我々は生物種として独特であるがゆえに、何千年もの努力の末に自然というパズルを解くのに成功してきた。我々はどのようにして、飛行機を飛ばし、世界中に瞬時にメッセージを送り、巨大実験施設で初期宇宙の状態を再現する存在までになったのか?本書で語りたいのはその物語である。それを知ることで、人間として自分が受け継いだものを理解できるのだ。
・我々は文字言語を当たり前のものだと思っているが、実はもっとも難しい史上最大の発明の一つである。その難しさを物語る事実として、現在話されている言語は世界中3000以上記録されているが、そのうち文字を持っているものはわずか100ほどしかない。さらに、人類史全体を通して文字はわずか数回しか発明されておらず、それがおもに文字の拡散によって世界中に広がった。何度も再発明するのではなく、既存の文字体系を借用したり改良したりしたのだ。
・文字言語がはじめて使われたのは、紀元前3000年より少し前、メソポタミア南部のシュメールにおいてだったと考えられる。これまでに発掘されている粘土板の85%は会計に関するもので、残り15%の大部分は未来の会計士を育成するためのものである。
・アインシュタイン「かなたに見えるこの巨大な世界は、我々人間とは関係なく存在していて、我々の前に大きな永遠の謎として立ちふさがり、我々のい観察や思考では少なくともその一部しか理解できない。この世界について思索することは、拘束からの解放のように魅力的だった。…その楽園への道のりは確実であると証明されており、私はそれを選んだことをけっして後悔していない」
「人が芸術や科学へ向かう最大の動機の一つは、ひどくがさつでどうしようもないほど憂鬱な日常生活から逃れることだ。……一人一人がこの宇宙とその構造を自分の感情の中止に据えることで、混沌とした狭い個人的経験では得られない安心と安全を見つけるのだ。
・スティーヴン・ホーキング「ある意味、身体が不自由なことにう感謝しているよ。おかげで自分の研究にもっとずっと集中できるからね」
・ニュートン「誰かと時間を共有して無駄にするよりも、自分だけの世界に生きているほうがずっと好都合だ」
壮大なドラマだ。人間ってすごい、科学ってすごいね。オススメです。(・∀・)
昨年より、巨人軍の4番に定着した背番号25の岡本和真。ダイナミックなフォームと和製大砲、来年以降、益々期待できるよね。岡本の前の背番号25といえば、忘れもしない、男・村田修一だ。(・∀・)
「横浜、巨人の主砲として球界に名を残し、2018年で現役を引退した男・村田修一。2017年オフに受けた、まさかの戦力外通告。野球人生を大きく変えた「運命の1日」に密着。どん底に落とされた時の心境、松坂世代の仲間との絆、家族と交わした言葉、そして引き際を初めて語った」そのエッセンスを紹介しよう。
・想像してほしい。重大な落ち度があったわけでもなく、目に見えて能力が衰えたわけでもないのに突然それまで家族を養ってきた誇りある仕事を失うことになったら……。明日から収入も肩書きもすべきことも、全てが一挙になくなるとしたら……。男の身の上には、それが起きた。
・毎年、打撃フォームを変えたり、独特な練習方法を行う村田選手には技術的な質問をさせてもらうことも多かったのですが、村田選手はいつでも足を止め、時にはバットで再現しながら、そこに至ったきっかけから経緯、根拠までを時間を気にすることなく説明してくれました。村田選手には「感覚的」という言葉は当てはまりません。プレーの全てには根拠があって、その根拠を導き出す為に自身を研究し、相手投手を研究する。そして一度決めた「芯」は結果や状況がどうであれ決してブレることはありません。自分が納得するまで物事を突き詰め、納得するものを見つけたら決してブレることなく突き通す。そんな村田選手の口癖は「てめえの人生だからてめえで責任取るしかない」でした。節目の度に耳にしたこの言葉。私は村田選手がこの言葉を大事にした理由、そしてその由縁を彼の引退間際に知ることとなりました。(金子卓磨・テレビ東京ディレクター)
・「三塁というポジションは外国人でも補充ができる。二遊間とは違い、守備力よりも打力が求められる。チームの主砲としての確固たる打撃がなければ、いろんな選手の起用が可能なポジションともいえる。その点は、駒がいればいるほど助かる投手とは違う。若手を伸ばし、チームの底上げを図りたいと考えているチームはベテラン三塁手の獲得になおさら腰を引くことになる」(東尾修)
・プロ野球選手にとって若さは残り時間の「別名」であり、ベテランという表現は可能性という価値が摩滅してしまった事実を物語る残酷な肩書きでもある。
・ーもしも一度だけ人生のどこかに戻れるとしたら、どこに戻りたいか?
「一回戻るね……まあFAしないっていう選択肢に戻るんだったらそこに戻るんだろうけど。そこに戻るとジャイアンツにいって知り合った選手たちとの絆はないわけで、それも寂しい話出し、自分で手を挙げて優勝したいですって出たから、それを自分で受け止めないといけないし、横浜ですごく応援してくれたファンのみなさんは裏切られたって気持ちもあるかもしれないけど、横浜にいる時は横浜のために全力でやってきたし……。戻らなくても良いかな、もう、戻らなくても良いと思うけどな……。心は本当に充実していたかな、泣きながらでもしゃべって前に進めたから、そういう意味では……戻るところはないですかね、やっぱりね」
やっぱり2000本安打は達成させたかったね。でも立派だったなあ、村田は。野球ファン必読です。オススメです。(・∀・)♪
子どもの頃から、お笑いが大好き。当時はなんといっても林家三平師匠だよね。「お正月に、お坊さんとお坊さんがぶつかって「和尚がツー!」」とか、あまりにくだらなくて、オモシロくて、亡くなったときは本当にショックだった……。
さて、この本。江戸時代から続く小咄の古典ともいうべき本。これが時を超えて笑えるんだ。そのエッセンスを紹介しよう。
いいねえ。かえって新鮮かもね。雑談のネタにいいね。オススメです。(・∀・)♪
昭和流行歌スキャンダル そのときヒット曲は生まれた (新人物文庫)
令和になって数ヶ月、平成ならまだしも昭和は遠きになりにけり、だね。やっぱり昭和の雰囲気、昭和の日常、昭和のお店、そして昭和の歌が大好きっ!♪
さてこの本。「老いも若きも肩を並べて聴き入った、昭和の「流行歌」。数々の名曲の裏には秘められたエピソードがあった! 今井正監督が嫌った主題歌「青い山脈」。石原裕次郎「錆びたナイフ」の詞は盗作? わずか3分で作曲した「ブルーシャトウ」。などなど、一挙公開!」そのエッセンスを紹介しよう。
・流行歌は昭和をもって終わったーと私は思っている。ある時代の、ある世代を象徴する歌は、いつの世にもある。しかし、大晦日のNHK紅白歌合戦のテレビ放送に、老いも若きも肩を並べて聴き入ったあの共感は、昭和で終わった。
・明治大学在学中に作った「影を慕いて」
作曲家・古賀政男は明治大学在学中の昭和3年10月、メンバーであった明大マンドリンクラブの演奏会が、東京青山の日本青年館で開かれ、そこで自作の『影を慕いて』を披露した。これは下宿の父が死亡したあとの苦しい人生を追想しながら作った曲で、ギターをつま弾くうち、自然と涙があふれてきたという。折からの時雨が、ほとほとと窓をたたく……まさに、演歌そのものの光景である。
・森進一と吉田拓郎のコンビに大もめ「襟裳岬」
岡本おさみは70年安保闘争が終わったころ北海道を訪れ、襟裳岬で片腕のない男と出会う。もとは漁師だったらしいその男の挫折の影と静かな諦観の表情に強く惹かれた。そして「焚火I」の詩を書く。これをもとにフォーク風の歌謡曲調詞にしたのが『襟裳岬』である。
・シクラメンの花の色を知らず、イメージだけで「シクラメンのかほり」
歌詞にはいろんなクレームがついた。「清(すが)しい」という表現はないとか、「かほり」の字がおかしいとか……。確かに「香り」は新仮名なら「かおり」、旧仮名は「かをり」。「かほり」という名ホステスはどの店でもいるから「これはキャバレー仮名だ」と冷やかす人もあった。だが「かほり」は小椋夫人の名前から取ったものだ。この曲のおかげで、それまでさほどなじみのなかったシクラメンの花が飛ぶように売れた。小椋は想像で書いたけれど、現実に白、紅、紫、みんなあった。ある日、花屋の人込みの前を通りかかった布施明は、笑いをかみ殺してつぶやいた。「花屋さんも『シクラメンでがっぽり』だな」
その他、「演歌のはしり『オッペケペー節』」「ヒーローの名をまちがえた『侍ニッポン』」「ハワイを知らずに『憧れのハワイ航路』」「植木等が拒否反応した『スーダラ節』」「わずか3分で作曲『ブルー・シャトー』」「空前絶後、詞曲のダブル盗作「水色の恋」「初回三千枚、テスト盤もなかった『くちなしの花』」「渡辺晋が大反対した『二人でお酒を』」「敏いとうが無断で吹き込んだ『わたし祈ってます』」「外国曲にそっくり『聖母たちのララバイ』」「内藤先生はうますぎる『おゆき』」「若者は『昴』を英語だと思っていた」「盲目の流しの埋もれた曲『奥飛騨慕情」「古賀賞予選落ちの『さざんかの宿』など。
ちょっとしたチャンスで歌って売れるんだね。ということはワタシの「紅白歌合戦出場」の夢も叶うかもしれない!(笑)オススメです。(^o^)♪
昭和流行歌スキャンダル そのときヒット曲は生まれた (新人物文庫)