「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「昭和流行歌スキャンダル そのときヒット曲は生まれた」(島野功緒)

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 令和になって数ヶ月、平成ならまだしも昭和は遠きになりにけり、だね。やっぱり昭和の雰囲気、昭和の日常、昭和のお店、そして昭和の歌が大好きっ!♪

 

さてこの本。「老いも若きも肩を並べて聴き入った、昭和の「流行歌」。数々の名曲の裏には秘められたエピソードがあった! 今井正監督が嫌った主題歌青い山脈石原裕次郎「錆びたナイフ」の詞は盗作? わずか3分で作曲した「ブルーシャトウ」。などなど、一挙公開!」そのエッセンスを紹介しよう。


流行歌は昭和をもって終わったーと私は思っている。ある時代の、ある世代を象徴する歌は、いつの世にもある。しかし、大晦日NHK紅白歌合戦のテレビ放送に、老いも若きも肩を並べて聴き入ったあの共感は、昭和で終わった


明治大学在学中に作った「影を慕いて」

作曲家・古賀政男明治大学在学中の昭和3年10月、メンバーであった明大マンドリンクラブの演奏会が、東京青山の日本青年館で開かれ、そこで自作の『影を慕いて』を披露した。これは下宿の父が死亡したあとの苦しい人生を追想しながら作った曲で、ギターをつま弾くうち、自然と涙があふれてきたという。折からの時雨が、ほとほとと窓をたたく……まさに、演歌そのものの光景である。


・森進一と吉田拓郎のコンビに大もめ襟裳岬

岡本おさみは70年安保闘争が終わったころ北海道を訪れ、襟裳岬で片腕のない男と出会う。もとは漁師だったらしいその男の挫折の影と静かな諦観の表情に強く惹かれた。そして「焚火I」の詩を書く。これをもとにフォーク風の歌謡曲調詞にしたのが襟裳岬である。


シクラメンの花の色を知らず、イメージだけでシクラメンのかほり

歌詞にはいろんなクレームがついた。「清(すが)しい」という表現はないとか、「かほり」の字がおかしいとか……。確かに「香り」は新仮名なら「かおり」、旧仮名は「かをり」「かほり」という名ホステスはどの店でもいるから「これはキャバレー仮名だ」と冷やかす人もあった。だが「かほり」は小椋夫人の名前から取ったものだ。この曲のおかげで、それまでさほどなじみのなかったシクラメンの花が飛ぶように売れた。小椋は想像で書いたけれど、現実に白、紅、紫、みんなあった。ある日、花屋の人込みの前を通りかかった布施明は、笑いをかみ殺してつぶやいた。「花屋さんも『シクラメンでがっぽり』だな」


その他、「演歌のはしり『オッペケペー節』」「ヒーローの名をまちがえた『侍ニッポン』」「ハワイを知らずに『憧れのハワイ航路』」「植木等が拒否反応した『スーダラ節』」「わずか3分で作曲『ブルー・シャトー』」「空前絶後、詞曲のダブル盗作「水色の恋」「初回三千枚、テスト盤もなかった『くちなしの花』」「渡辺晋が大反対した『二人でお酒を』」「敏いとうが無断で吹き込んだ『わたし祈ってます』」「外国曲にそっくり『聖母たちのララバイ』」「内藤先生はうますぎる『おゆき』」「若者は『昴』を英語だと思っていた」「盲目の流しの埋もれた曲『奥飛騨慕情」「古賀賞予選落ちの『さざんかの宿』など。

 

ちょっとしたチャンスで歌って売れるんだね。ということはワタシの紅白歌合戦出場」の夢も叶うかもしれない!(笑)オススメです。(^o^)♪

 

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