「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「美空ひばり “歌う女王” のすべて」(文藝春秋編)

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元号「令和」が発表されて平成もあと一ヶ月だね。この時期に思い出すのは昭和の終わりに亡くなった手塚治虫石原裕次郎、そして美空ひばりだ。一つの時代の終わりを感じさせるよね〜!

 

さて、この本。聴く美空ひばりではなく、読む美空ひばりワタシの親の世代だけど、やっぱり美空ひばりは天才だったんだね。そのコメントのいくつか紹介しよう。

 

・(井上ひさし)ぼくが繰り返し聴く曲というのは昭和32年港町十三番地までなんですよ。あとの「哀愁波止場」とか「柔」とか「悲しい酒」とかは,どうも違うひばりさんの歌のような気がしています。もちろん、これは一ファンの勝手な思い込みですが、ひばりさんが日本の歌謡曲に持ち込んだ新しい規則というのは「日本語を完璧にリズムに乗せる」ことだった。ある分野に、まったく新しい規則を持ち込む才能の持ち主をひとは天才といいますが、ひばりさんはその意味で正真正銘の天才でした。しかし港町十三番地以後、ひばりさんは日本語をリズムに乗せようとしなくなった。昭和初期の流行歌へ戻ってしまう。ひばりさんは、やっぱりラジオとレコードと映画の時代の人なんです。ジェット機じゃなく、豪華客船時代の人なんです。

 

岩城宏之)ひばりさんの歌唱は、どんなときに聴いてもパーフェクトだった。テレビではない、何度も実演を見に行った。彼女のパーフェクトぶりを、冷たいとは思わなかったけれど、あんなに上手く歌わなくてもいいんじゃないか、といつも思った。世界中で、これほど完璧に音程のよい歌手は存在しなかった、と断言できる。ひばりさんはいわゆる音楽教育を一切受けていないはずである。生まれ持った才能、つまり天才だっただけだったのだ。音楽史上唯一の「天才」は、モーツァルトだけというのが、常識である。しかし僕はこの言葉を、ためらいなく美空ひばりさんにも使いたい

 

その他、「ひばりは横須賀を歌わず、百恵は横浜を歌っていない」「ゆらぎ、にじみ出るひばり歌謡、直進する百恵という生」など。

 

久しぶりに聴きたくなりました。オススメです。(・∀・) ♪

 

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「東電OL殺人事件」(佐野眞一)

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東電OL殺人事件 (新潮文庫)

東電OL殺人事件 (新潮文庫)

  • 作者:佐野 眞一
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2003/08/28
  • メディア: 文庫
 

いい本は何度でも読みたいよね。その感動をじわーっと味わいたいよね。(・∀・)

 

10年ぶりにこの本を読んだが、感動というよりもますます謎が深まるばかり……。過去の事件モノでは下山事件とこの「東電OL殺人事件」だろう。

 

「彼女は私に会釈して、「セックスしませんか。一回五千円です」といってきました――。古ぼけたアパートの一室で絞殺された娼婦、その昼の顔はエリートOLだった。なぜ彼女は夜の街に立ったのか、逮捕されたネパール人は果たして真犯人なのか、そして事件が炙り出した人間存在の底無き闇とは……。衝撃の事件発生から劇的な無罪判決までを追った、事件ノンフィクションの金字塔」そのエッセンスを紹介しよう。


・泰子は慶応大学経済学部を卒業すると、東京電力に入社した。その後、エリートコースを進み、管理職となった。会社では仕事を完全にこなしていたが、服装は地味で、人付き合いもなく、これといった男性との噂も聞かず、孤立した存在だったという。ちなみに、父親は東大出身で、母親は日本女子大出身、妹は東京女子大を出て大手電器メーカーに勤めている。昼のエリート・キャリアウーマンには全く別の夜の顔があった。それを知ったマスコミが放っておくわけがなく、泰子のプライバシーは滅茶苦茶にされた。



・マスコミは円山町周辺の取材をして、泰子が通りかかった男に声をかけているところや男と腕を組んで歩いている姿を目撃したという話を書いた。東電の管理職である泰子が金目当てで売春しているとは考えられないと、スポーツ新聞や週刊誌はいろんな憶測記事を書き、ある週刊誌は全裸写真まで掲載した。泰子の母親は耐え切れず警察に抗議した。東京法務局は、行過ぎた内容は人権侵害に当たるとして再発防止の異例の勧告を行なった。その後、少しは鎮静化したようだった。

泰子の手帳には十数人の男性の名前、電話番号がメモされていた。捜査本部はメモに記されていた男性を次々と調べていった。その結果、殺害があったとされた8日夜に、一緒に食事をしてホテルへ行った会社員がいることが判明した。この日は土曜日で泰子の会社は休みだったが、午前11時20分に自宅を出て、電車で渋谷経由、五反田へ向かった。行き先は休日の職場にしていた「マゾッ娘宅配便」だった。ここで泰子は2万5000円で客をとり、うち1万円をお店側に渡し、残りの1万5000円が泰子の取り分になっていた。


被害者女性には職場でのストレスがあったことが示唆されている。高学歴のエリート社員であり、金銭的余裕があるのに、夜は相手を選ばず不特定多数の相手と性行為を繰り返していたことには、自律心を喪失し、何らかの強迫観念に取りつかれ、自暴自棄になった依存症の傾向が見られる。また、被害者が円山町近辺のコンビニエンスストアで、毎日コンニャク等低カロリーの具材とおでんの汁を常食としていたことをコンビニ店員に目撃されていたこと、加害者男性が被害者女性を「骨と皮だけのような肉体だった」と証言していたことから、被害者女性が拒食症に罹患していたことも推定される。

 

何事にも原因と結果があるんだね。この事件にも。忘れられない事件だ。そしてノンフィクションだ。超オススメです。

 

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東電OL殺人事件 (新潮文庫)

東電OL殺人事件 (新潮文庫)

  • 作者:佐野 眞一
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2003/08/28
  • メディア: 文庫
 

 

「日本 昭和トンデモ児童書大全」(中柳豪文)

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日本昭和トンデモ児童書大全 (タツミムック)

日本昭和トンデモ児童書大全 (タツミムック)

 

いや〜ウレシイねえ〜!!!いよいよ新年度、4月1日だね〜!!!4月生まれのワタシは一年で4月がイチバン大好き!自分の季節が帰ってきた気がするんだよね〜!(・∀・)♪

 

思い出すなあ。新潟から引っ越してきて友だちが一人もいない中での小学校での入学式。あの木造校舎、あの桜の木!♪さて、この時季にふさわしいこの本を紹介しましょう。

 

1970年代ー。あの頃は、テレビやラジオ、本が主な情報源だった。特に、手元にあれば何度でも繰り返し読むことのできる本は、子どもたちにとって身近な存在だった。興味のあるものは、図書館や学級文庫などで借りて読んだり、買った本はボロボロになるまでむさぼり読んだ

 

本書は、筆者を含めた当時の子どもたちの頭から離れないほどのショッキングな内容を掲載した、昭和の “ トンデモ ” な児童書を紹介したものだ。恐らく今の世の中では、この手のコンテンツを子ども向けに出版するのは非常に難しいだろう。しかし、当時は、心霊、UFO、UMA、超能力、ノストラダムスの大予言などなど、ショッキングというか、オカルト的な内容が、テレビや本でバンバン紹介される全盛期でもあった。それは多分、時代の漠然とした不安感や危機感から導かれたものでもあろう。

 

また何事も白黒をつけるのはが好きな今のご時世と違い、リアルと非リアルが入り混じった灰色であることが許され、それを好奇心と超能力を駆使して皆が楽しむことのできる時代でもあったのだろう。そのような感覚、社会の雰囲気が、物心ついたときから、児童書の中にも当たり前のように存在していたのだ。ようこそ「昭和トンデモ児童書」の世界へ

 


『ジュニアチャンピオンコース』は大好きだったなあ〜何冊も持っていたなあ〜!

特に、『世界のなぞ世界のふしぎ』『こわい話 怪奇ミステリー』
『驚異の記録 あの事件を追え』『絵ときSF もしもの世界』
『な世界の秘宝をさぐれ』『七つの世界の七不思議』『超科学ミステリー』
『絵とき21世紀 大予言! 未来をさぐる』『きみならどうする? ゆうれい屋敷の探検』
『推理クイズ あなたは名探偵』は、夢中になって何度も、何度も読んだなあ!

 

そして『なぜなに学習図鑑シリーズ』『ひばり書房 初期ハードカバー』
『フタミのなんでも大博士』『大全科シリーズ』もよかった。

 

今は、図書館にも置いてないのかな!?ぜひ復刻して欲しいなあ。オススメです。(・∀・)♪

 

 

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日本昭和トンデモ児童書大全 (タツミムック)

日本昭和トンデモ児童書大全 (タツミムック)

 

 

「無名最強甲子園 興南春夏連覇の秘密」(中村計)

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無名最強甲子園: 興南春夏連覇の秘密 (新潮文庫)

無名最強甲子園: 興南春夏連覇の秘密 (新潮文庫)

  • 作者:中村 計
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2016/02/27
  • メディア: 文庫
 

 いよいよ球春到来!野球が始まるといよいよ春だね。プロ野球も、春のセンバツも!(・∀・)

 

2010年、興南高校春夏連覇は1998年に松坂大輔(現・中日)を擁する横浜高校が達成して以来、12年ぶりの快挙だった。その横浜を率いた前監督の渡辺元智は、決勝おける興南に戦い振りを目の当たりにし、こう絶賛した。「大平原で獲物を逃さぬライオンのようで、こんなに強いチームは見たことがない」。過去甲子園で春夏連覇を達成したチームは興南を含めて七校ある。しかし興南は唯一「高卒、即プロ」の選手がいなかった。そのチームの強さとはいったい何だったのか。


スター選手のいない無名チームは、なぜ甲子園春夏連覇を成し得たのか。鷹揚な沖縄人気質に、徹底した規律指導と実戦主義を融合させた興南野球の登場は、あらゆる難局を完璧かつ淡々と勝利に置き換える「静の野球」として全国の指導者を瞠目させた。いまなお異次元の強さが語り継がれる2010年の興南高校の選手達と指導者双方をつぶさに追い、その神髄に迫る傑作ノンフィクション」そのエッセンスを紹介しよう。


興南の強さを一言で表現するなら隙のなさだ。チームカラーと監督の人格。この二つが相似形を成すのは、まだ無色な十代を指導する高校野球ならではの特徴だ。我喜屋監督を知れば知るほど興南のスタイルがわかり、興南を理解すればするほど我喜屋という人物が見えてきた。


・「沖縄は年中野球ができるからダメなんだよ。メリハリがない。動物や植物と同じで、人間も雪の中で眠っている時間が必要なの。内地の人みたいに春がやってきて、土や芝を見て、幸せだなって思う気持ちがないと」


・「まず、相手に勝てるの、どこからだろうって探した。だから、片付けの部分、散歩の部分、整理整頓の部分、そこから始めた高校野球なんて、技術の差だけで勝敗が決まるケースはほとんどないよう。だいたいがちょっとしたミス。カバーリングを怠ったとか、声がけをしなかったとか。それが大きな失敗につながる。逆に不思議なもんで小さいことをやってたら、大きなこともできるのさ。ほんとだよ。小さいこと、ちょこちょこやってたら、三ヶ月で甲子園出れたでしょう?」



・「野球でいちばん大事なのは第六感。そのためにも五感を常に研ぎ澄ませておかなければならない。そうすれば相手が次に投げてくるボール、仕掛けてくれる作戦、わかるじゃない。野生動物は同じ道を歩くときでも、何かあるかなって緊張している。そういう直感型の選手にならないと。勝負事になったら、敵は何をやってくるかわからないんだから」


・我喜屋の感性は、独特の言い回しによく表れている。生まれ変わるー。このフレーズは我喜屋の口癖でもある。例えば、打撃指導をしているとき、「そうそう、そうそう、そういうのが、昨日のおまえより、今日のお前は生まれ変わったっていうんだよ」


沖縄の人たちは、他人を押しのけてまで、という意識がないからね。団体競技は向いていないのかもしれない。その点、個人競技の方が、気楽なんじゃないかな。誰に迷惑をかけることもないから」

 

・「昔さ、月を見て、ウサギが住んでいるんだと思った人はそれまでの人だよ。なんとかすれば行けるはずだと思った人がいたから、人は月に行けるようになった。行けるって言った人は最初はバカにされたと思うよ。頭、おかしいんじゃないかって。野球も同じじゃない。できるはずだって信じた人が道を切り開いてきた

当時の興南に必要だったのは、神の手を持つスーパー外科医ではなかった。生活改善や投薬によって緩やかに、しかし根気強く治療してくれる内科医だった。我喜屋は普通の人だったら見落としてしまいそうな小さなところ、寮や部室の衛生管理などから少しずつ、だが確実に改善していった。


・コーチの砂川太「監督は『相手と力が互角だったら絶対、負けない』って言ってましたね。私生活を含め『他は全部上回っているんだから』と毅然としていました」

 

……スゴイなあ……。まさに、二宮尊徳先生の「積小為大」だね。 野球ファン、必読!オススメです。(・∀・)♪

 

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無名最強甲子園: 興南春夏連覇の秘密 (新潮文庫)

無名最強甲子園: 興南春夏連覇の秘密 (新潮文庫)

  • 作者:中村 計
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2016/02/27
  • メディア: 文庫
 

 

 

「地図が隠した「暗号」」(今尾恵介)

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地図が隠した「暗号」 (講談社+α文庫)

地図が隠した「暗号」 (講談社+α文庫)

 

 

先日、小田原の実家周辺を久しぶりにクルマで走った。よく考えてみれば、小田原にいた頃はクルマを持っていなかったので、あまり走ったことなかったんだなあ。

 

そうしたらいつの間にか区画整理されていたようで「はて!?こんな道はなかったはずだが……」アタマの中の記憶の地図と現実のギャップに走り慣れたはずのジモトに迷ってしまった……(笑)

 

さて、またまた地図の本。そして暗合の本。そう、そうなんです。地図でごまかされるんです。(笑)「地図が隠した暗合」とは!?

 

東京・丸の内の地図に見え隠れする「明治新政府の意図」とは?戦時中に都合の悪いものを隠すために地図がついた「ウソ」、縮尺無視の意図、地図記号に見られるお国事情、古い地図と現代の地図を見比べてわかる「その土地の正体」…。長年地図を研究し続けてきた著者が、古今東西地図に秘められたさまざまな「暗号」を解き明かす」そのエッセンスを紹介しよう。



東京丸の内から大手町にかけてのオフィス街には有名企業の本社が高楼を連ねている。しかし江戸幕府が滅んで明治と元号が改められたばかりの頃は、ここ一帯を買い取った岩崎弥太郎をして「竹を植えて虎でも飼うさ」とうそぶかしめたほど寂寥感漂う地区だったそうだ。


夕張といえば今はメロンを連想するかもしれないが、かつては石炭の町として圧倒的な存在感を誇っていた。人口は現在9855人だが、昭和35年の最盛期には約11.7万人という道内有数の大炭鉱都市だったのである。


ドイツの地形図に田んぼの記号はない。当たり前だが、田んぼがないからだ旧東ドイツの区域には日本の「田んぼ記号」にそっくりな記号があるが、これは草地を表している。


特に、「地図がウソをついていた頃ー戦時改描」「珍バス停ー「東京炭鉱前」「元競馬場前」「寝豚」など。

 

そおかあ!母校明治大学の和泉校舎の明大前駅」って戦前は「火薬庫前駅」だったもんね。(笑)それは隠すよね〜!(笑)地図ファン、必読っ!オススメです。(・∀・)

 

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地図が隠した「暗号」 (講談社+α文庫)

地図が隠した「暗号」 (講談社+α文庫)

 

 

「カセットテープ時代2018 懐かしの80sカセット、オーディオ、音楽」

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カセットテープ時代 2018 (CDジャーナルムック)
 

 

この本の表紙にピン!ときたら、ワタシと同じ青春を歩んで来たんだろうね!(笑)

 

ナンとも懐かしい!80年代の新しい(!?)音楽の流れを肌で感じた時代だったよね。(  ̄▽ ̄)♪

 

「大手家電メーカーの再生機の製造再開など、リバイバルムードのカセットテープ。カセットテープの御三家のひとつソニー製品を大特集するほか、世界の音楽文化に絶大なる影響を及ぼしたウォークマンもあわせて大特集。歴代モデルを徹底紹介した保存版企画。当時の思い出とともにお楽しみください」とのこと。

 

なかでも懐かしのカセットテープの写真が満載なのだ!

 

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↑ 今でも忘れない。このデザイン。ワタシが小6(昭和51年)初めて買ったカセットテープ。紙のケースだったよね。当時いくらだったかなあ。300円くらいしたような気が。

 

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↑ そして「AHF」「BFH」「CFH」のシリーズ。涙ちょちょぎれるなあ!

 

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↑ いまでも大切なカセットテープは「BHF」が多かった気がする。

特に「スーパーインタビュー NOKKO「特集イッツアソニー!!!」「日本のオーディオ・メーカー 栄枯盛衰物語」「ウォークマン歴代モデル142機種を一挙大公開!」は、懐かしい、懐かしスギル!!!(・∀・)!

 

久しぶりにカセットテープ聴いてみよ!オススメです。♪

 

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カセットテープ時代 2018 (CDジャーナルムック)
 

 

「歌謡曲が聴こえる」(片岡義男)

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歌謡曲が聴こえる (新潮新書 596)

歌謡曲が聴こえる (新潮新書 596)

  • 作者:片岡 義男
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/11/14
  • メディア: 新書
 

平成も終わろうしている今、昭和とともに消えてしまった「歌謡曲を振り返っている。この本は、ワタシの親の世代がピンとくるだろうな。

 

こまどり姉妹並木路子フランク永井ナンシー梅木田端義夫、和田弘とマヒナ・スターズ、そして、美空ひばり……。あの歌手たちとあの大ヒット曲への追憶とともに甦る、終戦から高度成長期への懐かしく、謎めいた「日本の姿」。「僕の心に刻まれてきた歌謡曲」を、名手がいま再び聴きこみ、「戦後の横顔」を浮び上がらせる
透明感あふれる文体で、初の「極私的ヒット曲の戦後史」そのエッセンスを紹介しよう。


1954年のアメリカ製の電気ギター 『島育ち』『かえり船』(田端義夫


2013年、田端義夫はこの世を去った。享年94歳。彼のギターはアメリカのナショナルというブランドの、スパニッシュふうの、つまり明らかに小ぶりな、ソリッドボディにカッタウェイの電気ギターだ。59年間にわたって、田端はこのギターを愛用した。どこで歌おうとも、そして練習のときにも、彼はこのギターを胸にかかえた。

 

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全体のかたち、厚さ、重さ、そのバランス、ネックの出来栄え、ボディや弦との相性、自分の体と接触するときの具合、そしてピックアップの性能、それが発する音量や音色など、すべてが田端にとっては好ましいものだったに違いない。ピックガードが特徴的だ。右胸を超えて右肩に近い位置までこのギターをかかえ上げる田端のスタイルは、歌手・田端義夫のデザインぜんたいのなかで、それを見る人の注目を特別に集めるものだ。


「バタヤンの声には涙がある」と古賀政男が言ったという伝承がある。歌声とそれに重なる電気ギターのことだ。涙とは、エモーションを意味する。そしてエモーションとは悲しみだ。歌のひとつひとつが悲しみだ。ひとつの歌の数小節ごとに、悲しみがある。歌声とそこに重なる電気ギターの音は、その悲しみの語り方だ。


同じキーで歌う、という方針を田端義夫はつらぬいた。もうつらいからと言ってキーを変えたなら、それは顧客の期待を裏切ることでり、失礼きわまりない、と田端は常に言っていたという。キーをひとつ変えたなら、その歌に歌手の自分が託するエモーションがまっとうされない事実は歌う当人がこの上なく痛感していたはずだ。

『かえり船』の歌詞、「波の背の背に 揺られて揺れて」「捨てた未練が 未練となって」「熱い涙も 故国に着けば」歌手としてあらゆる意味で完璧な田端義夫がこれを歌えば、多数の人たちはの心情は一瞬にしてひとつにまとめられ、方向がつけられた。近代国家たろうした日本がその国民に対して試みた、明治から大正をへて戦前そして戦中の国語教育と唱歌教育の成果の頂点がここにあった。

 

ギターを弾くようになってからも、バタヤンのギターは印象的だった。まさに時代とともにあったんだね。オススメです。♪

 

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歌謡曲が聴こえる (新潮新書 596)

歌謡曲が聴こえる (新潮新書 596)

  • 作者:片岡 義男
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/11/14
  • メディア: 新書