平成も終わろうしている今、昭和とともに消えてしまった「歌謡曲」を振り返っている。この本は、ワタシの親の世代がピンとくるだろうな。
「こまどり姉妹、並木路子、フランク永井、ナンシー梅木、田端義夫、和田弘とマヒナ・スターズ、そして、美空ひばり……。あの歌手たちとあの大ヒット曲への追憶とともに甦る、終戦から高度成長期への懐かしく、謎めいた「日本の姿」。「僕の心に刻まれてきた歌謡曲」を、名手がいま再び聴きこみ、「戦後の横顔」を浮び上がらせる。
透明感あふれる文体で、初の「極私的ヒット曲の戦後史」そのエッセンスを紹介しよう。
1954年のアメリカ製の電気ギター 『島育ち』『かえり船』(田端義夫)
2013年、田端義夫はこの世を去った。享年94歳。彼のギターはアメリカのナショナルというブランドの、スパニッシュふうの、つまり明らかに小ぶりな、ソリッドボディにカッタウェイの電気ギターだ。59年間にわたって、田端はこのギターを愛用した。どこで歌おうとも、そして練習のときにも、彼はこのギターを胸にかかえた。
・全体のかたち、厚さ、重さ、そのバランス、ネックの出来栄え、ボディや弦との相性、自分の体と接触するときの具合、そしてピックアップの性能、それが発する音量や音色など、すべてが田端にとっては好ましいものだったに違いない。ピックガードが特徴的だ。右胸を超えて右肩に近い位置までこのギターをかかえ上げる田端のスタイルは、歌手・田端義夫のデザインぜんたいのなかで、それを見る人の注目を特別に集めるものだ。
・「バタヤンの声には涙がある」と古賀政男が言ったという伝承がある。歌声とそれに重なる電気ギターのことだ。涙とは、エモーションを意味する。そしてエモーションとは悲しみだ。歌のひとつひとつが悲しみだ。ひとつの歌の数小節ごとに、悲しみがある。歌声とそこに重なる電気ギターの音は、その悲しみの語り方だ。
・同じキーで歌う、という方針を田端義夫はつらぬいた。もうつらいからと言ってキーを変えたなら、それは顧客の期待を裏切ることでり、失礼きわまりない、と田端は常に言っていたという。キーをひとつ変えたなら、その歌に歌手の自分が託するエモーションがまっとうされない事実は歌う当人がこの上なく痛感していたはずだ。
・『かえり船』の歌詞、「波の背の背に 揺られて揺れて」「捨てた未練が 未練となって」「熱い涙も 故国に着けば」歌手としてあらゆる意味で完璧な田端義夫がこれを歌えば、多数の人たちはの心情は一瞬にしてひとつにまとめられ、方向がつけられた。近代国家たろうした日本がその国民に対して試みた、明治から大正をへて戦前そして戦中の国語教育と唱歌教育の成果の頂点がここにあった。
ギターを弾くようになってからも、バタヤンのギターは印象的だった。まさに時代とともにあったんだね。オススメです。♪