「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「鉄道「裏歴史」読本」(小川裕夫)

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またまた鉄道の本。ワタシはけっこう鉄道好きなのだ。(・∀・)

「鉄道に無関心で生きることはできる。しかし、無関係で生きることはできない」

これは名言だと思う。

 

さてこの本。鉄道雑学、しかも「裏歴史」!興味をそそられるよね!「知ってはいけない! ……天皇、戦争、政治、芸能との知られざる関係に迫る!通勤や通学、出張や旅行の足として老若男女から愛される「鉄道」の歴史に隠された意外な真実を、「車両と列車」「駅」「新幹線」「路線」「事件」「タブー」の6つのジャンルに分けて紹介する」そのエッセンスを紹介しよう。


「戦時中に「通信学校駅」から改称させられた「相模大野駅」」


軍部は駅名を変えることで敵の目を欺こうと目論む。品川区にあった東京市電の海軍大学校前」は「上大崎二丁目」という電停名に。相模原市小田急「通信学校駅」相模大野駅へと変えられた。戦争という荒波によって、それまで使われていたなじみの駅名が問答無用で変更させられていった。

特に、「トップシークレットだった現金輸送車マニ30」「墓地まで死体を乗せて走った霊柩列車」「国鉄のお得意さんだった創価学会臨時列車」「天皇が乗車するお召し列車の運行規則」「国策で隔離されたハンセン病患者専用列車」「日本政治の奥の院だった興津駅」「ミステリアスな原宿駅天皇専用ホーム」「昭和天皇が宿泊した貨物駅「新生(あらおい)駅」」「東京ディズニーランド駅が市史に不掲載の理由」「西南戦争が発端だった明治の新幹線計画」「新幹線開業式に出席できなかった生みの親・十河信二」「名古屋飛ばし静岡県の通行税構想」「東海道新幹線に土地を削られた東海寺」「大阪駅vs梅田駅に見る阪急の意地」「御殿場線が戦時中に複線から単線になった理由」「国鉄の闇を背負って迷宮入りとなった下山事件」「なぜJR東日本の駅から週刊文春が消えたのか」「タモリと鉄道を結ぶ点と線」など。

 

 自称、雑学好きのワタシも知らないこと、満載!オススメです!(・∀・)!

 

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「ショージ君の面白半分」(東海林さだお)

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ショージ君の面白半分 (文春文庫)

ショージ君の面白半分 (文春文庫)

 

 天才、東海林さだおさん。この本は1979年12月初版だから、もう40年前。そのときから文章のスタンスが変わっていない!これはスゴイ!♪

 

「Gパンをカッコよくはきたいと思えど、Gパンはあまりにも細く、わが腹はあまりに太し。仕方ない、せめて新しいステテコでもはいて気ままな旅に出ようじゃないの!?」そのエッセンスを紹介しよう。
 
マキシム・ド・パリで、背後にひっそりと立って、客の動向を監視している、黒背広のボーイ。メシを食うときに、うしろに立っているボーイぐらい邪魔なものはないあれさえいなければ、心おきなく、自分のやりたい方法でメシが食えるのだ。監視つきでメシを食うのは、刑務所の中ときまっている。彼らはなんのためにああして立っているのかというと、客がなにかヘマをしたら、すぐ馬鹿にしようと思って立っているのである。高級レストランでボーイに馬鹿にされる実例集」とでもいうような物があるのだ。
 
「とらや」は、実にもうなんでもある食堂である。「そばの部」「中華そばの部」「和食の部」「寿司の部」「飲み物の部」と分かれていて、「飲み物の部」には、サイダー、コーラ、カルピス、スプライト、リボンシトロン味噌汁とあるのには驚いた。かに味噌汁は飲物には違いないが。
 
・その昔、中学生のころ草深い田舎の野球チームの、不動の二塁手だったのである。どのくらい不動かというと、そのチームの構成員が9名ちょうどであったので、動かそうにも動かしようがないほど不動だったのである。打順は7番。これまた不動の7番であった。どう不動であったかというと、打順もこのあたりにくると、最果てという感じで、多少動かしてもどうしようもないということで不動なのであった。
 
・ぼくはタバコはセブンスターと決めた理由は、なんとなくノドによさそうだ、ということである。なぜセブンスターはノドにいいのかというと、包装が白いからなのであるなぜ包装が白いとノドにいいかというと、龍角散が白いからなのである。龍角散はノドの薬である。そして白い粉末である。白いものは、なんとなくノドにいいような気がするしたがってセブンスターは白いからノドによい、こういうことになる。こうした理路整然とした三段論法ならぬ四段論法によって、ぼくはセブンスターを愛好しているのである。
 
・「オッ、そこにおそろしく名前の長い弁当がありますな」「読んでみましょう。エー三波春夫特別講演15周年記念特別献立記念手拭月幕の内吸物付』とありますな」「じゃ、その三波春夫特別講演15周年記念特別献立記念手拭月幕の内吸物というのを食べましょうか」「では三波春夫特別講演15周年記念特別献立記念手拭月幕の内吸物というのを2つください」「ハイ、一つ千円です」名前が長く「特別」が二つついているわりには、ごくふつうの幕の内弁当である
 
その他、「ミニマム・ド・パリ」「忘年会なんか怖くない」「男はつまらないよ」「中年の手習い草野球」「スモーキン・プカプカ」「魚河岸は男のだいどこ」「歌舞伎座チンドン屋」「アメリカ面白半分」など。

 

「面白半分」どことじゃない!「面白全部」だね。オススメです!(・∀・)♪

 

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ショージ君の面白半分 (文春文庫)

ショージ君の面白半分 (文春文庫)

 

 

「ひとつのねがい」(はまだひろすけ)

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ひとつのねがい

ひとつのねがい

 

人にはいえない自分の夢があるよね。誰にでもこれだけは達成したいという夢があるよね?(?あれっ?ない?)

 

ワタシは3つあった。ひとつはレコードを出すこと。それは26歳のときに達成。そして残り2つはナ・イ・シ・ョ!(笑)なんだけど、数年前にそれを達成したときは感無量だったなあ!(・∀・)♪

 

さてこの本、ワタシの大好きな「泣いた赤おに」で知られる浜田廣介の知られざる名作、初の絵本化。 「一度は星のように輝きたい──年老いた1本のガス灯が、長年の願いをあきらめて、自分のつとめに無心に専念したとき、思いがけない幸福が訪れる……」そのエッセンスを紹介しよう。


「もう、おれの一本足も、よぼよぼである。夜にも、さっと風が、あれだしたら、
もうなにもかも、おしまいなんだ」



がい灯の、たったひとつの、ねがいというのは、
一生に、たった一度だけでいい、
星のような あかりくらいに なってみたい
ということなので、ありました。
そのような 願いを だいて
がい灯は、ひとつところに
何年も立ってきたので ありました


「ああ、だれか、ひとことぐらいは……
おれだって、こうして、長いあいだ……
道を てらしているんだからなあ
たまには だれか、
ーあかるいやつだなあ……
なあに『やつ』といっても かまわない
そう いってくれたらなあ……
そうして おれを、じっとみて
ーこいつは、、まるで、星みたい」


「かなった。かなった。おれのねがいが。」

 

……思わず泣けてくる……夢が叶うっていいよね。親子で読んでほしいなあ。オススメです。(・∀・)

 

 

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ひとつのねがい

ひとつのねがい

 

「同い年事典1900〜2008」(黒川祥子)

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同い年事典―1900~2008 (新潮新書)

同い年事典―1900~2008 (新潮新書)

  • 作者:黒川 祥子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2009/10
  • メディア: 新書
 

テレビを見ていて事件の容疑者や芸能人の年齢が出て自分と同い年のヒトが出てくると「ああ〜オレと同い年かあ!老けてるなあ(若いなあ)、オレ、こんなにジジイなのか」と思うときがある。そうだよね。もうそろそろ55歳なんだから!いつのまに!(笑)

 

さてこの本。「えっ、この人たちが同年齢!?これは運命の悪戯か?昭和天皇とディズニー(1901年)、王貞治ブルース・リーたこ八郎(1940年)、鳩山由紀夫泉ピン子とA・シュワルツェネッガー(1947年)、ビル・ゲイツ麻原彰晃郷ひろみ(1955年)、小室哲哉桜田淳子とM・ジャクソン(1958年)、オバマ大統領とコマネチと林眞須美(1961年)…誕生年ごとに5171人を収録。読むほどに新発見があるオモシロ人物事典」そのエッセンスを紹介しよう。


今年(2009年)は松本清張太宰治の生誕100年である。2人は一見「同い年」とは思えない。太宰治は10代から作品を発表し、30代には名作を世に残し、38歳でこの世を去った。一方、松本清張は41歳で小説家の人生を始め、82歳で亡くなるまで多くの作品を発表した。つまり2人は人生の旬が異なる時期にやってきたため「同い年」には見えないのだ。この事実に私は興味を湧き立たせ、本書執筆の動機となった。


・以外な人物が「同い年」であることに驚かされる。総理だった麻生太郎氏はブルース・リージョン・レノンと、読売新聞の渡邉恒雄氏はマリリン・モンロー植木等と「同い年」である。読者には、個々の思いから「同い年」の人物たちの巡り合わせを楽しんでいただきたい。


昭和天皇ウォルト・ディズニー(1901)本田宗一郎坂口安吾(1906)湯川秀樹中原中也淡谷のり子(1907)田中角栄ネルソン・マンデラ中曾根康弘正力亨(1918)川上哲治原節子、森光子、長谷川町子(1920)中内功山下清水木しげる瀬戸内寂聴(1922)三波春夫大山倍達忠犬ハチ公(1923)竹下登村山富市力道山カール・ゴッチ相田みつを(1924)三島由紀夫橋田壽賀子マルコムX(1925)いかりや長介高倉健、デストロイヤー(1931)天皇陛下オノ・ヨーコ菅原文太金田正一高木ブー藤子・F・不二雄(1933)長嶋茂雄村山実梶原一騎さいとう・たかを(1936)孫正義東国原英夫夏目雅子(1957)山口智子近藤真彦阿部寛温水洋一(1964)など。

 

へー!以外な発見があるねー!オモシロい!オススメです。(・∀・)

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同い年事典―1900~2008 (新潮新書)

同い年事典―1900~2008 (新潮新書)

  • 作者:黒川 祥子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2009/10
  • メディア: 新書
 

 

「うなぎの丸かじり 25」(東海林さだお)

 

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うなぎの丸かじり (丸かじりシリーズ (25))

うなぎの丸かじり (丸かじりシリーズ (25))

 

 やっぱり時々読みたくなるよね〜!東海林さだおさんの文章はっ!カラダと同じ、たまにはアタマの中もリラックマ〜!♪(笑)

 

「鰻重を食いちらかさずにたいらげる必殺ハウツーはこれだ! お馴染みの食いだおれショージ君が詳細レポート。またも食通エッセー界を快進撃のシリーズ第25弾」そのエッセンスを紹介しよう。

 
 
「やわらかくない焼きそば」
 
かたい焼きそばは、初期バリバリ期、中期しんなり期、末期ぐんなり期の3つに分けて食べると美味しい。麺は「のびたら終わり」の世界なのに、かたい焼きそばの麺は「のびてもおいしい」。どんな料理でも出来たてがおいしく、料理人も「出来たてを食べてほしい」と思っているはずだが、かた焼きそばは“どの期”の味を味わってほしいと思っているのだろうかぜひ一度訊いてみたいものだ。
 
 
「最中の真実」
 
最中はヤドカリである。なぜ最中はヤドカリなのか。
最中はアンコものの一種である。お饅頭のアンコと皮は一体化している。アンコと皮は一体化していて、アンコの起伏に合わせて皮も起伏する。ヤドカリ君はなんだか不自然だ。いかにも“借りものをかぶっている”という気がする。最中にもそういうところがあるように思う。うん、いかにも借りものをかぶっているな、あれは。
 
 
カップ味噌汁大好き」
 
味噌の小袋のフチを切り、そこから味噌をニュルニュルと指先をでこそぎ出すわけだが、どうしても袋のカドのあたりに味噌が残るその全部出きっていない感じがいつもイヤ。残尿感というか、スッキリしない気分がイヤ。次に具。妙に軽い具の袋を破ってパラパラとカップにあけるカップの袋には、干からび、小さく刻まれた灰色の物たちが堆積されている。その上から熱湯を注ぐ。急にあわてふためく干からびた物たち。それまでひっそりと干からびていた物たちが急に大忙しになっていのがわかる。亡ぼされ、しいたげられ、打ちひしがれいていた物たちがいっせいに甦るのがわかる。お家再興。そのためにいっせいに立ち上がったのだ。再起を期してあわてふためていているのだ。
 
 
その他、「いとしきそら豆様」「ワカメの役柄」「いまデパ屋は…」「きしめんのベロベロ」「ギリシャ料理を食す」「カレージルが足りないッ」「ハワイ名物「ロコモコ丼」」「ひきこもりラーメン」「人それぞれの儀式」「鰻を立ち食い(大井町「むら上」)」「納豆大粒小粒論」「もも焼き以前・以後」「水餃子再会」「ビミョーな味のわかる人」「煮っころがしの夜」「アメリカンドッグ合体クン説」「銀杏は復讐する」「独酌決行」「豆大福の豆は何粒が適正か」「500mlの男」「さつま芋二本弁当」「二千万円の牛肉」「エビ様と私」「塩辛ファンクラブ」「恵方巻ニューウェーブ」「ヨシギュウ一年ぶり」「甘いおかずの時代があった」「再び世に問う柿ピー問題」など。

 

ワタシはかた焼きそばは、フニャフニャの「ぐんなり期」が好きだなあ〜!固くないけどね。(笑)オススメです。(・∀・)♪

 

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うなぎの丸かじり (丸かじりシリーズ (25))

うなぎの丸かじり (丸かじりシリーズ (25))

 

 

 

「流しの仕事術」(パリなかやま)

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流しの仕事術

流しの仕事術

  • 作者:パリなかやま
  • 出版社/メーカー: 代官山ブックス
  • 発売日: 2014/10/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

ワタシが初めて大勢の人の前で歌ったのが15歳のとき、40年前。いわゆる「流し」のような即興の弾き語りはいつの間にかできるようになっていた。「酒場のギター弾き」と名乗るようになって数十年、数えきれないところで、あらゆるところで歌っているが、あるときテレビで「流し」の「恵比寿横丁 新世代流し パリなかやま」さんを観てワタシのような人がいるんだ〜!と驚いたっ!

 

「流しってどんな仕事をしているの?」「どうやってお金を稼いでいるの?」「縄張りとかってあるの?」「ぶっちゃけ食べていけるの?」「独特のルールとかあるの?」現代を生きる流し・パリなかやまの日常とその仕事術に迫った。そこから見えてきたものは?――「自分の特技で人を喜ばせ、メシを食う」というシンプルな生き方だった。そのエッセンスを紹介しよう。

 

「流しとは?ギターなどの楽器を持って酒場をまわり、客の要望に応えて歌の伴奏をしさらに自らも 歌う者のことである」


・本書はいわば「流しを実践するためのマニュアル本」である。流しを実践する(特技を売る)のは、じつはそんない難しいことではない。

1 売る物(特技)を決める
2 流す場所を見つけて、責任者と交渉する
3 流しのポイントを押さえる(予習する)
4 流しの実践する(現場に出る)
5 トライ&エラーを繰り返す

たったこれだけのことである。「もっと稼ぎたい!」「副業したい!」と考えている方がいたら、ぜひ「超実践書」として参考にしていただきたい。


流し歌手の肉体的負担はどこにあるか?それは喉にある。楽器の弾きすぎによる肩こり腱鞘炎もあるが、マイクのない中で延々歌い続けるために使う声帯が最大の特務を背負う。流し歌手の肉体とは、声を枯らさず、声帯を壊さず、翌日に影響を残さず、深夜まで喧騒の中で何時間も歌えるーそんな喉を持つ肉体である。


エディット・ピアフは毎日街灯で歌い、ビートルズは十代の頃に一日8時間も演奏する箱バン契約をして暮らし、スティービー・ワンダーは路上で唇から血を流しながらハーモニカを吹いていたという。日本でも、大御所のあの人もこの人も、まるでプロの登竜門というくらいの酒場の流し歌手を経ている。このような圧倒的な分量の経験を私は経てきていなかった。一言で言えば「下積み」だが、ある道に精進する者にとって、日々本番をこなせる環境は間違いなく貴重だ。


・最初に流した亀戸の酒場で、私は手厳しいかわいがりを受けつつ喜ばれ、受入れられた。それまで弾き語りをほとんどやっておらず私は未熟だったとと思う。それでも、人々は生演奏を歓迎してくれた。このように人に直接喜んでもらうことはとても新鮮だったしかも、知らない人たちに。


・私は、自分が流しをなじめてから、日本中にかつてこの「流し」の商売が無数にあったことを知った。現在は管理、効率化が進んだ社会だから、このようなやり方は廃れてしまったのだろう。流しが溢れる街の風景はどんなふうだったんだろう。私は、音楽家や芸人が巷に溢れいてるほうが、きっと世の中は楽しいと思う。

 

ワタシは不定期にいろんなところで歌っています。どこかでお会いしましょう!♪ オススメです。♪(・∀・)♪

 

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流しの仕事術

流しの仕事術

  • 作者:パリなかやま
  • 出版社/メーカー: 代官山ブックス
  • 発売日: 2014/10/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

「創られた「日本の心」神話「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史」(輪島裕介)

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創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書)

創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書)

 

 この本はある意味衝撃的だっ!!!「演歌は日本の心」って何の根拠もなかったなんて!?(・へ・)!

 

美空ひばりは、「演歌」歌手だったのか?気鋭の音楽学者が、膨大な資料と具体例をもとに「演歌」=「日本の心」神話成立の謎を解き明かす。"伝統"はいかに創られるのか?いったい誰が、どういう目的で、「演歌」を創ったのか? 」そのエッセンスを紹介しよう。


そもそも、ある一定の曲調や歌手を指して「演歌」や「演歌歌手」と呼ぶことはいつから始まったのか?昭和30年前後に登場した三橋美智也は民謡調歌謡曲三波春夫浪曲調歌謡曲であり、その時点では誰も演歌とは呼ばない。こう見てくると「演歌」そのものが見当たらない1960年代のどこかで発生したとしか、言いようがない。いつの間にか「演歌」が独自のジャンルとして認識されるようになり、「日本の心」といった物言いと結び付けられるようになり、このこの言葉が存在していなかった過去の流行歌に対しても当てはめられるようになってゆくのです。その過程で「演歌」誕生以前から活動してきた美空ひばり春日八郎などは、新たに誕生した「演歌」イメージに添うような形で自らの活動を「演歌歌手」として鋳直していきます。


・日本のレコード歌謡は、資本・録音技術・レパートリーのいずれにおいても「舶来」
のイメージを強く持ったモダン文化として誕生しました。現在「演歌」の典型にして精髄とみなされる古賀政男の一連の楽曲も「ラテン風」「南欧風」と見られていました。「影を慕いて」などに特徴的なギター演奏も、開放弦を活用しながベース音と和音と旋律を同時に演奏するクラシックギターお技術に基づくもので、当時はギターやマンドリンの響き自体がモダンなものでした。初期の「古賀メロディー」を歌った藤山一郎の歌唱は完全に西洋芸術音楽の声楽技術に基づいています


「演歌」の語源は明治の自由民権運動の流れを汲む「演説の歌」。公開演説会が政府の取締りの対象となったために、それをカムフラージュするために「歌」の形を取った「演説の歌」である。最初の演歌というべき「ダイナマイト節」川上音二郎の「オッペケペー節」などは鋭い政府批判と社会風刺を含んでいた。やがて自由民権運動が一段落すると、演歌は直接的な政治批判から滑稽を含んだ社会風刺に変化する。明治末年にそれまで無伴奏で行われていた演歌の実演に、ヴァイオリンが導入され、芸人に近づいていく


・さらに同時期に、日露戦後の東京遊学の流行を背景に、壮士ではなく書生(苦学生)が演歌の担い手になっていゆき、歌本の販売が学資稼ぎと称したアルバイトのなったため商業性と娯楽性がさらに増してゆく。「演歌師」という呼称が現れるのもこの頃である。かくして、新しい歌(文句)を作って広める、という演歌師とその生業としての機能は衰退し、演歌師は遊里や盛り場で客の求めに応じて演奏する「流し」の芸人として細々と生き残ってゆく。その過程で「演歌(師)」「艶歌(師)」とも当て字されるようになり「演説」という起源は忘れ去られてゆく。

 


「演歌」は「日本の心」か?この問いに単純な肯定・否定で答えることはできませんが、それが簡単に答えられるようなものではない、ということがご理解いただければ、本書の目論見はある程度成功したといえます。


「明治・大正期の演歌師・添田唖蝉坊添田知道」「演歌イコール「日本調」ではない」「「浪曲子守唄」と「苦節」の様式化」「誰が「演歌」と名づけたのか?」「昭和30年代の「流し」と「艶歌」」「ご当地ソング、盛り場歌謡、ナツメロ」「青江三奈と森進一、そして川内康範」「五木寛之による「艶歌」の観念化」「「エンカ」という新語」「1970年代以降の「演歌」」など。

 

なーるほど!φ(..)メモメモ これはスゴイ発見だー!オススメです。♪

 

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創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書)

創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書)