「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「グラヴ職人との一夕」(「日本の名随筆(別巻73)野球」より)(平出隆)

 
昨日、紹介し「日本の名随筆(別巻73)野球」。この中でひときわ気に入った随筆が編者、平出隆さん「グラヴ職人との一夕」だ。野球少年だったころ思いだす。そのエッセンスを紹介しよう。
 
・1988年11月14日は、お酉さまの「二の酉」の日だった。勢いよく人並の寄せはじめたその夕べの浅草を、ぼくはけっして忘れることがないだろう。茶店で落ち合った初対面の柿崎修一さんに挨拶もそこそこ、ぼくは愛用しているグラブを袋からとり出して見せた。手渡されたものを、柿崎さんは、あちらこちらの部分こちらの角度と、しばらく黙ってためつすがめつ(矯めつ眇めつ)していたが、やがて目頭を押さえて、うつむいた。
 
・「ほんとうは、人に会うのは好きなほうじゃないんですが、自分のグローブをつかってくれてる人がいると聞きまして。しかし、いいものを見せていただきました柿崎さんは、ハンカチを出してまた目頭を押さえ、はなをすすった。
 
・柿崎さんもまた、腰のすわった野球の経験者である。早稲田実業の野球部員として、昭和30年から3回も甲子園に行っている。一年後輩には王貞治がいた。「王がいたから、行けたんですよ。われわれはそんなにうまかあなかった」
 
グラヴ職人というのは、関東で十何人かくらいしか、いまはいないそうである。それでも個人の生産や販売は成り立たなくなった。現在の柿崎さんのように、大手スポーツ用品メーカーの外注を受ける下請け会社に勤めるか、それとも大手メーカー内の工場に入るしかない。親父さんの跡を継いだ柿崎さんは、個人経営の職人として、軟式グラヴを中心につくりつづけた。得意にしていた貿易商をとおして、輸出に向けてつくるものも多かったらしい。「いまは大手の、こういうグローブをつくれっていうのを、そのとおりつくるだけ。昔みたいに自分から型をつくって、こんなのやりませんかって、もっていくことがなくなって、さびしいような気がするね」
 
・ローリングスやウィルソンといったアメリカのメーカーでは、最初にきっちりした型がつくられてあるのではなくて、「ぐちゃぐちゃ」であるものを、つかう者のほうで自分の好みに合わせていく。つまり、つかっていきながら固くしていくグラブのつくりをしている。反対に日本のグラヴは、捕球のための「器」といっていいような固定された型を、つかいながら柔らかく、自分の手に合うように馴染ませていくつくりをしている。結果的に、理想のグラヴの形が同じだとしても、そこに近づいていく方向が違うのである。日本のつくりかたでは初めから、グラヴが確固たる個性を持っている、といえるかもしれない。だからそれだけ、職人さんの工夫が大変だといえるだろう。
 
・ぼくの愛用のグラヴも、さまざまな試験の結果生れたという。当時のヤクルト・スワローズの三人の内野手につかってもらい、あそこが悪い、ここを直したら、といった意見を酌みながら何度も改良をかさねたものだと聞いて、ぼくは嬉しくなるとともに、静かに腑に落ちていく覚えがした。話のあいだにも、柿崎さんはぼくのグラヴに手を入れ、じっくりと眺めた。「よくもつんだなあ。下手にいじれないなあ」
 
・「でも八年でそれだけの試合やって、これだけきれいにしてるってのは、そうとう手入れ、きちんとしてるんじゃないかなって、思うけどね。手のひらにあたるとこてゃ、汗で皮が硬くなってひび割れてくるのに、毎試合手入れするんじゃなきゃ、もつわけない」
 
「宝物です」とぼくはいった。「そういわれちゃうと、ほんと、嬉しいけど。雑につかわれているのを見ると、寂しいからね。ここまでつかってくれたんだから、本望です」
 
・柿崎さんは「こんな話している、だんだん欲しくなってきちゃったな」と呟いて、大笑いになった。自分のつくったグラヴは、一点も手元にないそうだ。グラヴづくりで、一番基本的に注意をし、気をつかうことはなにか、とぼくはあらためて尋ねてみた。「やはり、手を入れて、拳で叩いたときの感じを大事にして、ということかなあ」指が中で遊ばないように、しっくりくる感じを探し出すのだという。「でもそのしっくりが、人によって違うんでね。平出さんの子供のころのグラヴも、このグラヴと同じ形になってるはずです」
 
昔は小さかったグラヴは、いまはだんだんと大きくなる傾向にある。ピッチャー用が大きいのは、ボールの握りを隠すため、と目的がはっきりしているが、外野手のは、ちょっと大きくなりすぎていると、柿崎さんは嘆く。飛球の落下点に素早く入るということがプレイの基本なのに、大きければボールに届きやすいだろうと考えるのでは、本末転倒だというのである。現在つくられつつある外野手のグラヴは、おばけのような、かなり規格にひっかかるものがあるらしい。
 
・個人の職人としてつくった一連の「ベースマン・オリジナル」のシリーズをほとんど最後に、柿崎さんは一度、つらい「引退」をやっていたのだ、けれども不思議な経緯を経て、またグラヴづくりの仕事に帰ってきたのだ。ただしそれはもう、下請けの会社の中の受身の仕事で、以前のように思いどおりのことはできない。そんな人生の厳しく急激な転変の中で、かつて工夫して、精魂こめてつくった自分の作品が、突然目の前にあらわれたのだった。グラウンドの土をまぶされた、ほんとうに完成した形で。
 
ぼくたちは夜の更けるまで酒を飲み交わし、まるで、八年来の友であるかのようだった。
 

……なんかいいなあ。グラヴの、野球への思いがつたわってくるなあ……名随筆だなあ……この文章を忘れることはないだろうなあ。野球ファン必読だね。超オススメです。(^^)