ワタシが影響を受けた関西フォーク。遡って聴いたなあ。オンタイムで聴いていないけど、あの音楽を初めて聴いた衝撃はいまも残ってるなあ!♪
「1960年代、社会に抗う歌を発表した「関西フォーク」。西岡たかし、高田渡、フォークルらの足跡を辿り、関西のアングラ史を探る」そのエッセンスを紹介しよう。
・高田渡と西岡たかしは関西フォークの創生期、ギターを抱えて日本各地を回った。まだフォークと呼ばれる言葉が浸透していなかった頃、一緒の時を過ごしたのである。別に誰々のためにやったとかい、そんなわけではない。ふたりとも歌うことが楽しくて仕方がなかったのである。何をおいても大勢の客の前で歌い、客の反応を眼にすることは素敵だった。まだ仕事という観念が希薄な頃のことであった。仕事であるという観念は逆に、楽しく歌うことに対して付随するものであったのかもしれない。
・高田渡と西岡たかしは関西フォークの創生期、ギターを抱えて日本各地を回った。まだフォークと呼ばれる言葉が浸透していなかった頃、一緒の時を過ごしたのである。別に誰々のためにやったとかい、そんなわけではない。ふたりとも歌うことが楽しくて仕方がなかったのである。何をおいても大勢の客の前で歌い、客の反応を眼にすることは素敵だった。まだ仕事という観念が希薄な頃のことであった。仕事であるという観念は逆に、楽しく歌うことに対して付随するものであったのかもしれない。
今になって考えると、そうすることが宿命であるような位置づけだった時代であったのかもしれない。西岡は仲間として付き合っていた渡に、そして自分に対して「よく頑張ったな」そうした言葉を投げかけてやりたい。そして、あの時代の日本のフォークの中でよくやってきたということを誇りたいと思っている。
・「西岡さん、ご苦労さんです、東京には今日来られたんですか?」
「うん、さっき東京的に着いたばっかりだよ」
「驚かれたでしょ?遠いところをご苦労様です」
「遠いところ、そんなのなんでもないよ。だって渡が亡くなったんだよ。大変でもなんでもないよ……だって戦友だよ。同じ釜の飯を食った戦友なんだよ。戦友だったんだよ……」
・『三億円強奪事件の唄』では、作者の高田渡がヴォーカルをとり、岡林信康が替え歌なのでチャチャを入れる。中川イサトがギター、西岡たかしがフィドル、岩井宏がバンジョー、長野隆がベースという編成であった。(加藤和彦がギターで入ったこともあった)
この唄は日本のフォーク史においても、プロテスト、トピカルの要素を含んだ傑出した名曲であり放送禁止にさえならなければ、名作(迷作?)として歌謡史に残ったはずである。
・コンサートが終わった後、わたしはかなり興奮をしていた。まさに目からうろこが落ちるというやつである。高石、岡林、高田はもとより、中でも初めて聞く五つの赤い風船の音楽はそれまでの自分の中になかった音でもって迫ってきた。その音は新鮮であり、今までまったく自分が接したことのないものであった。そしてその不思議な魅力に、すでに虜になってしまっていたのである。
・マイク眞木「アマチュアっていうのは、船にたとえれば細い船で、波をけ立ててものすごいスピードで進んでいく。だけど客はあまり乗せられない。しかしプロは、早いスピードではないけれども、やはり波をつき破り、もう少しお客さんを乗せて航海を続けられる」
・70年4月25日、アルバム『古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう』の中に、卓越した才能を持っている男がいた。それが吉田拓郎である。エレックは彼の才能を見抜いていた。拓郎の唄とギターはアマチュア時代から他の人とは一線を画し、広島フォーク村の中でもその才は、一目を置かれる存在であった。そんな拓郎は、10月にはファースト・アルバム『青春の詩』を発表するのである。その時の宣伝文句が、«フォーク・ファンには見逃すことの出来ないLPが発売されましたフォーク、ロック、ボサノバを歌いまくるよしだたくろうの魅力の全てがこの一枚に結集されています» そんなお世辞にも上手いいい難いコピーである。発売と共に人気に火がつき、甘いマスクも手伝い、あっという間に拓郎はスターにのし上がっていく。
いいなあ。久しぶりに『風船』聞こうかな。あらたな感動がありそうだな。オススメです。\(^o^)/