「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「プカプカ 西岡恭蔵伝」(中部博)

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西岡恭蔵は身長180センチメートルの偉丈夫であった。ニックネームは「ゾウさん」といった。がっしりとした大きな体につぶらな瞳をした穏やかな人だったので、たしかに象を思わせるところが、西岡恭蔵にはあった。
 
『プカプカ』が初めて世に出たのは、いまから半世紀ほど前の1971(昭和46)年だった。その人気が、どのようなものであるかは、『プカプカ』をカバーしているミュージシャンたちを列挙すればわかるだろう。その数はかるく50人を超える。
 
海を歌い、人を歌い、旅を歌い、そして西岡恭蔵は愛を歌った。それらの歌は
大きな愛と日々の安寧を望む、言葉と旋律にあふれていた。西岡恭蔵のふるさとの海を見たとき、歌が聴こえた。その50年の生涯をとどれば、いったいどれほどの歌が聴こえてくるのだろう。西岡恭蔵が一生をかけた歌を聴き、書き残したいと思った。
 
『プカプカ』の、現在の正式なソング・タイトルは、『プカプカ 赤い屋根の女の子に』である。だが、初めからこのサブタイトルがついていたわけではない。しかも、サブタイトルは、あるときから書き直されている。最初のサブタイトルは「みなみの不演不唱(ぶるうす)」半年後の1972年7月の恭蔵自身が出したファースト・アルバム『ディランにて』のライナーノーツには赤い屋根の女の子に」というサブタイトルが記され、今日まで続いている。
 
あるときから『プカプカ』に、前口上の語り歌(バース)がつけられた。ただし恭蔵は、アルバムの歌詞カードなのにその歌詞を一度も書いていない。文字化していないのである。バースをつけるのは、歌うときだけであった。最初のバース。
 
おいらを風来坊にした いかしたあの娘
冬の雨を相合い傘さ いかしたあの娘
好きだと言えば 冷たい素振り
嫌いと言えば またすがる
それがためで おいら いまこんなん
おいらの話 聞いとくれ
 
ところが、いつの間にか、恭蔵はバースの歌詞を書き換えている。
 
おいらを風来坊にした いかしたあの娘
冬の雨『の』 相合い傘さ いかしたあの娘
『通りすがりのあの町で
君の涙を見たものだから』

それがためで いま『じゃ』 おいら いまこんなん
おいらの話 聞いとくれ
 
なぜバースがこのように変わってしまったのかはわからない。
 
・あるときを堺に、書き換えられたサブタイトルとバースが存在する。
「おいらを風来坊にした」「いかしたあの娘」とは、いったい誰だったのか。
「赤い屋根の女の子」と「俺のあん娘」は同じ女性なのだろうか。
そして『プカプカ』を歌うとき、西岡恭蔵の心には、どんな光景が浮かんでいたのか。
 
『Farewell Song』を聴いた加川良が、親しい友人にこう言ったという。『Farewell Song』は、ヤバいぞ」「音楽的に行きすぎている」「凄いところまで行き切っている」
 
 
「ジャズシンガー・安田南」「万博と学生運動フォークソング「秦政明とURCの時代」「喫茶店ディランのオーナー石村洋子」『みなみの三十歳宣言』「瀬戸内晴美(寂聴)の『遊園の人』の『わが友、安田南』」「ベルウッド・レーベル」など。

 

この頃の時代の歌、歌が生まれる時代っていいよなあ。現役で聞きたかったなあ!でも、ワタシは、大塚まさじ『プカプカ』のアレンジと歌い方が一番好きだけどなあ。(笑)フォークファン、必読!超オススメです。(・∀・)

 

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