ワタシが音楽とギターに見せられた頃、1970年代。拓郎、陽水からさかのぼって聞いていたときに出会った関西フォーク。その中でもいまでも時々聴きたくなるのが、大塚まさじ・永井ようの『ザ・ディランⅡ』『きのうの思い出に別れをつげるんだもの』『SECOND』は、何回聞いたかわからない。西岡恭蔵が脱退してから。このころは、象狂象だったよね。だから西岡恭蔵の歌を聞くことはずっと先になるのだが。
・西岡恭蔵は身長180センチメートルの偉丈夫であった。 ニックネームは「ゾウさん」といった。 がっしりとした大きな体につぶらな瞳をした穏やかな人だったので 、たしかに象を思わせるところが、西岡恭蔵にはあった。
・『プカプカ』が初めて世に出たのは、 いまから半世紀ほど前の1971(昭和46)年だった。 その人気が、どのようなものであるかは、『プカプカ』 をカバーしているミュージシャンたちを列挙すればわかるだろう。 その数はかるく50人を超える。
・海を歌い、人を歌い、旅を歌い、そして西岡恭蔵は愛を歌った。 それらの歌は
大きな愛と日々の安寧を望む、言葉と旋律にあふれていた。 西岡恭蔵のふるさとの海を見たとき、歌が聴こえた。 その50年の生涯をとどれば、 いったいどれほどの歌が聴こえてくるのだろう。 西岡恭蔵が一生をかけた歌を聴き、書き残したいと思った。
・『プカプカ』の、現在の正式なソング・タイトルは、『プカプカ 赤い屋根の女の子に』である。だが、 初めからこのサブタイトルがついていたわけではない。しかも、 サブタイトルは、あるときから書き直されている。 最初のサブタイトルは「みなみの不演不唱(ぶるうす)」。 半年後の1972年7月の恭蔵自身が出したファースト・ アルバム『ディランにて』のライナーノーツには「 赤い屋根の女の子に」というサブタイトルが記され、 今日まで続いている。
・あるときから『プカプカ』に、前口上の語り歌(バース) がつけられた。ただし恭蔵は、 アルバムの歌詞カードなのにその歌詞を一度も書いていない。 文字化していないのである。バースをつけるのは、 歌うときだけであった。最初のバース。
おいらを風来坊にした いかしたあの娘
冬の雨を相合い傘さ いかしたあの娘
好きだと言えば 冷たい素振り
嫌いと言えば またすがる
それがためで おいら いまこんなん
おいらの話 聞いとくれ
ところが、いつの間にか、恭蔵はバースの歌詞を書き換えている。
おいらを風来坊にした いかしたあの娘
冬の雨『の』 相合い傘さ いかしたあの娘
『通りすがりのあの町で
君の涙を見たものだから』
それがためで いま『じゃ』 おいら いまこんなん
おいらの話 聞いとくれ
なぜバースがこのように変わってしまったのかはわからない。
・あるときを堺に、 書き換えられたサブタイトルとバースが存在する。
「おいらを風来坊にした」「いかしたあの娘」とは、 いったい誰だったのか。
「赤い屋根の女の子」と「俺のあん娘」は同じ女性なのだろうか。
そして『プカプカ』を歌うとき、西岡恭蔵の心には、 どんな光景が浮かんでいたのか。
この頃の時代の歌、歌が生まれる時代っていいよなあ。現役で聞きたかったなあ!でも、ワタシは、大塚まさじの『プカプカ』のアレンジと歌い方が一番好きだけどなあ。(笑)フォークファン、必読!超オススメです。(・∀・)