この前伝説のテレビ番組「天才たけしの元気が出るテレビ!」を youtubeで見たけど、オモシロイねえ。ハチャメチャだよね〜!あの時代、良かったなー!さすがテリー伊藤!!!(・∀・)
「この本は、オレ、つまり、テリー伊藤が初めて明かす、自伝的ノンフィクションです。最初の舞台は、オレを生み育てた街、築地。小学2年生のとき、初めてテレビが伊藤家にやってきた日からオレの心に住み続けたテレビという愛しき怪物。築地小学校の伊藤輝夫君が大人になってテレビの国に飛び込むまでの間に、オレの人生を変えた人たちとの出会いがあった。この本を、40年前に出会った1人の女性、渋谷のファッションヘルスで働いていた片腕の美少女、マリンちゃんに捧げたい。彼女こそ、オレの人生をもっとも大きく変えてくれた天使なのだ」そのエッセンスを紹介しよう。
・「輝夫」という名前にありがちはあだ名で「や〜い、
・世の中にはスーパースターというのが本当にいるものだな。 細川恵司を観て、俺は素直にそう思った。いちばん勉強ができて、 運動神経も抜群。運動会では常に一等賞で、 リレーのアンカーで逆転優勝の立役者になる。野球をやれば、 エースで4番。完封し、サヨナラホームランを打つ。まるで『 巨人の星』の花形満そのものだった。
・「テレビは、なんでもオレの願いを聞いてくれる。 テレビはオレにたくさん夢を見せてくれる。 なんて素晴らしい友だちなんだ。オレはテレビを一生、離さないぞ」
・「国籍不明の覆面レスラーって、 どうやって税関を通ってきたんだ?」「 こんなミイラ男の姿のまんま入国できんのか?」
・初デートで、ますますドキドキしてきて、 いったい何をしゃべればいいのかわからなかった。 少しビールを口にしただけで、顔が火照ってきた。 きっともう真っ赤になっているにちがいなかった。緊張感だけが高まり、思わずこんな話を持ち出した。「きのうのドラフト、巨人は明治の高田繁を1位指名したね」 彼女は、キョトンとしていた。野球にも興味がなければ、 巨人にも何の興味もない女性に、ドラフトのことなど、 どうでもいい話だった。「 2位氏名の三菱重工のピッチャー山内新一も、楽しみな新人だね」 その後どんな話をしたかも思い出せない。 彼女の笑顔が少しずつ消えていき、 最後の方は2人とも無口になっていた。
・テレビマンとしてのオレの生き方を決定づけてくれたのが、 片腕の天使マリンちゃんだった。 事故で片腕をなくしたマリンちゃんは、 自分の身に起こった大惨事をオレに話して聞かせて大笑いさせてく れた。 自分のハンディキャップを嘆いたりコンプレックスにしたりする暇 があったら、そんなものは笑い飛ばして、 したたかに生き抜いてやるというパワーと根性は、 まさに斜視のテレビマンの最高のお手本だった。 オレは斜視になって以来、そして、テレビマンになって以来、 これほど人に勇気づけられたことはなかった。「 ふさぎこんでたって、しょうがないじゃん。人生、 不幸なこともあるけれど、 それ以上に面白いこともいっぱいあるんだから、 そっちを楽しまなきゃ損だよ」 マリンちゃんが笑顔でそう言ったのを聞いて、 オレは涙が止まらなかった。感動の涙だった。うれし泣きだった。 オレはこれから、もっとマリンちゃんと語り合い、励まし合い、 明るく楽しく、強くたくましく生きていきたいと思った。「 片腕がないぐらいでメソメソなんかしていられないよ。さあ、 きょうも稼いでやるぞ。だれよりもすごいサービスしてやるぞ〜」
「船上生活の美少女チヨちゃん」「 スーパースターとマドンナと兵隊」「築地にテレビがやってきた! 」「月光仮面にあこがれて」「オヤジ、テレビの中に入る!」「 泥棒中学生の事件簿」「学生運動と白衣の天使」「 口紅少女とテレビの国への旅立ち」「小悪魔サーヤに気をつけろ! 」「片腕少女が教えてくれたこと」など。
坂本九『さよなら東京』、いいなあ。あの時代は知らないけど、ワタシが育った昭和40年代とそれほど変わらない気がする。時代のニオイと風景が思い出されるなあ!オススメです。(・∀・)