この本のタイトル、いいなあ。人生の最後に聴きたい曲ってなんだろう!?何を選ぶだろうか!?(・∀・)♪
「末期の刻に一曲だけ聴くことができたら、どんな歌を選ぶか―。故・久世光彦が14年間にわたって雑誌「諸君!」に連載した123篇のエッセイから52篇を選んだ“決定版”。小林亜星、小泉今日子、久世朋子の三氏による語り下し座談会「私たちの選んだマイ・ラスト・ソング」を収録。懐かしい昭和の名曲が、珠玉の名文でよみがえる」そのエッセンスを紹介しよう。
【時の過ぎゆくままに】
阿久悠と相談して、まず「時の過ぎゆくままに」というタイトルを決めた。「カサブランカ」の「A Time Goes By」からのいただきである。出来上がった詞をを六人の作曲家に渡してそれぞれ曲をつけてもらった。荒木一郎、井上堯之、井上忠夫、加瀬邦彦、都倉俊一、大野克夫という錚々(そうそう)たる顔触れで、できてきた曲はもちろんどれも魅力のあるものだったが、阿久悠と二人、一晩聴き比べて大野克夫のものを選ばせてもらった。だいたい、一つの詞に何人もで作曲するなどという贅沢な作り方は、昭和50年の当時だってめったにあるものではなかった。
【おもいでのアルバム】
いつ聴いても、どんな人が歌っていても、かならず泣いてしまう歌が、私には三つある。「おもいでのアルバム」「何日君再来(ホーリンチンツァイライ」「賛美歌三一二番」(いつくしみ深き友なるイエスは…)の三つ。それぞれに、たいした理由もないし、思い出があるわけでもない。ただ、きっと私の中のいちばん弱い部分に訴える部分に訴える何かがあるのだろう。弱いところとは、恥ずかしいところなのかもしれない。恥ずかしいけれど、捨てるに捨てきれないから、この年齢まで持ち歩いてきたのだろう。
【妹】
あのころの喜多條忠は、いい詞を書いていた。「神田川」も「赤ちょうちん」も、この「妹」も、みんな喜多條とこうせつのコンビによる作品で、この三作は『青春叙情三部作』と言われていた。立派な体の、大きな男だった。ーあるパーティーで、喜多條と横綱を引退した輪島が顔を合わせたことがある。「あなたはいい体をしていらっしゃる。相撲取りになればよかったのに」「いまからでも遅くないでしょうか?」「いいかもしれませんね」「それなら輪島さん、四股名を付けてください」「わかりました。《神田川》で如何でしょう?」
ワタシだったら、何かなあ!?吉田拓郎の「I'm In Love」は、入るだろうなあ。こんなエッセイを書いてみたいなあ。オススメです。(*^^*) ♪