「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「日本プロ野球記録史 昭和36年ー昭和40年」(千葉功)

ワタシが生まれた1964(昭和39年)年。その年に世界のホームラン王、王貞治さんが55本のホームラン記録を作ったんだよね。それをもとに欽ちゃんがコント55号の名前をつけられたのは有名なハナシ。
 
さてこの本。今から約60年前プロ野球を記録でさぐっていく本。懐かしい名前がバシバシ出てくるんだよねー。ビックリしたのは、金田正一が400勝を達成する前は、別所毅彦の310勝が、王さんがホームラン記録を作る前は、青田昇の265本が、トップだったという事実っ!!!知らなかった〜!♪ その記事をいくつか紹介しよう。
 
【約1000回帰年特集「記録の手帖」とともに振り返るプロ野球激動の20年ー昭和55年6月2日号・9日号】
 
記録の手帖の第一回のテーマは「記録からみた投手の第一人者は」である。まず投手では、戦後派の稲尾防御率1.58で断然トップに立っているのが目を引く。昭和31年にデビューしたとき、さっそく1.06で第一位になった稲尾は、三年連続タイトルを守った。34年は二位、35年は2.58と初めて2点台に落ちたが、通算成績では群を抜いていた。金田正一は当時まだ254勝で、通算最多勝別所毅彦の310勝だった
 
通算打率では与那嶺要の.316がトップだったが、37年に現役を退くときには通算.311で川上と交代している。王も巨人入りして二年目で、まだ本塁打は24本しか打っておらず、当時の第一位である青田昇の265本は、はるか遠くにしか見えなかった。
 
・37年5月21日号はの記録の手帖は尾崎行雄の怪腕ぶりを紹介している。「圧倒的なのはその投球内容である。38回2/3を投げて失った自責点はただ1点、防御率0.23は、パ随一。さらに61三振奪っており、1試合平均に換算すると、拾に14.1個にも相当する」
 

 
・本誌創刊500号記念特大号である42年9月25日号は「王300号までの偉大な足跡」である。まずはじめの見出しに「六年後には550号」とある。「いま27歳の王が、来年からの3年間は現在のペース(2.5試合に1本)を維持できるとすると、45年末の通算本塁打は450本は軽く突破する勘定。48年末には550本という計算は、どう控えめに見ても成り立つ」実際には、48年末は585本と、はるかにオーバーしている
 
【第170回(昭和39年3月23日号)“ゴール・イン”はいつか】
 
・昨年現在、山内(一弘)は通算262ホーマーし、あと4本で、青田(昇)を抜き通算本塁打第一位になる。青田が8年間つづけた首位の座(265本)も、山内にとって代われるのは時間の問題である。

 

すごいなあ!やっぱり記録って破られるモノなんだねー。プロ野球の歴史の重さをカンジるなー!野球ファン必読っ!オススメです。(・∀・)