「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「オレたちのプロ野球ニュース 野球報道に革命を起こした者たち」(長谷川晶一)

いや〜この本は、いい、なつかしいっ!!!いまは、どこのテレビ局もこの番組から影響を受けて、この番組が終わっていることさえ気が付かなかった!!!(笑)当時は、佐々木信也が元プロ野球選手だっていうのもビックリしたし、高橋ユニオンズという球団があったってことを知ったもんね!♪

 

「76年から94年まで、18年間にわたってお茶の間にプロ野球の魅力を伝え続けたプロ野球ニュース。初代キャスターを務めた佐々木信也の軽妙な司会によって、番組はすぐにフジテレビ深夜の看板番組に成長。当時はほとんど報じられることのなかったパ・リーグの試合も含めて、すべての試合を均等に、という方針により、日本のプロ野球文化発展、ファン拡大に大きく貢献した。この番組がもたらしたものとは? 当時の関係者の証言で綴っていく」そのエッセンスを紹介しよう。

 

・61年に始まった「第一期」は5年で終了した。それから10年を経て、満を持してスタートした第二期『プロ野球ニュースは、あらゆる面で新風を吹き込んだ。後のスポーツに多大な影響を与え、プロ野球人気の後押しをし、当時は陽の目を見ることのなかったパ・リーグの知名度を一気に押し上げた。さらに、詳細な情報と緻密な分析によって、日本人の野球偏差値を大きく向上させることにも寄与した。この番組の何が新しかったのか!?どんなところが革新的だったのか?
 
・巨人一辺倒の時代に、あえて「12球団公平」をモットーに掲げ。パ・リーグの試合も平等に扱うことにした。これは当時としては画期的な試みだった。この番組を通じて「動くパ・リーグ」の選手を初めて見た」という視聴者は多かった。
 
一時代を築いた『プロ野球ニュース』、その誕生と終焉までの物語をこれから綴っていきたい。そこにはどんな物語があったのだろうか?どんな思いで、彼らはこの番組に携わってきたのか?どうして、この番組は好評をもって世間に受け入れられたのか!?そしてどうして、終焉のときを迎えなければならなかったのか?
 
「磁気トラックフィルムを使用して同時録音を行うこと」「12球団を平等に扱うこと」「試合結果を最初に明かさないこと」「球団担当者制を敷くこと」「FNS系列と協力体制を築くこと」
 
佐々木信也解説者ではなく司会者として野球中継をしてみたいと思っていました。だからプロ野球ニュースの話が来たときは、すぐにOKしたんです」実況アナウンサーの横で分析する解説者とは、佐々木にとっては助手席」に座ってドライブをする感覚だった。それよりも、自分の言葉で、自分の仕切りで番組を操ることのできる「運転席」に座ってみたかった。「実況」でもなく「解説」でもなく「司会」をしたい。それが佐々木の望みだった。そのチャンスが訪れた。平日は佐々木た担当し、週末は土井まさるが務めることが決まった。
 
この番組は、プロ野球に報道革命をもたらした。男たちの、そして女たちの、そうオレたちの『プロ野球ニュース。かつて、多くの視聴者を魅了した番組が、たしかにあった。いつまでも色あせることなく、プロ野球ニュースは関係者たちの、そして多くの視聴者たちの胸の内に、今もなお輝き続けているー。
 
 
ロイ・ジェームスは明大野球部だった!?」「大杉勝男の「わがふるさと」

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「松岡・大矢の日本海駅弁めぐり」「若手スタッフの教育係だった豊田泰光」「人気企画「珍プレー・好プレー」の誕生」「萩本欽一ビートたけしの時代へ」など。
 
いや〜昭和の時代が蘇るねー。確かにパ・リーグの選手の動く映像は、この番組で知ったわー!野球ファン必読っ。超オススメです。(・∀・)