一日一冊一感動!小野塚テルの『感動の仕入れ!』日記

タイトルは、『一日一冊一感動!小野塚テルの感動の仕入れ!』日記。 毎日の読書、映画、グルメ、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。(ときどき「酒場のギター弾き」「B級グルメ」も紹介します)

「消えた球団 高橋ユニオンズ 本当にプロ野球史上最弱球団だったのか」(野球雲編集部編)

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消えた球団 高橋ユニオンズ1954~1956

消えた球団 高橋ユニオンズ1954~1956

  • 発売日: 2019/09/14
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

もう16年前かあ……近鉄バファローズ」が消滅したのは……。そして「阪急ブレーブス」「南海ホークス が消えて32年……。そして消えた球団の代表といえばなんといっても高橋ユニオンズだ!

 

「消えた球団シリーズ第3弾!本当にプロ野球史上最弱球団だったのか。[高橋さんのポケットマネーで設立された]まぼろしの球団」の真実に迫る!300勝投手のスタルヒン佐々木信也も活躍したが、とてつもなく弱い、そして3年で消えた不思議な球団!」そのエッセンスを紹介しよう。
 
佐々木信也 右投右打 169cm 76kg
 
ユニオンズが生んだ最大のスター。1949(昭和24)年、湘南高校1年のときに夏の甲子園に初出場で優勝する。監督は父の久男。慶應義塾大学に進み、正二塁手になる。4年時には主将。同期に巨人のエースになった藤田元司がいる。戦力強化を図る高橋ユニオンズに猛烈にアプローチして1956(昭和31年)入団。シーズン終了まで一人で二塁を守りフルイニング出場、リーグ最多の180安打を放った、オールスターにも選ばれ、2試合とも安打を打つ。新人王は稲尾和久に譲ったが、ベストナインにも選ばれた。このオフに高橋は解散し、佐々木は大映ユニオンズに。さらに大映の吸収合併によって大毎ユニオンズに。出場機会が減り、1959(昭和34)年限りにで引退。26歳で野球解説者になる。
 

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「何が辛かったのかというとね、列車の移動が辛くてね。東京〜大阪間が特急で8時間、大阪〜博多間が10時間、もちろん普通車、3等車でね。これが辛くてね。特に大阪〜福岡間が当時は蒸気機関車で、冷房もなくて窓を開けるから煙が入ってくるグリーン車当時の特二)だけ冷房が付いている」
 
高橋ユニオンズの平均入場者数は2300人です。最後、西鉄の優勝が決まったあと、消化試合を藤井寺球場近鉄と日曜日のダブルヘッダーをやったんですね。でね。とにかくお客が少ないんです。セカンドを守りながら数えたんです。順番にネット裏から……32人です。両軍選手50人です。32人しかいない球場でダブルヘッダーをやったのは辛かったですね。」
 
・最後の高橋龍太郎の言葉「私は君達のような選手をもったことを本当に嬉しく思っている。いつまでも忘れることはないだろう。君達もいままで私に見せてくれたと同様の、いやそれ以上のプレーをやって欲しい。私はたとえ球団が変わっても、いつも君達の元気な姿を楽しみに見守っている。また君達の良き相談相手にもなりたいと思っている前と同じようにおジイちゃんの元にいつでもきてくれよ」
 
高橋ユニオンズの選手になる可能性があったジャイアント馬場は、知らなかったエピソード!なんたって長嶋茂雄さんがデビューする前のことだからねー。この歴史は知っておいてほしい。プロ野球ファン必読っ!オススメです!(・∀・)

 

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消えた球団 高橋ユニオンズ1954~1956

消えた球団 高橋ユニオンズ1954~1956

  • 発売日: 2019/09/14
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)