「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜『最弱球団 高橋ユニオンズ青春記』(長谷川晶一)

最弱球団 高橋ユニオンズ青春記

最弱球団 高橋ユニオンズ青春記

戦後たった3年間だけ存在した幻の球団「高橋ユニオンズ(1954年〜56年)。プロ野球ニュースでお馴染みの佐々木信也氏が在籍したチームだよね。('∀`)

日本プロ野球史上唯一の個人所有による球団だった。パ・リーグの創設の 混乱のなかで急遽作られたチームは「ポンコツ」と「呑兵衛」の"寄せ集め"(ユニオン)と揶揄された。負けてばかりの日々、1イニング7四死球、10連敗、ノーヒットノーラ ン、そして稀代の投手スタルヒンの300勝、勝率3割5分をかけた「八百長」の最終試合……短いゆえに、"弱さ"ゆえに光り輝く彼らの青春がここに凝縮された。日本プロ野球史を語る貴重な一冊。435試合、146勝281敗8分、勝率わずかに.342。(/ω\)


負けてばかりいたために観客動員も振るわず、本拠地だった川崎球場ではチケットが29枚しか売れなかった試合もあった。55年ほど前の若き時代、「史上最弱球団」と呼ばれた高橋球団とは?そのエッセンスを紹介しよう。


パ・リーグ7球団を8球団にする!それは永田雅一、一世一代の大風呂敷」から始まった。


高橋ユニオンズ。それは高橋龍太郎が、社長を務めていた大日本麦酒の主力商品だったユニオンビールに由来する名称だったが、寄合所帯のメンバー事情を皮肉り、「文字通り寄せ集め(ユニオンズ)の意味だろう」とバカにする者も多かった。


・すでに隠居していながら、78歳という高齢でチームを持つ決断をした龍太郎は、当時は一企業の社長としてではなく一個人として、私財を投げ打ち、自分の人脈を駆使して球団経営した唯一無二の人物だ。負けても、負けてもチームを見捨てず、足繁く球場に通って選手の応援を続けた心から野球を愛するオーナーだった。彼の決意と覚悟があったからこそ、「最弱球団」は奮闘を続けることができた。


プロ野球史において、ユニオンズはまるで捨て石のようなチームだったのかもしれない。しかし、わずか三年間とは言え、ユニオンズもまたパ・リーグの歴史を担った一員であることは事実だ。58年にパ・リーグが六球団制を採用するまでの数年間。この混沌とした時代に「寄せ集め集団」と言われながらも、確かに歴史を刻んだのも事実だ。そんな時代に、野球を愛し「プロ野球発展のためになるなら」と、滅私の精神で支え続けた高橋龍太郎。最弱ではあったけれど、決して「最低」ではなかった。


…個人球団ってすごいなあ!私だったら、「小野塚サンシャインズ」になるのかな!?野球ファン必読!オススメです!(^J^)