「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「私、プロレスの味方です」(村松友視)

 
子どもの頃、よく、家族でプロレスを観ていた。オヤジは昭和ひとケタ生まれなのにも関わらず、身長180センチ、90キロくらいある大男だった。(今のワタシとほとんど同じ)。ワタシはオヤジに聞いた。「父ちゃん!(新潟では父ちゃんという)ジャイアント馬場と父ちゃんが戦ったら、どっちが勝つかな!?」「テル、お前はどっちがか勝つと思う?」「父ちゃんが勝つと思うっ!!!」というくらい、大きくて、たくましくて、物知りで、頼りがいのあるオヤジが大好きだったっ!!!
 
さて、この本!「直木賞を受賞した著者の、1980年発表デビュー作。プロレス本乱立時代に終止符をうつべく今、再び文庫化。26年間に渡りプロレスを見てきた著者が提唱する32項目にも上る新しいプロレスの見方が、多くの読者を魅了。プロレス本の元祖とも言える本書は当時のベストセラーにも輝き旋風を巻き起こした。競技と演技が結びついた不可思議な魅力といかがわしさに彩られたプロレスに、独特の理論と思想を付着させ、プロレスの面白さと奥の深さを徹底解明した、傑作エッセー」そのエッセンスを紹介しよう。
 
プロレスについてしゃべろうとするとき、のどのあたりに何かイガラッポイものを感じるのは、昨日や今日のことではない。「プロレス」とこっちが発音したときに相手がつくる表情、これがイガラッポサを生んでくれるのだ。平たく言えば、プロレスをバカにし、軽んじている顔つきなのです。まあ、10人に話しかければ7人までは同じような顔をする。つまり、ボクシングの世界選手権やオリンピックのバレーや柔道の世界大会などについての話を聴く顔がちがう顔をしてくれるのだ。女の人なんかだいたいそうだ。
 
・ところで10人に一人くらいは、インテリのプロレス好きに出会う。この人たちは、いわば逆説好みのスタイリストである。サーカスや軽演劇の中にこそ真の劇があり、屋台のおでんや豚の煮込みの中に味の真髄があり、ゆがみやくずれの中にこそ造形の美がやどり、プロレスこそ真のスポーツであるという程度の、常識一回ひねり的逆説で世を渡る楽観主義的たちなのだ。
 
私はプロレス関係者ではない。プロレスの関しては東スポ」「週刊ファイト」「レジャーニューズ」「デイリースポーツ」「ゴング」「月刊プロレス」の読者であり、テレビのプロレスラー番組を気にかける視聴者であり、プロレス会場へも一シリーズ一回は顔を出す観客であり、シャープ兄弟のころからの継続的ファンであり、力道山木村戦も中学生のとき生で見たヒトである。もちろん、過激なプロレスファンであり、そのファンの中でもプロレス者の一人であると自認している。私、プロレスの味方です。
 
プロレスとは、プロのレスリングではない。これは、なかなかプロレス者を惹きつけるテーマであります。プロボクシングはプロのボクシングであるが、プロレスはプロのレスリングではないここのところが実に重要なのです。プロレスとは、プロレスとしか呼びようのない、いわばジャンルの鬼っ子なのであり、市民権を獲得しないまま今日に至っているというのが、ま、私の認識である。そしてその市民権を獲得せず、鬼っ子であり続けているというところに、プロレスの魅力と凄みがあるのだ、と私は思っている。プロレスとは、オリンピックと対極にある野卑な存在であり、そこが実に良い。これは単なる逆説ではなく、本当にそうなのだ。
 
・他の格闘技において、試合をもっとも自分に有利に展開したということは、相手の得意技を封じて自分の得意技で決めた場合のことを言うだろう。ボクシングで「相手にボクシングをさせなかった」という解説者の賛辞はそれを指している。しかし、プロレスの場合は違う。相手の得意技を受けて(しかもKOされず)自分の得意技を決めるのが竿校、ということではないだろうか。
 
・プロレスはいいかげんだから八百長だと考える人が多い。しかし、私の考えにそって結論を出すならばそれは完璧にひっくりかえるのである。ルールとはあらかじめ定められた八百長であり、そしてプロレスはルールに最も重みをおかないジャンルである、ゆえに、プロレスは八百長からもっとも遠いジャンルであるただし「八百長」というより「物語」が試合に生じることはある。こういうケースがプロレスとして最高級の試合だと思うのだが、試合が終わった瞬間に「物語」が浮かび上がるのである。つまり、結果から原因を想像し、その過程の展開を思いめぐらす楽しみが誕生するのだ。
 
八百長だからつまらない」→「八百長でも面白い」→「八百長と真剣勝負の区別はよくわからないものだ」→「試合が終わった瞬間、八百長は観客の頭でつくられる」
 
・ルールがなければ街の喧嘩と同じ、殺し合いになりかねないし、いつ果てるともしれない。しかしルールのがんじがらめでは面白くない。そこで苦渋に満ちた独特のルールつまり反則を許容する人間くさいルールが発明された。
 
武器と凶器はどうちがうかといいますと、武器とは相手を攻撃するために製造されて、その目的どおりに使用されるものであり、凶器とは、本来別の目的で製造されて、その目的をはずれて攻撃するために使用されるものである。と、まあこういうことになります。
 

奥が深いなあ……。力道山VS木村政彦を実際に観たっていうだけで凄いよなー!あらためてプロレスの見方が変わって「味方」になりました。オススメです。(・∀・)