いや〜この本、いいわ、すごいわー!♪格闘技ファンではない、ワタシが興奮するぐらいだからスゴイわー!♪ちょうどこの本を読んだあとだったから余計に響いたわー!♪
小学生の頃に観た、モハメド・アリとアントニオ猪木の異種格闘技戦。世紀の凡戦と呼ばれていたが今では高く評価されているなんて!!!
「1970年を境に勢いを失った世界のプロレス。なぜ日本のプロレスだけが、その力を維持し続けたのか。その謎を解くべく、アメリカ、韓国、オランダ、パキスタンを現地取材。1976年の猪木という壮大なファンタジーの核心を抉る迫真のドキュメンタリー。単行本に大幅加筆し、猪木氏へのインタビューを含む完全版」そのエッセンスを紹介しよう。
・日本は世界最大の総合格闘技大国である。日本では、 群を抜く強さや鍛え抜かれた逞しい肉体は憧れの対象だ。 日本にやってきたファイターたちは、 自分たちが尊敬の対象であることに一様に驚く。 私たちはプロレスラー出身の国会議員まで生み出してしまった。 アントニオ猪木、馳浩、大仁田厚、そして神取忍。ザ・グレート・ サスケは岩手県議会議員である。こんな国はどこにもない。
・日本人の総合格闘技好きとプロレス好きは、 結局はひとつのものだ。プロレスの目的は観客を満足させ、 再び会場に足を運んでもらうことにある。 勝敗はあらかじめ決められており、 リングに上がった2人のレスラーはお互いに協力してドラマチック な試合を演出する。プロレスは一種の演劇なのだ。
一方、総合格闘技の目的は勝利にある。プロである以上、 結果的に面白い試合になれば言うことはないが、 いくら面白い試合でも負ければ何にもならない。 総合格闘技はリアルファイトであり、 試合中にショーアップが入り込む余地はほとんどない。
・この国において、 アントニオ猪木が総合格闘技のシンボルとみなされるのはなぜだろ うか。猪木がリアルファイトを戦ったからである。1976年、 猪木は極めて異常な4試合を戦った。 2月にミュンヘンオリンピック柔道無差別および重量級の優勝者ウ ィリエム・ルスカと。 6月にボクシング世界ヘビー級チャンピオン、モハメッド・ アリと。10月にアメリカで活躍中の韓国人プロレスラー、パク・ ソンナンと。12月にパキスタンで最も有名なプロレスラー、 アクラム・ペールワンと。
・ 1976年のアントニオ猪木はあらゆるものを破壊しつつ暴走した 。猪木は狂気の中にいたのだ。 アントニオ猪木は日本のプロレスを永遠に変えた。 異常な4試合とはいかなるものだったのだろうか。 猪木はプロレスをどのように変えたのだろうか。猪木とは何か。 プロレスとは何か。本書はそれを知るために書かれた。
・タイガー・ジェット・ シンを売り出す当時の猪木さんは本当に凄かった。 コブラクローをノドに受ける時猪木さんは自分で自分のノドをカミ ソリで切っているんです。すると、 シンの指が首の中に潜り込んでいくように見える。『高橋、 俺は今日、ここ(首)で仕事をするから、あっち(シン) にも言っておいてくれ』 と言われた時には本当にびっくりしましたよ。凄いな、 ここまで徹するか、と思いました。相手を引き立たせるために、 そこまで自分が犠牲になってしまう。 それだけ努力して自分の宿敵を作り上げていく。 シンが猪木さんを苦しめて苦しめて、引っ張って引っ張って、 とてつもなく強い選手に見せておいてからその強いヤツを倒すから ファンだってついてくる。それが猪木さんですよ。( ミスター高橋)
・プロレスはセックスに非常によく似ている。 体を通して互いに刺激し合い、 相手の反応を見ながら次の手を打つ。 相手もまた様々な技術で応酬してくる。 いい相手とセックスすれば自分も高まり、 素晴らしい快楽と開放感を得ることができる。 それを支える観客の視線も必要条件となる。私にとってジェット・ シンはいいセックスができる相手のようなものだった。 たか買うほどにテンションが上がり、 快感が増して行くような感じで…私も燃えたのである。 格闘技では身体に残った感覚は消えない。闘って『こいつは凄い』 と感じたことは絶対なのである。
・歌舞伎の女形が女性的な仕草やふるまい、手つき、 表情のディテールを磨き上げることで現実の女性よりも遥かに女性 らしく見せるように、 アントニオ猪木も肉体のディテールを磨き上げることによって力道 山や豊登のような元力士とも、 馬場のような大巨人ともまったく異なる美しさ、 すなわちアスリートの美しさを身に纏った。 たゆまぬ努力の末に作り上げられた肉体美、 細やかなディテールを積み重ねた末に生み出される「強さ」 のイメージ。美と強さと兼ね備えた男が快感に打ち震えつつ、 怒りに身を任せたまま最悪の境界、 倫理の境界を軽々と超えていく。 そんな猪木のエロティックなプロレスに70年代のティーン・ エイジャーたちは強く反応した。
・日本の新聞にスポーツ欄からプロレスの記事が消えたのは、 1954年12月行われた
力道山や木村政彦の試合からだ。なぜロープに飛ぶのか、 なぜトップロープからのニードロップをよけないのか。 なぜレフェリーは隠した凶器を見つけられないのか。 なぜ流血はリング下でばかり起きるのか。 様々なクエスチョンマークを頭の中に浮かべつつ、 観客たちはジャイアント馬場やアントニオ猪木が外国人レスラーた ちをなぎ倒していく姿に声援を送っていた。
・アントニオ猪木は天才である。 その気になれば相手が誰だろうが、 熱戦を作り上げることができる。「 猪木ならばホウキと戦っても観客を沸かせることができるだろう」 とゴッチ門下で兄弟子にあたるヒロ・マツダの評だ。 しかし天才は気まぐれである。常に100% の力を出すことはできない。猪木のテンションが下がれば、 試合のヴォルテールが急落する。
・ アリがプロレスラーと戦うかもしれないという噂は以前からあった 。アリ自身も繰り返し言い続けたことだ。だが、 アリがまさか本当にプロレスラーと戦うとは思わなかったのだ。 一体なぜ、 世界のスーパースターがプロレスラーごときと戦わなければならな いのか。アリはなぜ、 自らの権威を冒瀆するような真似をするのか。 記者たちは大いに疑問を持った。アリは、 ボクシングというリアルファイトの世界にプロレス的なショーアッ プの手法を持ち込んだ初めてのボクサーだった。 アリはプロレスが好きだったのだ。
・試合前、 メディアはこの試合について何ひとつ理解していなかった。 これはリアルなのか?それともショーなのか? この単純な疑問に答えが出せない。アリも猪木も「リアルだ。 ショーではない」と言う。この試合が意味するものは何か? 悪ふざけか、もしくは高級なドラマか?
・アリのチーフセコンド、アンジェロ・ ダンディはドロー判定に満足していた。「 判定は引き分けだったが、レフェリー、 ジャッジに関しては何の不満もなくむしろ敬意を表す限りだ」
・猪木は孤独だった。一介のショーレスラーにすぎない自分が、 世界のスーパースターとリアルファイトを戦い、 散々痛めつけてやったのだ。にもかかわらず、 それがどれほど凄いことなのかを理解してくれる人間はどこにもい なかった。 なぜドロップキックやコブラツイストやバックドロップをしなかっ たのか、と大勢の人々から聞かれた。 ドロップキックは見せるための技だ。実践で当たるはずもない。 コブラツイストも同様の見せ技だが、 さらに密着することが必要になる。近づくことさえできないのに、 どうやって密着するのか。
・アリはプロレスのバカバカしさが大好きなのだ。
・そして、 ついに新日本プロレスにアントニオ猪木を超えるレスラーが現れた 。タイガーマスクである。 タイガーマスクのプロレスは通常のロックアップではなく、 キックから始まる。凄まじいスピードで動き回り、 恐るべき強さで蹴る。リングの上下、内外を自在に駆使し、 完璧なブリッジによるジャーマン・スープレックス・ ホールドでフィニッシュする。 猪木のプロレスが美しい静止画とすれば、 タイガーマスクのプロレスはスピードと意外性で幻惑するジェット コースター・ムービーであった。真の天才である佐山聡は、 文字通りプロレスを変えてしまったのだ。
・佐山聡はある意味でアントニオ猪木を超えたレスラーだった。 猪木はアメリカではまったく受け入れられなかったが、 佐山はマスクをかぶる以前からメキシコでもイギリスでトップレス ラーだった。 タイガーマスクとなってからはアメリカでもカナダでも大人気だっ た。
・猪木以前、日本には偉大なプロレスラーが2人いた。 力道山とジャイアント馬場である。 アメリカにも偉大なレスラーたちがいた。 イギリスにもドイツにも韓国にもパキスタンにもシンガポールにも 偉大なレスラーは数多く存在した。だ、 が彼らがプロレスの枠組みから外れたことは一度もない。 結局のところ彼らは観客の欲求不満不満快勝の道具に過ぎなかった 。ただひとり、 アントニオ猪木だけがジャンルそのものを作り出したのだ。 巨大な幻想を現出させ、 顧客の興奮を生み出すのがプロレスラーであるならば、 アントニオ猪木こそが世界最高のプロレスラーであった。
・今回の出版で唯一残念だったのは、 アントニオ猪木氏のインタビュー取材ができなかったことだ。 猪木氏には聞きたいことがたくさんあった。だが回答は「 手紙は猪木も読んだ。だが謝礼の発生しない取材は受けない。 これは猪木の意志だ」というものだった。本書は、 プロレスとはリハーサルのあるショーであるという前提の上で、 その前提が崩れた特異点について書かれたものだ。一方、 プロレスと格闘技の境界線を曖昧にすることで巨大な幻想を生み出 したのがアントニオ猪木その人である。
インタビューは魔術師に種明かしを迫るようなものにならざるを得 ない、猪木氏に取材を受けていただけなかったことは、 本書の性質上、仕方のないことだと感じている。
ちょうど猪木さんが亡くなったあとに読むことができて、その偉大さがわかった。格闘技ファンならずともぜひ一読を!超オススメです。(・∀・)