一日の仕事が終わって、ホッとしたときに飲む一杯のビールやお酒。酒場に流れるBGM。そのメロディーを聞いたときにいろんな記憶がよみがえりますよね。そう、「歌って記憶」なんです。その当時の仕事、家族、泣き笑い、楽しかったこと、辛かったこと、想い出、そして恋。
さて、まだ「酒場のギター弾き」を未経験の方に朗報!6月7日(月)「流し」!感染症対策バッチリで、予定通り開催しますー!♪
「酒場のギター弾き 小野塚テル」でございます!♪今年2回目のブックカフェで「流し」2021・初夏です。♪ 少人数で小さく、小さく、おとなしく開催します。
「酒場のギター弾き 小野塚テル ブックカフェ de 流し 2021・初夏」
さて、今日の一冊!
アル中で52歳で亡くなった中島らもさん。生きていたら69歳かあ…。52歳は、どう考えても若いわー!♪
「52歳は「失っていく」年。 けれど逆に一種のすがすがしさがある。 2004年7月に52歳で亡くなった著者が、 死の直前に人生をふり返り、酒とクスリ、社会と家族、 娯楽作家の業、そして自らの「死」と「生きること」 を直感的に語る。死ぬのも怖くない。貧乏も怖くない。 ただ愛が怖い。中島らも最後のメッセージ」そのエッセンスを紹介しよう。
・小学校のときのIQの結果が185だった。それから、酒、 シンナー、睡眠薬、コデインなどでめちゃくちゃしてきたから、 ちょうどいいIQになった。 40代で躁鬱病になったときのIQテストで「IQ70です」 言うんよ。IQ185にもなると、超能力現象が起こる。 脳は巨大なコンピューターだから、人の考えを先回りして、 答えだけ言っちゃうの。電車に乗ってて「次、豊中だよ」「 これから訊こうとしてたとこや」…… そんなことがしょっちゅうあった。
・ ほんと親や先生に言われるままの勉強ロボットみたいな小学生だっ た。全国共通模試の成績で一度、 全国で二位になったことがあったけど、 上にあともう一人おるんかって思ったな。で、 灘中に入学したときの成績が学年で8番だった。 灘中は一学年150人くらい。 高校になるとき50人編入してきて、最終的に200人が、 東大に100人、京大に50人、とは早稲田、慶應とか、 有名大学の医学部に進学するような学校。そんなんだったのが、 6歳の頃、ボードレールや山田風太郎を読んだり。ボブ・ ディランを聴いたりしているうちに勉強なんてするひまがなくなっ た。高校生になってからは試験も受けなかったから、 成績のつけようもないんよ。
・おれは明日、どうなろうともいいし、 昨日のこともどうでもいい。今日、いまが一眼大事なんであって、 いま存在するってことに重きを置いてるんだよ。
・いまはコデインの禁断症状ですごい体調なんやね。 関節痛があったり、下痢になったり、だるくなったり…… それに毎日耐えてる。一番ひどいのが、 背筋を母親がばーっと走るんや。オカンが走るの(笑)。 一番飲んでた時期で一日にウィスキー一本半くらい空けてたかな。 アルコール性肝炎でぶっ倒れる前は一日に二本飲んでた。 それも連続飲酒。歯も磨かへんし、枕元にボトルを置いてるから、 目が覚めたと同時にぐっと飲む。
・古今亭志ん生は、内田百閒が「師匠、 一日にどれくらい飲まれる?」って訊いたら「まあ、一升ですな。 朝起きたら三合飲んで、寄席に行って、蕎麦を取って、 蕎麦で三合飲んで、高座やって、終わったら四合飲んで」。 これが毎日、すごいよ。
・ま、こうやっていろいろイタズラ続けているうちに、 いつかあの世行きってことになるんだろうけどね。 おれはけっこう楽しみにしてるんだよ。だってね、 一生にたった一回しか死なれへんねんで。 自分の死こそは覚醒した感覚でしっかりと体験したいね。 痛かろうが苦しかろうが、そんなこたどうでもいいんだ。 死ねば苦痛は消えるんだからね。
・おれは全部なりゆきで生きてきた。 人間っていうのは分かれ道に来たとき、Aの道に行きたいけど、 でも自分には不可能、 だからBの道を行こうってふうに不可能な道を絶対進まないの。 だから、いまある自分ってのは結果として必然の蓄積なわけ。 おれはいままであのとき、こうしたほうが良かったとか、 悔やんだことは一度だってない。 子供の頃からずーっとなりゆきだもの。 大学に入ったのもなりゆきだし、就職活動もなりゆき任せ。 もうすす卒業するっていう2月まで何も考えてなかった。ほんと、 なりゆきでいまみたいになってる。「エッセイ書いてください」「 小説書いてください」って頼まれて、「 できるかどうかわかりませんが、いいですよ」 ってうやっているうちにこうなってしまった。 一度も自分から書かせてくださいと頼んだことはないのに。
いいなあ〜。こういう破滅型の人生って、生き方って憧れるよね〜。(笑)ワタシの人生も成り行きです〜!♪ オススメです。