・20世紀の中国でも、中世のインドでも、古代のエジプトでも、 人々は同じ三つの問題で頭がいっぱいだった。すなわち、 飢饉と疫病と戦争で、これがつねに、 取り組むべきことのリストの上位を占めていた。 人間は幾世代ともなく、ありとあらゆる神や天使や聖人に祈り、 無数の道具や組織や社会制度を考案してきた。 それにもかかわらず、 飢餓や感染症や暴力のせいで膨大な数の人が命を落とし続けた。 多くの思想家や預言者はこの世の終わりまで私たちがそれらから解 放されることはないだろう、と結論した。
・ところがこの数十年といいうもの、 私たちは飢餓と疫病と戦争を首尾よく抑え込んできた。 対処可能な課題に変わった。今日、食べ物がなくて死ぬ人の数を、 食べ過ぎで死ぬ人の数が史上初めて上回っている。 感染症の死者数よりも、老衰でなくなる人のほうが多い。 兵士やテロリストや犯罪者に殺害される人を全部合わせても、 自ら命を絶つ人がそれを数で凌ぐ。
・たとえ過去の苦難の多くを克服したとしても、 純然たる苦しみをなくすことに比べると、 明確な幸福を達成するのはずっと難しいかもしれない。 飢え死にしかけた中世の農民は、 パンを一切れ与えられただけで大喜びした。だが、 分不相応な高給をもらい、退屈した太り過ぎの技術者は、 どうしたら喜ばせてやれるのか?
・過去を振り返り、ホモ・サピエンスとはいったい何者か、 人間至上主義はどのようにして支配的な世界宗教になったのか、 人間至上主義の夢を実現しようとすれば、 なぜその崩壊を引き起こす可能性が高いかを詳しく調べてみる必要 がある。それが本書の基本的構想だ。
・シンバやシア・ カーンや大きくて悪いオオカミは地上から姿を消しつつある。 この世界に住んでいるのは、主に人間とその家畜なのだ。 ドイツにはおよそ20万頭のオオカミがいるが、 飼いならされた犬の数は4億頭を上回る。 世界には4万頭のライオンがいるが、飼い猫は6億頭を数える。 ホモ・サピエンスが、 7万年の間に前代未聞の形で徹底的に全地球の生態系を変えてのけ たのだった。
・ 現実には客観的現実と主観的現実の他に第3の現実のレベルがある 。共同主観的レベルだ。共同主観的なものは、 個々の人間が信じていることや感じていることによるのではなっく 、大勢の人の間のコミュニケーションに依存している。 歴史におけるきわめて重要な因子の多くは、共同主観的なものだ。 たとえば、お金には客観的な価値はない。 1ドル札は食べることも飲むことも身につけることもできない。 それにもかかわらず、 何十億もの人がその価値を信じているかぎり、 それを使って食べ物や飲み物や衣服を買うことができる。
・他の動物たちが人間に対抗できないのは、 彼らには魂も心もないからではなく、 必要な想像力が欠けているからだ。ライオンは、 銀行口座を開いたり、訴訟を起こしたりはできない。そして、 21世紀の世の中では、 訴訟の起こし方を知っている銀行家のほうが、 サバンナで最も獰猛なライオンよりもはるかに強力なのだ。 共同主観的なものを生み出すこの能力は、 人間と動物を分けるだけではなく、 人文科学と生命科学も隔ててている。
・成績というのは比較的新しい発明だ。 狩猟採集民は成果を採点されることはなかったし、 農業革命から何千年も過ぎてからでさえ、 厳密な成績をつける教育機関はほとんどなかった。 厳密な成績を日常的につけ始めたのは、 産業化時代の大衆教育制度だった。工場と省庁の両方が、 数字という言語で考えることに慣れると、学校がそれに続いた。 学校は生徒の価値を平均点で評価し、 教師や校長の価値は生徒全員の平均点に従って評価された。 官吏たちがこの基準を採用すると、現実が一変した。 もともと学校は、生徒を啓蒙し教育することが主眼のはずで、 成績はそれがどれだけうまくいっているかを測る手段に過ぎなかっ た。だがほどなく、学校はごく自然に、 良い成績を達成することに的を絞り始めた。
チャウシェスク 最後の演説
すごいなあ、惹き込まれるなあ、何度も何度も読み返したいなあ。超オススメです!(・∀・)♪
もちろん下巻も併せて読もう。全人類必読っ!