久しぶりに読みました、堀井憲一郎さんの本。1971年といえば、昭和46年、7歳、小学校に入学した年かあ!♪ 前年に新潟から小田原に引っ越した翌年かあ!♪
ネットを見たら、「日清食品カップヌードル発売」「日本マクドナルド、ハンバーガー=レストランの1号店を銀座三越内に開店」「ボウリングブーム」「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)/「よこはま・たそがれ」(五本ひろし)/「わたしの城下町」(小柳ルミ子)/「おふくろさん」(森進一)/「さらば恋人」(堺正章)/「水色の恋」(天地真理)/「雨の御堂筋」(欧陽菲菲)だねえ!♪
さて、この本。日本を覆い続ける”思念”の正体。昭和から平成、そして新しい時代を迎える日本、しかし現代の日本は1970年代に生まれた思念に覆われ続けている。日本に満ち満ちているやるせない空気の正体は何なのか。若者文化の分析に定評のある著者が、その在り様を丹念に掘り下げ、源流を探る。はじめに 白く冷たかった2009年の夏」そのエッセンスを紹介しよう。
・「1971年の悪霊」というのは、ある思念を想定している。 私が個人的に感じる「時を超えた思念」というようなものである。 その時代を懐かしみたいわけではなく、 そのころから40年を超えていまに続く「おもい」 を探ってみたい、というのが狙いである。あのころの思念が、 いまの地上を駆け巡っているのではないか、 と感じることがあるからだ。
【1971年、岡林信康が消えた夏】
フォークソングが広く流行していた時代がある。 若者が熱中していた。鋭く、みずみずしく、 爽やかな自分たちの歌として、若者に強く支持されていた。まず、 1960年代に盛り上がった。 そのまま1970年代につながっていった。
1970年、中学に入るとと、学校での何かのイベントごとに、 フォークソングが歌われた。先輩たちがギターを奏でて歌い、 途中から一緒に歌おうと誘ってくれた。「風」「 悲しくてやりきれない」「青年は荒野をめざす」「友よ」「 若者たち」「遠い世界に」「戦争は知らない」「 今日の日はさようなら」そういう歌である。 フォークソング世界は突然、目の前に表現れたのだ。
13歳の私がもっとも好きだったのは、はしだのりひこの「風」 である。志賀高原へスキー旅行に行ったとき、 夜に食堂に集まって先輩たちがギターを弾き、 みんなでフォークソングを歌った。日常から離れた雪の高原、 窓の外には白樺が見えている。好きな女の子がいて、 風景がロマンチックで、 そこで切ないメロディの歌をみんなで歌う。 私にとってのフォークソングは、そういうものである。 切なさに強く惹かれていた。
1971年になって「戦争を知らない子供たち」「 あの素晴しい愛をもう一度」が出て、やがて「翼をください」 もよく歌うようになった。 翌年に開催される札幌オリンピックのための歌「虹と雪のバラード」 もレパートリーに入った。
そして「岡林信康」が登場する。岡林こそが、プロテスト・ フォークソングの象徴であり、 1968年から過激になっていく学生運動からも支持された歌手で ある。極論すれば、“反体制型フォークソング” は彼一人に象徴されていると言っていいだろう。 プロテストソングを身体の内から絞り出すように歌っていたのは1 968年と1969年の両年だけである。 1971年までは彼がフォークシンガーの代表だった。 それがざっくりとした当時の風景である。 やがて自分でレコードを買い出したころ、 それは1972年になってからであるが、そのときすでに、 岡林信康の姿はきれいに消えていた。あとかたもなかった。 1971年を境として、 フォークソングシーンは大きく変わったのだ。 1971年よりあとは別のフォークソングが流行しはじめた。( 吉田拓郎と井上陽水がその代表とされている)
岡林信康は、とつぜん消えた。遁走(とんそう)である。 1969年の9月、岐阜でのライブのあと、突然失踪した。「 ちょっと下痢を治してきます」と言い残して消えた。 およそ半年消え、1970年の3月に復帰する。 岡林がなぜ遁走したのか。
商業主義がとても敵視されている時代だった。 レコードを出すのはべつにいい。その内容によって評価する。 体制に反対し、若者の気分を歌ってくれれば熱心に支持をする。 しかし、たくさん売れるのは、認めない。 テレビに出て歌うのも認めない。それは資本主義への加担であり、 商業主義に走ったことになる。そうなった歌手は、 若者のサイドから、搾取者サイドに寝返ったとみなしていい。 そう考えていた。純粋だった。もっと大事なことを言えば、 みんな貧乏だったのだ。小さな反抗から、 社会を変えられると信じていた。
1971年夏を境に、たしかに何かが変わったのだ。「 プロテストソング」の時代から「ラブソング」 の時代へと変わり始めた。反商業主義スタイルは、 学生運動とともに衰退している。 メジャー路線にのったフォークソングが受けていくようになった。 もともと吉田拓郎が売れたのは恋の歌である。「結婚しようよ」「 旅の宿」は、どちらも仲のいい男女の歌である。 失恋歌ではないところが、ひとつの特徴である。 フォークソングは闘う歌ではなく、身のまわりの歌になっていく。 闘争時代は何となく終わってしまい、同棲時代が始まった。
「京都の高校で紛争のあった夏」「1971年、高橋和巳が死んだ5月」「1969年、「善のウッドストック」と「悪のオルタモント」」「1971年、「小さな恋のメロディ」に惹かれた初夏」「1973年、ローリングストーンズ幻の日本公演」「1968年、パリ五月革命の内実」「毛沢東「文化大革命」を支持していたころ」「 左翼思想はどこでついていけなくなったか」など。
……いいなあ、感慨深いなあ。確かに、フォークの分岐点だっかもなあ。それはそれと、岡林は好きだけどねえ。高橋和巳、読んでみたいなあ。オススメです。(・∀・)