この本は1982年発行だから約40年前になる。当時ワタシは16歳の高校一年。あの!「漫才ブーム」ってスゴかったよね〜!♪ 武道館を満員にするなんて、いまでも考えられないっ!540ページを超える大作。そのエッセンスを紹介しよう。
▲この写真は、1981年10月16日に、日本武道館 に漫才を見に集まった一万一千人に大観衆の記録である。この日、日本武道館には、横山やすし・西川きよしを筆頭に、ツービート、B&B、レツゴー三匹、オール阪神・巨人、今いくよ・くるよ、島田紳助・松本竜介、西川のりお・上方よしお、ゆーとぴあ、おぼん・こぼん、春やすこ・けいこ、サブロー・シロー、コント赤信号、コントレオナルド。ギャグ・シンセサイザー、ヒップアップ、アゴ&キンゾー、酒井くにお・とおる、青芝金太・紋太、ザUSA、大木こだま・ひびき、岩井小づえ・みどりと22組 のヤングパワーがずらりと並び、ベテランの鳳啓助・京唄子が漫才復活を叫び『漫才大全集』の旗印のもとに、東西の人気漫才が集結した歴史的な一日のすばらしい記念写真となった。
・紳助・竜介の言葉「この秋が真価を問われる時や、いいやつはいい、悪いヤツは悪い。中途半端のもいなくなる。おれたち?もちろん生き残れる」 そして最後に吉本興業の中邨秀雄制作部長がしめくくる。『結局、このブームが終わった後、残っているのは頭のええヤツですよ』 まさしくその通りになるだろう。この本で、80年11月11日の『花王名人劇場』から81年4月5日の『花王名人大賞』までの漫才の足どりをもう一度ふりかえながら、この漫才ブームは果たしてなんであったかと考えてみたいのである。
・紳助の漫才入門の動機がふるっている。高校を卒業し大学の入学を控えたときに「このままアホみたいな学生生活を送っていたら、いつか少年院に送られる。入れられたら最低でも一年半は出てこられない。それなら人を笑わせることとに自信があるから漫才師にでもなろう。漫才師も二年やそこいら修行がいるが、少年院の一年半よりもましだろう」 と悟ったというもの。「ワシが持っていた3つの夢、レコード、自伝出版、映画に主演すること、3つともすべてかなった。あとはロックミュージカルぐらい」 という紳助。「やすし・きよしが新しい漫才を作ってBIGになったように、俺も、必ずBIGになってやる。そして、西川きよし師匠の2億円の家のとなりに、5億円の家を建ててやる」
紳助の予言どおりになっているね。スゴイね。懐かしい名前もあるね。一時的成功者と永続的成功者がハッキリ分かれてるね。動画があったらもっといいね。お笑いファン必読っ!オススメです!(^o^)