酒場のギター弾き 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「意味不明でありがたいのかーお経は日本語で」(戸次公正)

 

著者の戸次公正(べっき こうしょう)さん、読めないよね!?由緒ある名前なんだろうね。この本、いいわー!仏教徒のワタシには響くなあ!♪(๑>◡<๑)

教会で聖書は日本語で読まれているのに、なぜお寺のお経は漢訳の音読なのか?わけのわからないお経を聞かされて、正座の足が痛いだけの葬式は、自然な姿なのだろうか?」 そう疑問を感じた著者は、古刹の僧侶である自分の使命として、お経の現代日本語訳に取り組んできました。お経は、読んでわかり、聞いてうなずけてこそ、死者の魂を慰め、残された人の心を安らかにさせてくれます。 現代日本語に訳され、それが葬式の場で読まれて、はじめて釈迦が、仏教の先人たちが、何を伝えようとしたのかがわかるのです。 本書は、新しい葬式の形を提案するとともに、仏教に親しむために何が大切かを教えてくれます」 そのエッセンスを紹介しよう。

 
・私は20年ほど前から法事の場で、お経を現代日本語でで読む試みをしています。現代語訳のお経のテキストを配って、参加者と一緒に朗読するお勤めも加えています。なぜ私が日本語でお経を読むようになったのか?
 
福井市にある米沢英雄先生(開業医)のもとへ行ってさらに強烈な体験をしました。「今日はどないしたんや。ナンマンダブ、おおそうかナンマンダブ、…」念仏を称えながら診察しておられるのです。いやあホンマにびっくり仰天しました。患者さんとの会話がそのまま法話のように展開していく。まさに生活の中にお念仏がしみこんで一体になっている。すごい人や、とふるえがきました。
 
「君のお経に対する疑問はようわかる。その疑問は大切にしていったらええ。けど君がまずせんならんのとは、ナンマンダブと念仏することやで。君は死への不安も抱えてノイローゼになってる。そやから念仏という薬をのまんならんのや。
 
あのな、ナンマンダブツというのは単なる呪文でも言葉でもない。食べものや。いのちの糧や。食べもんやと思うて食べなさい。食わず嫌いにならんと、意味がようわからんでも、いのちの糧やから、食べもんと思うて食べなさい。まず、ナムアミダブツといういのちの糧を朝夕食べる練習をしなさい。起きている時は気がついたらお念仏をしなさい」
 
このように身をもって念仏を称えることを教えていただいたのが、私の大きな転機となりました。
 
「なぜ意味不明のお経をあげるのか?なぜ日本語訳のお経で法事をつとめようとしないのか?」いかにすばらしい仏教・真宗の教えであっても、その心を表す儀式があまりにも旧態依然の「お経の棒読み」でいいのだろうか?このさい思い切って自分で儀式のあり方を問い直し、日本語で読むお経による現代人の法事を創り出してみようと考えたのです。
 

【代表的なお経の現代日本語訳つき】がいいね。日本語で読むとと涙が出そうになる琴線に触れるというのはこういうことなんだろう。超オススメです。( ・∇・)