「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「薩摩のかくれ念仏 その光と影」(かくれ念仏研究会編)

   


薩摩のかくれ念仏―その光りと影


「かくれ念仏」という言葉があるとは知らなかった。また「かくれ念仏研究会」という会があるのも知らなかった。


封建時代の世に、浄土真宗阿弥陀如来の前には、全ての生きとし生けるいのちは等しく尊いという教えがそぐわず信者の結束力による統一的な行動が、政治的に利用され、一向一揆へと進展する危険性をはらんで、禁止弾圧されたのだという。


この本は、かくれ念仏の風土・歴史・組織、かくれ念仏のいろいろな姿、真宗門徒の生きざまを紹介する。2000年11月に開催された「かくれ念仏解禁125周年記念講演・シンポジウム」の記録も収録。そのエッセンスを紹介しよう。


江戸時代、日本全体の武士の数は約5%と言われるが、薩摩藩では26%余りだという。いかに武士の数が多かったかがわかる。当時一向宗とよばれていた浄土真宗は、ひたすらに(一向に)阿弥陀仏を信じれば、財産や知識の有無・男女や身分の違いにかかわらず、すべての人が救われ、極楽浄土に生まれ変わること(往生)ができると説いていた。それまでのどの宗派にもないこの教えは、薩摩藩のような厳しい武士支配の国では、庶民の気持を強くとられた。こうしてこの世に希望を見出せない人たちにとって、一向宗の教えは大きな力となり、生きる希望をあたえたに違いないと思われる。


藩政時代にひとつの寺もなかった真宗が、明治以後休息に増えたのは、藩政時代のかくれ念仏がその基になっていることを考えなければ理解できないことで、「かくれ念仏は現代に光を放っている」ということになろう。


法然の浄土宗の特徴は、南無阿弥陀仏を称えることによってすべての人々は救われるという専修念仏と、極楽往生するためにわざわざ出家したり修行しなくても阿弥陀仏の力によって救われるという他力本願にあった。この考えをさらに進めたのが親鸞だった。親鸞「仏法の知識のある善人が阿弥陀仏の慈悲の力で極楽往生できるのであれば、知識もなく正しい行いさえもできない私のような悪人を阿弥陀仏が見捨てるはずはない」悪人正機説を唱え、ただ南無阿弥陀仏と称え、その信心を起こすだけで救われるはずであると絶対他力を説いた。この教えは広く庶民に支持された。この親鸞を開祖とするのが浄土真宗真宗である。浄土真宗のことを一向宗と呼んだが、一向とは「一心に、それだけを、ひたすらに」という意味で、南無阿弥陀仏と一心に称えることを意味している。


藩の制度として一向宗が禁制になると、組織的かつ能率的に一向宗の取り締まりが行われるようになった。では、禁制となっている一向宗を人びとはどのように隠れて信仰したのか、その形態は大きく三種類。1つめは、誰にも知られないように密かに個人で信仰を続けるもの。この場合ほとんどが小さな阿弥陀仏を本尊としている。また本人が亡くなってしまうと記録にも残らない場合がきわめて多い。二つ目には、秘密組織である講をつくり、信仰を続けた人びとがいた。薩摩のかくれ念仏者のほとんどがこちらに分類される。その特徴は取次役を通じて常に本山と連絡を取り合っていたことである。最後に、海上や藩外といった役人の目に届かないところで念仏を称え、通常は薩摩藩内で暮らすという場合がある。この形式をとるのは個人の場合も集団の場合もある。


「なぜ一向宗禁止政策の中できわめて厳しい拷問や弾圧が行われても、念仏の教えに生きていったのだろうか」は、特に印象的。信じるチカラってスゴイんだねえ。オススメです。(・o・)


   


薩摩のかくれ念仏―その光りと影