「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「「やりがい搾取」の農業論」(野口憲一)

 
ワタシが、明治大学農学部出身なのは、兄の影響から。兄が農学部に入学したとき「なんで、農学部なの?だっせー!!!」と思っていたのだが、「ミイラ取りがミイラになって」同じ大学の同じ農学部農芸化学に進学したのだった。だから「農」という字には思わず反応してしまう。紆余曲折して、結局「食」の世界に戻ってきてしまった。(笑)(・∀・)
 
さて、この本。そう、そう、そのとおりだー!「いつまでも豊作貧乏、キレイゴトの有機農業……。単なる「食糧生産係」から脱し、農家が農業の主導権を取り戻すためには何をすればいいのか」そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
日本の農業では生産物は常に安値安定、もっと言えば「豊作貧乏」になることが最初から運命づけられています。大量生産と価値は反比例します。作れば作るほど、商品の価値は下がっていく。ですから、日本社会では農業を営み続ける限り、農家は半永久的に安価な農作物を販売し続けなければならない。結果的に、農家の経済規模は拡大しにくくし、農業は社会から尊敬されない職業になっているというのが私の見解です。
 
・日本の農業界では、一部の例外を除いて豊作貧乏が常識なのです。天候と関係なく農家が豊作貧乏になることが既定路線になっているのです。このことは農家だけの問題ではなく、真綿で首を絞めるように、日本社会全体を蝕んでいきます。この構造を破壊しない限り、日本が永きにわたって維持してきた豊かな食文化も崩壊してしまいかねません。なぜ、このような構造が出来上がってしまったのか?
 
・農家にとっては当り前ですが、どれだけ手間をかけたかによって味や見た目は大きく異なります。ブドウの逆三角形のカタチやゴルフボール大くらいの高級ブドウは当り前でも偶然もでもなく、農家によって手入れされた結果なのです。
 
そもそも、日本の農産物が1袋100円くらいで販売されている理由は何でしょう?強いて上げれば「みんなが100円ぐらいだと思っているから」です。まず、生産者が、大体それぐらいが適正な値段だと思っています。スーパーも消費者も。そうして小松菜の値段は1袋100円ぐらいだという相場観が成立します。
 
どうして日本人は国内調達できるホワイトアスパラを、わざわざフランスから航空燃料を使用してまで輸入しているのか、どうしてこんな値段で売れるのか。日本産よりも美味しいからでも鮮度の良さでもない。4倍の価格差に値するような「美味しさの違い」があるとも思えない。
 
・M氏に、ミカン農家のとって技術とは何かと問うと剪定である」と断言しました。
 

この現実をまずは、知って欲しいよね。「1本5000円のレンコン」が誕生した背景がわかる。オススメです。(・∀・)