「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「歌い屋たち」(なぎら健壱)

 
ワタシが歌うときの自己紹介のトーク「ワタシは「歌手」でもなく「シンガー・ソングライター」でもなく「ギタリスト」でもなく「ミュージシャン」でもなく「酒場のギター弾き」。いま、イチバン歌いたい歌は、目の前の人からいただくリスエスト。つまり「流し」がいちばんピン!とくるのだ。
 
さて、この本。なぎら健壱さんの本だからフォーク仲間を紹介した本かと思ったらまったく違っていた!
 
「1970年代。工業高校を卒業した有賀は下町の塗装工場で働いていた。楽しみは寮で友と交わすフォーク談義だけ。ベトナム反戦、反体制気運の頃、若者はメッセージ性の強いプロテスト・ソングを信奉していた。そこを同僚の中年男が訪れる。上野の孤児から流しになったという男のギターと歌を聴くうち、彼の心に疑問がせり上がってくる。「俺達の歌う反戦歌ってなんだ。歌で何かを伝えるんだ!と意気込んだところで、その何かは、いまの俺のなかにあるのか」いつかはフォーク歌手に、と思っていた有賀に芽生える根源的な疑問。そして有賀のたどった道は―あの時代を生きた者だけが語れる情熱と純粋さ。著者初の長篇小説」その中でも「流し」のことが書かれたところがある。それはまさにドンピシャ!でワタシの「酒場のギター弾き」と一致している。そこを紹介しよう。
 
・あの酒場なんかをギターを抱えて歌って歩く流し。昔はね、演歌師と読んでいたんですが、いつしか演歌流しと呼ばれるようになったんです。露天商と演歌師は街頭で商いをするので同じように監察がいったんですよ。百曲ぐらいは覚えたのかな。兄貴連中の中には千曲、二千曲、もっと覚えていると自慢している人もいましたらから。もっともわたしも、本当に全部聴いたわけじゃありませんんけど、でもあながち嘘なないと思いますよ。一緒について回っていても、まずお客さんのリクエストに対してできないって断ることがなかったですもん。
 
流しって舞台で歌うのとは違うんですよ。ほらっ、盛り場を流すわけでしょ。酒場ですよね。ということは、ほとんどの人間がその場所に酒を飲みにきているわけなんですよ。そうでしょ、つまり唄を聴きたいからその場所にきているわけじゃないんですよ。酒を飲んで、おしゃべりをしたりして、その場を楽しみたいんですよ。舞台に足を運ぶお客さんというのは、唄を聴きたいという意識を持ってきている人ばかりでしょ。唄を聴かせるのが楽なんですよ。その点、流しの相手はそうじゃない。それが難しいんですよ。酔客の心の中に割って入って聴かせるということが……。中にはうるさい、と思うお客さんだっているでしょうから。万人が唄好きならこんな簡単なことはないわけですよ。
 
・流しはスポットライトを浴びて歌う歌手ではなく、一曲歌ってなんぼの歌い屋なんですよ。唄を歌って幾ばくかのお金をもらう、生業(なりわい)としているという意味ではステージ上の歌手と同じプロなんですが、それとは違う。なんて言うのかなあ……。やっぱり歌い屋なんですよ。
 
・「昔の唄のほうがいいですよ。今の若い子の唄って全くわかりませんもの。ねっ松ちゃん」「あんなもの、歌い屋じゃない……歌い屋としての自尊心がない。いや、お袈裟とかそんなことじゃなくて、あれは歌い屋なんかじゃないんだ」「そうね、松ちゃんは歌い屋だからね」
 
「波止場がらす」(ディック・ミネ)「男の純情」(藤山一郎)「浅草の宮田レコード」「おはなし」(キャッスル&ゲイツ)「もずが枯れ木で」(ランブリング・ボーイ)など。

 

いいなあ。歌っていいなあ。やっぱりワタシは「流し」「酒場のギター弾き」なんだなあ!「歌い屋」も名乗ろうかな。超オススメです。(・∀・)