「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「落語の国からのぞいてみれば」(堀井憲一郎)

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時々、このせわしない世の中とオサラバしたくなる。ケータイとパソコンを捨てたい!ワタシへの連絡は、狼煙(のろし)か発煙筒かほら貝か糸電話にしてほしいっ!♪あ〜江戸時代に戻りたいっ!!!(・∀・)

 

さてこの本。最近ハマっているホリイさんの本。「時間の感覚、死生観、恋愛と結婚、酒……今の暮らしは、どこかヘン!?江戸を向いて歩こう!恋愛こそすべてという圧力、名前に対する過剰な思い入れ、死んだらおしまいと言えないムード……どこか息苦しくないか? 落語のなかに生きる人々の姿から、近代人のおかしさを撃つ!」そのエッセンスを紹介しよう。

 
「ちょっと二百年ほど昔に戻ってくるわ」そういう気分の新書である。1804年〜1830年までの文化文政のころ、ふつう「江戸時代のこと」とぼんやり言うと、この時代と、その少しあとを指している。
 
生まれたての赤ん坊は一歳。正月が来ると二歳。正月が来るごとに一つずつ歳を取る。それが数え年だ。満年齢は「個人」を中心とした数え方、数え年は「社会」から見た考えかた、そういう違いでしかない。誕生日がわからない偉人も多い。つまり満年齢というのは、誕生日と死んだ日というきわめて個人的な情報にもとづいたプライベートな年齢なのだ。満年齢思想の背後には「まず個人が存在する」という思想がある。それは「キャラクターを持たなければいけないという病い」と連動してしまっている。
 
日本にはかつて誕生日はなかった。すくなくとも誕生日の祝いはなかった。貧乏長屋にはなかった。誕生日を祝うのは、かつては貴人のものだった。天皇と将軍には誕生の祝いというものがあったらしい。
 
・六つ。午前6時と午後6時。 五つ。午前8時と午後8時。四つ。午前10時と午後10時。九つ。午後0時と午前0時。 八つ。午前2時と午後2時。七つ。午前4時と午後4時。すんごく大雑把だ。大もとの考えからは、すごくずれている。近代と近代以前のずれなのだ。
 
天保での安政でも、ゼニとカネは別のものだ。江戸時代、通貨は3種類あった。金。銀。銅。まず金、それが両。分。朱です。四朱で一分。四分で一両だ。銀は匁。銅は文。一番安い単位。千枚集まって千文となると一貫。金と銀はそのまま貴金属と見立てても使える。それがカネ銅貨は、ゼニ。これは鋳つぶしてもあまり価値のないものが多い。ゼニ。庶民が日常、使っていたのはゼニですね。だから『芝浜』の女房は「ゼニじゃないよ。おカネだよ」と驚いて叫んだのである。
 
「昔の旅は、右の足と左の足を互い違いに前に出して進むばかりという、きわめてのんびりしたもので」そういうマクラもある。歩くしかない時代には、「歩く旅」のことを、大変だとも、のんびりしてるとも、おもっていない。だって歩くしかないんだもん。そのころはそのことの人なりに急いで移動したり、ゆっくり移動したりしていたのだ。すごく速く歩いている人、ものを背負っているので大変そうだけど速く歩いている人、そこそこの速さの人、人は自分で歩く速さを調整できるのだ。歩く速度のギアを変えればいい。近代人はそのことをけろっと忘れてますね。
 
たぶん、すべての旅人は、よほどの茶人でなければ、急には止まれないくらいの速度で歩いていたはずである。絶対そうだ。歩く旅に慣れると、里という単位がとてもありがたい。一里をだいたい一時間で歩きます。休憩無しでずっと歩ける距離が一里です。
 
・一日に十里も十二里も歩いてわかったけど、早く歩こうとしたり、長距離を歩こうとするときは、まず手は振らない。ということは同時にカラダをひねらなくなる。だって、そんなことをすると疲れるんだもん。ひとりでにそういう歩きになってきます。これをナンバ歩きというのかもしれない。これが江戸時代の歩き方に近いと思う。
 
・かつて百年ほど昔、近代になって最初のころは、見合い結婚が主流だった。江戸の昔には、見合いも恋愛もない。とにかく結婚するばかりである。社会的な強制としてどんどん結婚させられていた。近代より前は、人は好き嫌いで生きていけなかった。好き嫌いは全面に押し出されることはなく、また好き嫌いで人生を決めてはいけなかったんだろう。
 
江戸時代、左利きのサムライはいなかった。厳密に言えば左利きのサムライはいたが、左手を前に刀を握るサムライは一人として存在しなかったはずである。左利きは少数派なのだから、右利きに合わせて生きていけ、というのが社会の通念であった。いまでもそれは残っている。社会コストの問題なのだ。もっと貧しく、もっとぎりぎりだった時代、社会のコストを下げるために、左利きは徹底的に右利きに直された。人が道具に合わせたほうがいい、そういう考えである。サムライは死と隣り合った存在であるから、まったく個性は尊重されない。だから左利きは右利きに合わさないといけない兵士は全員同じ方向で行動させられる。
 
「相撲は巨大人の見世物」「見世物は異界の入り口」「早く結婚しないといけない」「恋愛は趣味でしかない」「左利きのサムライはいない」など。

 

いいねえ。時計とケータイを捨ててのんびりしたいね〜!オススメです。(・∀・)

 

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