「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「章説 トキワ荘の春」(石ノ森章太郎)

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藤子不二雄Aの名作まんが道をはじめするトキワ荘のエピソードは、いつでもワタシの心をアツくさせる!!!ワタシもマンガ家を目指したことがあるので(?)その気持ちがよく分かるのだ!

 

さてこの本。石ノ森章太郎みずからが語るあの時代!「トキワ荘の数年は私にとって、青春そのものであった…。仲間たちとの青春群雄記」そのエッセンスを紹介しよう。

 

姉が死んだ。明日が23歳の誕生日。ある年のその日だった。3歳違い。ボクは、成人式とやらが済んでまだ三ヶ月目。間もなく、西田佐知子「アカシアの雨がやむ時」という歌がラジオから流れ、60年安保闘争などで物情騒然となる、そんな前座の、ある年のことであった……。
 
カンヅメ。缶詰ではない。館詰め、と書く〆切に間に合いそうもなくなった作家を、旅館に閉じ込めて描かせる、という意味である。間に合わない程、仕事を引き受ける作家の側に非がある、とは言え、サケやサバじゃあるまいし、マコトに非人道的習慣が、この館詰め」なのである。
 
寺田ヒロオさん。第一印象は「若葉の下の象さん」優しさと頼もしさと、清々しい初夏の太陽の輝きと匂いを持った兄貴」。包容力という言葉がある。ワレらが寺サンにはピッタリの言葉だが、この言葉の持つ意味は大きく深い。優しさ、は時に容易に使われるが、実は巨大な「力」なのだ。絵は顔である、という。マンガもまた然りである。作品にその「人」が表れる。「スポーツマン金太郎」「暗闇五段」など、画風は決して派手ではないが、ストーリーはガッチリと骨太に構成されており、登場人物(人間)を描く目は深く確かで。時には辛口でさえある。そして、共通しているのは、生真面目すぎるとも思える程の、健全な「正義感」だ。生活に根を下ろした、リアリティのある正義感。子どもを愛し、マンガという表現手段(メディア)を愛し、子どもたちに自分の作品を読ませるという責任感から生まれた、オノレを愛し、更に他をも愛せるというその包容力から生まれた正義感。
 
寺サンの「絶筆宣言」は、ショックだった。漫画が、段々ひどくなる。もう描きたくない、それが理由だったその才を惜しんで。ボクら仲間は勿論、出版社も、度々翻意を促した。だが、無駄だった。二度と描こうとしなかった。
 
藤子不二雄にも、変化はない。藤本弘は、相変わらず酒を飲めないし、遊ばない。安孫子素雄は、ゴルフをし、麻雀をし、酒を飲み……相変わらずの「遊び人」人一倍のスタイリストだった彼からは、我を失うなど想像の外だった。オバQ」「ドラえもんで、二度も日本中の子どもたちのアイドルを創造したことでも証明されるのだが、彼等同様。その作品も変わらぬことで正当という意味の強さと貴重さを示しているように思える。
 
漫画は、ボクらが描き始めてから、まんがになり、マンガになった。ストーリー・マンガは、劇画となり、更にCOMICとなった。子どもの見るモノから中・高生、大学生、そして中年と称ばれる層の人々までが、読むモノになった。食わない方がいい「有害なおやつ」から、食わずにはいられない「主食」となった。少年少女月刊誌、週刊誌から、絵物語や小説が消えて、マンガばかりに変わった。世界一マンガのわかる国民になった。ど同時に、マンガ家という職業は、ヤクザな稼業から、将来なってみたい華やかな職業になった。日陰の毒花は、社会的地位(ステイタス)を獲得し、文化人と称されるようになった
 
トキワ荘時代ボクらは、一人として、マンガがこれ程の大変貌を遂げるとは、思ってもみなかった。こんな長い時間、描き続ける、描き続けられるとは、想像だにしなかった。せいぜい5年、長くて10年……少なくともボクは、そう考えていた。マンガ家は永続性のないヤバい稼業だったのだ。にも拘らず、ボクらはマンガに取り憑かれた。その魅力に抗し切れず、離れられず、描き続けてきた。何故だろう?一口で言ってしまえば、それは「未完成品」の魅力、ではあるまいか。時代の主流を占める大部分の作品群が、常に熱気勝負の若い作家たちの「未完成品」である事実が、その証拠となる。要するに、マンガとは青春時代そのものなのだ。
 

 

青春時代っていいよな〜!トキワ荘よ、永遠なれ!オススメです。(・∀・)

 

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