「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「ベストセラー伝説」(本橋信宏)

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ベストセラー伝説 (新潮新書)

ベストセラー伝説 (新潮新書)

  • 作者:本橋 信宏
  • 発売日: 2019/06/14
  • メディア: 新書
 

 小学生の頃、楽しみだったのが、学研の「科学」と「学習」。毎月楽しみで楽しみで!!!講堂まで買いに行くんだよね。本屋で売っていないというのが不思議だった。十数年前に学研の方に、歴代の「科学の教材」を極秘で見せていただいて感動したことを覚えている。(・∀・)

 

さてこの本。「犯罪をテーマにしたポプラ社江戸川乱歩の探偵小説が、なぜ小学校の図書室に置かれていたのか。極度のスランプに陥った手塚治虫が完全復活した「ブラック・ジャック」がなぜ「少年チャンピオン」で連載されたのか。1963(昭和38)年当時、「少年サンデー」「少年マガジン少年キングといった少年漫画週刊誌でなぜ戦記物が誌面を占領したのか。石油ショックのときに刊行されたノストラダムスの大予言の著者・五島勉はいまどうしているのか。受験生のバイブル「試験にでる英単語」と「豆単」のライバル争いは結局どうなったのか8マン」「まぼろし探偵」「月光仮面桑田次郎(二郎)はいま、どうしているのか。学研の「科学」と「学習」はなぜ学校内で直接生徒に販売できたのか。「学研のおばちゃん」の正体とは「週間プレイボーイ」「平凡パンチで素人を脱がせていたのは誰だったのか。60年代から70年代にかけて、青少年を熱中させた雑誌や書籍には、前代未聞の企画力や一発逆転の販売アイディアが溢れていた。その舞台裏を当時の関係者たちから丹念に聞き出した秘話満載のンフィクション」そのエッセンスを紹介しよう。

 
壁村耐三は、原稿が遅れている漫画の神様に向かって「手塚!」と罵声を浴びせ、やっと仕上がった原稿を「遅い!」と言って天高く巻き上げる、恐れを知らぬ編集者だった。他社の編集長に向かって、電話口で呼び捨てにして怒鳴りつけたりする。水島新司の「ドカベン」は当初、主人公が柔道部で活躍する話だったが、壁村耐三がやっぱり野球でいこうと方向を変えて、あの大作になった。嗅覚が鋭いのだろう。壁村さんは編集会議をいっさいやらない。合議制が大嫌いでした。多数決の多い意見は絶対に使わない。みんなが面白いと言うものはつまらない。誰も支持しない、たったひとり支持するものをわざと選ぶんです。常識を壊せ!それが口癖でした。
 
・1966年頃、漫画は読み捨て感覚で、新書判コミックスとして出す発想はなく、あったとしても数冊で終わった。秋田君夫は他社で連載していた作品をサンデーコミックスに収録し、名作のほとんどを手に入れていた。サンデーコミックスの名称は、秋田書店が出していたサンデー新書の後を継いだもの。サンデーコミックスはブランド化し、秋田書店に膨大な利益をもたらしたそれまで読み捨てられていた作品が新書判として蘇ると、漫画家はドラマ性豊かな構成を考えるようになり、作品の寿命が延びた。漫画家に膨大な印税が入るようになり、漫画家自身の作家生命も延びることになった
 
浩宮様が初めて自分の小遣いで買った本が秋田君夫の制作した図解 怪獣図鑑だった。このときの映像はいまだに皇室報道の際に登場する歴史的なものになった。この図鑑は50万部を売り上げた。
 
「冒険王」と「少年チャンピオン」「少年画報」と「まぼろし探偵」「戦後出版界最大の悲劇、光文社争議」など。
 
ああ〜!そーだったのかあ!60年代、70年代が蘇るっ!!!オススメです!(・∀・)

 

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ベストセラー伝説 (新潮新書)

ベストセラー伝説 (新潮新書)

  • 作者:本橋 信宏
  • 発売日: 2019/06/14
  • メディア: 新書