この本のタイトルを見て思った!そうだ!手塚治虫ってスポーツマンガ、野球マンガってないんだ!(・o・)!
さてこの本。明治大学の大先輩、米沢嘉博さん。駿河台校舎に米沢嘉博記念図書館があるんだよね〜!(・∀・)
「戦後すぐから現在まで、少年たちを魅了し続けてきた野球マンガ。井上一雄の「バット君」を出発点として、「背番号0」「ちかいの魔球」等。そして梶原・川崎コンビの「巨人の星」は日本中を熱狂させた。さらに「アストロ球団」、水島新司の作品群、「キャプテン」「タッチ」と多くの傑作を生み、今も読み継がれている。手塚治虫が手掛けなかった世界を、少女誌、青年誌まで目配りして書き上げた、日本初の野球マンガ史」そのエッセンスを紹介しよう。
・戦後ストーリーマンガは手塚治虫の「新宝島」からスタートした。しかし、忘れてはならないのは、同年、つまり47年、「サザエさん」(長谷川町子)と「バット君」(井上一雄)の連載が始まっているということかもしれない。今なおテレビアニメで高い人気を誇る国民的家庭マンガと野球マンガは、戦後マンガの大本とされる手塚治虫とは全く別の場所から立ち上がり、同じ時期、読者の支持を得ていったのである。
・井上一雄は、49年35歳にして亡くなり、死後「バット君」を引き継いだのが、「イガグリくん」の福井英一だった。井上一雄も、戦前『少年倶楽部』で加藤謙一がデビューさせたマンガ家だった。「バット君」とはどんなマンガだったのだろう。手塚治虫が長大な冒険者をハラハラドキドキ、スピードとサスペンスで百数ページも描いた、そのことが新たな衝撃であったように「バット君」は少年の日々のドラマを、四コマとか1ページではなく、数ページにわたってリアリティを持って語ったそのことが、マンガとしての初めての試みだったのだ。
その他、「本邦初の少年向け野球雑誌『野球少年』について」「スポーツマン金太郎」(寺田ヒロオ)「くりくり投手」「父の魂」(貝塚ひろし)「ちかいの魔球」(ちばてつや)「ライバル左腕」「ライバルの旗」(つのだじろう)「梶原一騎のスポ根ブーム」「男どアホウ甲子園」(水島新司)「アパッチ野球軍」(梅本さちお)「郡竜伝」(本宮ひろ志)「アストロ球団」(中島徳博)「キャプテン」「プレイボール」(ちばあきお)など。
やっぱり70年代の野球マンガっていいよねー!「ちかいの魔球」「キャプテン」「プレイボール」読みたくなりましたー!野球ファン必読!オススメです!(・∀・)