【ライブ延期のお知らせ】
3月18日(水)神保町ブックカフェ二十世紀 で「流し」
4月26日(日) 56歳バースデイライブ「Complete of 酒場のギター弾き「小野塚謠(テル)」は
政府のコロナウィルス感染症対策本部より「集団感染に外出自粛要請」も出てまいりましたので、大変残念ではありますが、延期させていただきます。「Perfume」や「EXILE」も当日中止になりましたので「テルザイル」もそれに従います。(笑)この騒動が沈静化して、再開の「再会」の際には、新曲「新型コロナウィルスの歌」をご披露します。(笑)お楽しみに!(・∀・)♪
閑話休題。
昨年、感動したこの本、60年前、ワタシがちょうど生まれた前後の東京と日本全国の鉄道を中心としたカラー写真集!まさに「秘蔵」だったよね!
さて、待ちに待った続編が出ましたよ−!ナント!表紙は、ワタシの実家のある小田原市鴨宮。1963年8月14日、お盆の時期に公開された新幹線。見物客が奥のほうまでぎっしりだ。開通の前年!こんな写真が残っていて、しかもカラーで!なんてオドロキだよねー!(@_@)!!!
「日本と日本の鉄道をこよなく愛する元祖「カラー撮り鉄」、J・ウォーリー・ヒギンズ氏。ふつうモノクロでしか見ることのできない昭和30年代の日本を、当時としては超贅沢なカラーフィルムで多数撮影してきた。今回は新たに見つかった蔵出しプライベート・フィルムからの傑作も加え、選りすぐりの544枚を惜しみなく公開!」その代表的な写真を公開しよう。
・当時、通訳など同行せず、一人で国内旅行を旅しました、 と答えると、一様にみな驚く。英語の情報が皆無に近かった当時、 英語しかできない私に、国内の、特に地方の一人旅など無謀だ、 できるわけがない……みなさんそう思われるようだ。しかし、 当時多くの駅には、駅周辺やその地域の地図と、 ローカル線の路線図が掲示されていた。それをじっくり眺めて、 その地域がどういう成り立ちになっているのか、また、 どこに観光スポットがあるのかを読み解いた。たいがい、 列車に乗ったら終点まで行った。そして、 その同じ列車で出発点に戻って来た。 終点についてすぐ発車するケースは珍しかったので、 周りを探索したり、写真を撮ったりする時間があった。 アメリカにいる時から日本での旅行の計画のために大活躍したし、 日本に来てからは、地図と時刻表を調べることで、 日本語そのものが読めなくても、 なんとか移動自体に困ることはなかった。
・旅先で英語しか話のできない私の言わんとすることを、 店や町の人たちは一生懸命聞いてくれた。他の国では、 現地の言葉が通じないと判明された段階で、 まわりから放り出されてしまうことは珍しくないが、 日本は違うのだ。彼らは決して放り出さずに、 こちらの要望を推察してくれた。そして、これかな、 というものを持ってきてくれたり、してくれたりするのだが、 それがほとんどの場合、こちらの期待以上だった。 これが私が日本を好きになった大きなきっかけだ。
・私の写真の多くは鉄道写真だ。特に、 地方の写真が多いことに驚く人も多い。 どうしてそんな田舎まで足を運んだのか。 それは当時の一般的な鉄道より、 簡易な軽便鉄道に関心があったからだ。 人の生活を支えてきた鉄道の多くは、 モータリゼーションの波に押されて、 祖国アメリカでは当時すでに消えゆく運命にあった。 人々の暮らしに近い軽便鉄道や路面電車の一部はやがて姿を消して しまう。日本でも、私はそれを感じていた。
▲新横浜(神奈川県)1964年12月26日
この本は永久保存版として残しておきたいね。超オススメです!(・∀・)♪